第一章
ルナは信じられないものを目にし、驚愕に表情を染める。
直人が召喚魔法を、そのプロセスを説明する前に発動してみせたことだけでも十分驚くべきことだが、何より驚くべきは、先ほどの魔法発動において、直人が床に描かれた魔法陣を使用していないことである。
それはつまり、直人が床の魔法陣を瞬時に記憶し召喚魔法を発動したということに他ならない。
それにあの女性。あの女性は明らかに魔族ではない。
加えて直人のことを兄さんと呼んだ。
いったい何が起きているのか理解できないルナを置き去りにして、状況は進行する。
*
ルナと直人が部屋を出ていってから数分後。
ようやく自分の世界から帰ってきたアリシアは、直人とルナを追おうかとも思ったが、何か重大なことを見落としている気がして一人考え込んでいた。
(世界を越えた人間? どこかで聞いた気がするのだけど…)
今までの出来事を全力で思い出していく。
召喚魔法が異常なほどの光を放ち、召喚されたのは魔族ではなく、純粋な人間だった。
その人間は、ナオトアラタニと名乗った。
(何か、何か忘れている…)
異常な光、召喚魔法……どうにも引っかかるが思い出せない。
考えをまとめようとしていた矢先、広間の方から魔法の発動を感じ取ったアリシアは、一端考えることを中断し、広間へと駆け出した。
*
「お前、もしかして千紗なのか!?」
謎の女性は、その大きな胸を揺らして頷く。
「もしかしなくても千紗ですよ、兄さん」
そう言いながら、千紗は腕を組む。
その拍子に持ち上げられ、強調された胸に否が応でも視線がいってしまい、気まずくなった直人は、つぶやく様にいった。
「でも、どういうことだ? 俺の知る千紗はもっとぺったんこの幼児体型で――」
直人の発言を耳ざとく聞き取った千紗は威圧感のある笑みを浮かべる。
「兄さん?」
ニッコリと。そうニッコリと微笑みながらも、まったく目が笑っていない千紗がこちらを見ていた。
「すみませんでした!」
あまりの圧力に、思わず妹に本気の謝罪をしてしまう直人。
やりすぎたと思ったのか、どこか申し訳なさそうにしながらも、千紗は直人に状況を訪ねる。
「ところで兄さん、そちらの美少女はどなたです?」
千紗がルナを見て言う。
いきなり話を降られたルナは、直人と初めて会った時のように怯えた様子で直人の背に隠れる。
少しの間に随分と信頼されたものだ。
その様子に、どこか不機嫌そうな千紗だったが、直人はかまわず答える。
「この子は、ルナ。ルナ=ブレンフォード。俺をこちらの世界に召喚した子の姉で、この屋敷の次期当主らしい」
直人に紹介されたルナは、直人の後ろから少しだけ顔を出してペコリと頭を下げる。
「…随分と仲がよろしいんですね?」
不機嫌を隠しきれていない千紗に、ルナは怯え、再び直人の背に隠れてしまう。
「どうしたんだ? 千紗らしくもない」
「いえ、すみませんでした……」
直人にとがめられ、少し落ち込んだ様子だったが、すぐに表情を和らげ、直人の後ろに回ると、ルナに微笑みかける。
「さっきはごめんなさい。私はチサ=アラタニといいます。これからよろしくね? ルナ…と呼んでしまっていいですか?」
先ほどと打って変わって、優しい笑みを浮かべる千紗に、ルナは少し安堵した様子だ。
「いい、です。よろしく、お願いします」
そうこうしている間に、魔法の発動を感じ客間から走ってきたアリシアが広間に到着する。
「だれ? さっき召喚魔法を使ったのは?」
誰と問いながらも、直人の見ながら問うアリシア。
ルナが召喚魔法を使えないことを知っているアリシアは、信じられないことだが直人が召喚魔法を発動したものとと見立てを立てていたのだろう。
わかってるなら聞くなよ、という言葉を飲み込んだ直人が答える。
「さっき召喚魔法を発動させたのは俺だ」
次はルナに視線を飛ばすアリシア。
それを受けたルナは、激しく頷く。
「確かに、ナオト君が発動させたよ」
「そう……っ!」
直人と千紗が並んでいる姿を見て、何かを思い出した様子のアリシアは、直人と千紗を指差して問う。
「あなたたち、ハヤトとナオミの子供でしょう?」
「「「!?」」」
アリシアの発言に、それぞれに驚きを示す。
直人と千紗は、異世界で聞く両親の名に、ルナは、死んだはずの人物の名が突然出てきたことに、驚愕する。
「どうしてそれを、アリシアが知っているんだ?」
「そう、やっぱりそうなのね。ハヤトとナオミは、今は滅んでしまったわが国最後の騎士団団長と魔法使い部隊隊長よ」
両親の過去に驚き、言葉を失っている直人と千紗をよそに、ルナが慌てた様子でアリシアに駆け寄る。
「アリシア!? そのことは黙っておかないと!」
「いいのよ、ルナ。この二人はきっと私たちの味方よ。なんたってあの二人の子供なんだから」
「どういうことか説明してくれないか?」
完全に蚊帳の外となっていた直人が、二人に声をかける。
「順を追って説明するわね? まず、ナオトとチサの二人の両親は、私の国の騎士団団長と魔法使い部隊隊長だったの。ナオミが騎士団団長で、ハヤトが魔法使い部隊隊長」
直人は、死後の世界で会ったときの母の気迫を思い出す。
確かにあの時の母は騎士然とした、凛とした雰囲気を纏っていた。
「それで、私はその滅んだ国、プラトニア帝国の皇帝の娘なの。まあ、有り体にいってしまえば皇女ってことね」
アリシアの性格は、皇女であるところにも起因しているのだろう。
直人は、驚くよりも納得してしまった。
「だから、二人には子供のときによく遊んでもらったの。ハヤトには魔法を教えてもらったりしたわ。今回あなたを喚ぶときに使った触媒もハヤトの形見のワンドよ」
自分の両親との思い出を異世界の人間から聞かされるというのは不思議な感覚だったが、本当に楽しそうに語るアリシアを見て、直人も暖かい気持ちになる。
しかし、そう思ったのもつかの間、アリシアの表情が悲しみに染まっていく。
「だけど、私の国はクーデターで皇帝家が滅んだ後、この国、ソクラス王国に戦争を仕掛けて滅ぼされた。その時にナオミとハヤトも姿を消したわ」
いくら気丈に振る舞っていても、祖国の滅亡を語るのはつらいのだろう。アリシアの声は震えていた。
それきり話せなくなってしまったアリシアに代わり、ルナが話し始める。
「クーデターが起こり、皇帝家が皆殺しにされる前に、皇帝家と親交が深かった私たちブレンフォード家は、皇帝の求めに応じ、アリシアを救出。その後、ブレンフォード家の末の娘として迎えました。そして、帝国の滅亡から数年がたった頃、ある一つの事実が判明したのです」
「ある事実?」
「ええ、それは-」
ルナが先を話す前に、アリシアが答える。
「魔族が関わっていたのよ……っ!」
怨恨が濃縮された様なアリシアの声に、直人は背筋が冷たくなる。
「アリシアの言う通りです。当時、軍部の仕業とされた帝国のクーデターは、魔族に唆され魔族へとなり果てた帝国軍魔法使いによって行われたものでした。加えて、現在の王国行政は、そのクーデターを扇動した魔族によって掌握されています」
あまりの状況に直人と千紗は言葉を失う。
しかし、これだけの状況で誰も立ち上がらないということがあるのだろうか?
直人が抱いた疑問に対する回答は、アリシアの口からもたらされる。
「この状況に気はついているのは、魔族の幻術を破るだけの実力を持った一部の魔法使いと、それらの人物から真実を告げられた極限られた人々のみです。そして、私たちブレンフォード家は、魔族政府を妥当すべく立ち上がった組織の指導的立場にあります」
「今回私が召喚魔法を使ったのも、戦力強化の為よ」
どうやら、直人達は革命軍のような組織の中枢に召喚されたらしい。
とはいえ、こちらの世界のことが何もわからない以上、アリシア達の仲間になるしかないような気もする。
どうするべきか決めかねた直人は、千紗に意見を求める。
「千紗はどうしたい?」
今まで黙って話を聞いていた千紗は、直人を正面から見据える。
「私は兄さんの決定に従います」
決めかねて意見を求めたのに、決定権をまるまる返されてしまい、直人は再び考え込む。
「あ、あのー?」
「うん? どうしたルナ?」
「私たちの仲間になってくれませんか?」
「そうはいってもな……」
先ほどの話を聞く限り、この国に本当の意味での安全地帯は無いようだ。
とはいえ、ただ町で暮らしていたら突然殺される、ということもないだろう。
逡巡している直人に、見かねたようにアリシアが言う。
「まあ、今すぐ決めろとは言わないわ。こっちの世界に来たばかりで、何もわからないだろうしね」
「……そうしてもらえると助かる」
結局決めかねた直人は、アリシアの提案に乗ることにした。
アリシアは、直人が承諾したのを聞き一つ頷くと、踵を返して歩き出す。
「それじゃあ、とりあえず客間に向かいましょうか」
直人とルナは、アリシアに続いて広間を後にしようとするが、千紗はアリシアの描いた魔法陣を見つめ立ち止まっていた。
不審に思ったアリシアが、千紗のところに戻り、直人とルナはそれを視線で追う。
「どうしたの、チサ?」
千紗が直人の召喚魔法に異世界から干渉し、術式を書き換えるほどの力量を持った魔法使いであることを知らないアリシアは、素人が見ても理解できるはずがない魔法陣を見つめる千紗を、怪訝そうな視線を向ける。
「ルナ、兄さんはこの魔法陣を使いませんでしたね?」
近くにいたアリシアを無視し、突然ルナに話しかけた千紗に、ルナは戸惑いながらも答える。
「はい、ナオト君はその魔法陣を使っていませんが……どうしてそれを?」
「はやりそうですか。私が干渉した魔法陣とは別物でしたので、おかしいと思ったんです。まあ、なぜだかこの術式も、世界を越えることを前提に描かれている様ですが」
「どういうこと?」
千紗の目の前で置いてけぼりを食らっていたアリシアが問う。
「この術式は、どこから持ってきたものですか?」
一見自分の質問とは無関係なことを問われ、アリシアは少し不機嫌そうだったが、素直に答える。
「……ハヤトに昔教えてもらったものよ。私の十六歳の誕生日にハヤトのワンドを触媒にして発動すれば、きっと強力な魔族を使い魔として召喚できるからって」
「なるほど。しかし結論から言えば、この魔法陣では魔族の召喚、もっと言えば同じ世界の存在は召喚できないでしょう。この魔法陣はそうなるように設計されています。父さんはあなたに嘘をついていたようですね」
「……っ! ど、どうしてあなたにそんなことがわかるのよ!」
先ほどまで魔法の素人だと思っていた千紗に、自分の気が付くことができなかった魔法陣の欠陥を指摘されたあげく、自分は師にだまされていたのだと言われたアリシアは、声を荒げて反論する。
「どうして、といわれても、わかるものはわかるのですが……。そうですね、ではこうしましょう。私が今からこの魔法陣を書き換えます。そしてアリシアの望み通りの魔獣なり魔族なりを召喚して見せましょう」
「いいわ、その提案乗ってあげる」
(完全に要望通りの使い魔を召喚するなんて、そんなこと、それこそハヤトぐらいにしかできっこないわ)
千紗が失敗することを確信しているアリシアは、不適な笑みを浮かべる。
「後悔するんじゃないわよ? そうね、それじゃあ……知的で心根の優しくて魔力値の極めて高い、私たちくらいの女の子の魔族でも召喚してもらおうかしら?」
挑発的に言い放つアルシアに、無言で頷くと、千紗は魔力を込め、術式を再構築する。
(召喚条件は、知性が高く、従順で無くてもいいからとにかく心優しいこと。加えて魔力量が多い十六、七歳の女の子、ですか。どうせならとびきり可愛らしい子にしておきましょう。ふふ、もう一人可愛い妹ができそうですね)
完全に私情を交えているが、アリシアからの条件を満たした魔族を召喚できるように、術式を再構築した千紗は、アリシアの方に振り返る。
「終わりましたよ。それでは、召喚魔法を行使してください」
「あら、早かったじゃない」
アリシアは表面上平静を装ってはいるが、内心では舌を巻いていた。
それほどに千紗が見せた技術は高度なものだったのだ。
アリシアの魔法陣が床に石灰石で書き込んだものであるにもかかわらず、その魔法陣を石灰石の線ごと魔法で改変し、異なる魔法陣を仕上げるなど並みの術者にできることではない。
得体の知れないものに対する不安と、もしかしたら自分の望み通りの使い魔が召喚できるのではないかという期待を胸に、アリシア魔法陣の前に立ち、魔力を込める。
アリシアが魔力の注入を終えると同時に、広間を光が満たす。
直人や千紗が召喚された時の光と比べると幾分弱い光が収まると、魔法陣の中心には、一人の少女が立っていた。
煌めく金糸のごとき金髪を腰まで伸ばし、純白の肌は生物的な要素を感じさせない。
真紅の瞳でこちらをうかがっている彼女は正真正銘の魔族だった。
「どうですか? これで私が言うことを信じていただけるでしょうか?」
特に勝ち誇るでもなく、アリシアに問いかける千紗だったが、その声はアリシアには届いていない。
目の前に現れた魔族の少女は感じ取れる魔力量からして、最高位に近い高位魔族であることがわかる。その少女に目を奪われていたアリシアは、千紗の問いには答えず、少女の方に歩み寄る。
「あなたが私のマスターですか?」
魔族の少女が落ち着いた声音でアリシアに問う。
「え、ええ、そうよ。私があなたのマスターのアリシア。アリシア=ブレンフォードよ。アリシアって呼んでくれればいいわ。あなたの名前は?」
「わかりました、アリシア。私の名前はリリー=アスワンといいます」
「アスワンって、まさかあのアスワン!?」
驚愕しつつもなんとか問いかけるアリシア。
その問いにリリーは特に気負うこと無く答える。
「あのアスワンがどのアスワンかは知りませんが、おそらくそのアスワンで間違いないかと」
二人が何のことを言っているのかわからない直人は、隣のルナに問う。
「ルナ、アスワンってのは何のことなんだ?」
先ほどアスワンの名が出てから直人に話しかけられるまで、茫然自失としていたルナは、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「アスワンとは、魔族の長である魔王に仕える最高幹部の家系の一つで、すべての吸魔族と呼ばれる魔族の長にあたる一族だとといわれています。それゆえその力は強大で、個々の戦力は一個大隊にも相当するそうです。しかし、彼女たちは基本的に人間に敵対的なはずなんですが……」
見るからに友好的なリリーを見て考え込むルナ。
アリシアと話しているその様子からは、とても人間に敵対的だとは思えない。
「でも、どうしてアスワン家の魔族が私の召喚に応じてくれたの?」
アリシアも同じことを考えていたようだ。
「私はアスワン家の当主争いに敗れ、本当なら現当主である兄に殺されるはずでした。しかし、瀕死の重傷を負い、逃亡している途中にある人間の魔法使いに命を救われたのです。そして、彼の協力により、私はアスワン家から縁を切ることができたのです」
「手負いの魔族を救うなんて、もの好きな魔法使いもいたものね」
あきれたように言うアリシアだが、不快感を感じている様子はなく、その魔法使いの行為に感心しているようである。
「全くです。本当に彼は変わり者でした。そして、とびきり優秀な魔法使いでした」
昔を懐かしみながら柔らかく微笑むリリー。
「私は彼に助けられて以来、どうにかして人間と関わりたいと考えていたのですが、どうにも人間が発動する召喚魔法の条件が、こちらの性能以外に興味を持っていない様なものばかりで気にくわず、無視し続けていたのです」
そういって少し拗ねたように口をとがらせるリリー。
見た目より大人びて見える彼女だが、その仕草は年相応の少女のようで可愛らしい。
アリシアの話を聞く限り、魔族は例外なく極悪非道な奴らだと思っていたのだが、魔族にもリリーのようないい奴がいるのだと認識を改める。
まあ、リリー以外にも人間の使い魔になっている魔族がいるようなので、魔族も一枚岩ではないのだろう。
「とにかく、これからよろしくお願いします、アリシア」
「ええ、よろしくね、リリー」
かくして、千紗とアリシアの口げんかの結果、リリーが仲間になった。
*
直人たちは客間に戻り、紅茶を飲みながら、直人と千紗の今後について話し合うことにした。
「二人には、とりあえず私たちも通っている魔法学院に通ってもらおうと思うの」
紅茶に口をつけ、一息付いたところでアリシアが話し始める。
直人と千紗が聞く体勢になったのを確認して、アリシアが続ける。
「理由はいくつかあるけど、まず一番大きな理由としては、ナオト、あなたくらいの年頃で学生でない人間は滅多にいないということね。田舎に行けばいるかもしれないけど、地方とはいえ都市部であるここではほとんどいないと言っていいわ」
どうやら、どこの世界も文明がある程度発達すると学校制度が確立するらしい。
直人が納得して頷くと、アリシアは次に千紗に視線を移す。
「次にチサ、あなたには学院の講師になってもらいたいの」
てっきり自分も生徒として学院に通うものだと思い、また直人を同じ学校にに通えると内心喜んでいた千紗は、怪訝な表情でアリシアを見る。
「言いたいことはわかるわ、それでも、さっきの召喚魔法を見てわかったのだけど、あなたの技量はこの国でもトップクラスのものよ。それに、あなたの年齢だと学院に生徒として通うのは不自然だというのもあるわ。チサ、あなた今いくつ?ついでにナオトも教えてちょうだい」
「十七歳だ」
「やはり、兄さんはあの時のままの年齢だったのですね……。アリシア、私は十九歳です。やはり、生徒としては難しいですか?」
まさか妹が年上になる日が来るとは夢にも思わなかったが、十九歳と聞いて納得した。
どうりで大人っぽく、そして色っぽくなっているはずである。
どうでもいいことに納得していた直人をよそに、アリシアは考え込む。
「ルナ、どうにかできるかしら?」
アリシアたちの通う魔法学院、私立ブレンフォード魔法学院はその名の通り、ブレンフォード家の運営する魔法学院である。
ルナの権力を持ってすれば、たいていの無理は通せるはずなのだが、ルナの返答は芳しくなかった。
「多分年齢だけならチサさんは現状こちらの世界の身分証を持っていないんだし、それを偽装した上で学院に入学してもらうわけだから、ごまかすことはできるけど……その……」
ルナは、千紗の方をチラチラと見ながら言葉に詰まる。
「……どうしたんですか?」
「はい、あのです? 多分チサさんの雰囲気的にというか体つき的にというか……そういったところで違和感があると思うんです」
その言葉に一同の視線が千紗の体に集まる。
「なっ……!」
驚いて胸を隠すようにしながらルナを睨む。
「ごめんなさい。でも、チサさんが幼児体型立ったとしても、あれだけの魔法が使える人が学院にいるなんておかしいから、どちらにせよ無理だと思います」
ルナには珍しいはっきりとした物言いで無理だと言われてしまった千紗は、肩を落とす。
「それじゃあ、講師として学院に行ってもらうということでいいかしら?」
千紗は落胆した様子で頷く。
直人はどうして、わざわざめんどうくさい生徒側で学院に行きたがるのか理解できなかったが、千紗は落ち込んでいる様なので頭をなででやる。
千紗は一瞬驚いたようだったが、すぐにされるがままになでられている。
千紗にとってはあの事故から五年も経っているようだが、こういうところは変わらないらしい。
千紗の機嫌が治ったようなので、手を退けると、少し名残惜しそうにしながらも、千紗はアリシアに向き直る。
あきれたような視線をアリシアに向けられ気がするが気にしないことにした。
「それで、講師とは具体的に何をすればよいのですか?」
「そうね、うちの学院では基本的に講師の得意分野を教えているわ。何か得意分野はあるかしら?」
「そうですね、術式の改変や新術式の製作といった魔法理論的な分野と召喚魔法に代表される空間跳躍系統の魔法が得意ですね」
「……新術式の製作って、ほんとにすごいわね……」
直人には何を言っているのかさっぱりだったが、妹がほめられて悪い気はしない。
「わかったわ、それならたいていの理論系の授業は受け持てるでしょうから、学院としても問題ないはずよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
「それで、私はこれからどうしたらよいのでしょうか?」
完全に置いてけぼりだったリリーが、少し拗ねたように言う。
どうやらこの魔族の少女は案外寂しがりやなのかもしれなかった。
*
「それじゃあ、三人ともおやすみなさい」
そう言ってアリシアは客間を後にする。
どうしてこうなった……?
今、直人はベッドに横になっているのだが、その両隣には二人の少女が横になっているのだ。右を向けば千紗が、左の向けばリリーがそれぞれにいる。
そう、今直人たちはキングサイズのベッドに川の字で横になっているのだ。
どうして、こんなことになっているのかといえば、時は二時間ほど前にさかのぼる。
*
客間での話し合いの後、夕飯を済ませた直人達は順番に入浴を済ませ、借りた寝間着に着替えてくつろいでいた。
アリシアは立ち上がるとソファや安楽いすに腰掛け思い思いにくつろいでいた一同の前にやってくる。
「みんな聞いてちょうだい」
と言って皆の視線が集まるのを確認してから続ける。
「ルナはもう気が付いているかもしれないけど、実はこの屋敷には、ベッドのある宿泊可能な部屋は二部屋しかないの。そして、本来なら今日私が召喚する予定だった魔族用に、一部屋はすぐにでも泊まれるように用意してあるけど、もう一部屋はとても泊まれる状況じゃないわ」
「つまり?」
いやな予感がしたが、とりあえず先を促してみる。
「だからね、ナオトとチサとリリーには、しばらくの間だけ同じ部屋で寝泊まりしてほしいんだけどいいかしら?」
嫌な予感というものは得てして当たるものである。
「私は別に構わない」
何のためらいもなく承諾するリリー。
「是非お願いします。しばらくといわずいつまでも」
食い気味で承諾する千紗。
正直、目が怖い。
「それじゃあ決まりね! あなた達の部屋はこ――」
「ちょっと待て」
歩き出したアリシアの肩を慌ててつかみ、こちらを向かせる。
「あら、どうしたのナオト」
「どうしたの? じゃねーよ! 年頃の男女を同じ部屋で寝かすことに対する抵抗は無いのか?」
「なんだそんなこと、女の子たちの方がいいって言ってるんだからいいじゃない。それに片方は妹で、もう片方は私の使い魔の魔族よ?」
「そうだけど…」
ここまで正論を振りかざされては、反論の余地もない。
「そうですよ、私たちは兄妹何ですから」
千紗も直人を説得にかかる。
ここまでのことではっきりしたが、どうやら千紗のブラコンは、改善するどころか悪化したらしい。
「ナオトは、そんなに私と同じ布団で寝るのがいやなのか? もしそうならば私はここのソファで寝ても良いが……」
(やめてくれよ、そんな目で見るのは……)
ここで寝ても良いといいながら、見るからにしゅんとしてしまうリリー。
「そうだ、俺がここのソファで寝ればいいんじゃないか?」
「それはだめよ!」
アリシアが慌てて反論する。
「どうしたんだ急に、俺がここで寝ると何か問題があるのか?」
「それはですね、私とアリシアの部屋は、どちらもここからだと扉一枚あるだけで直通でして、その上、こちら側のドアには鍵がありません」
「つまり、ここで寝るってことは、アリシアとルナと同室で寝るってことになるのか」
これは完全に詰んでいるのではないだろうか?
直人が千紗とリリーと同じベッドで寝ることを拒否すれば、二人をソファに寝かせたあげく、直人は一人で個室を使い、ベッドで眠ることになる。
女の子二人をソファに押しやって、自分だけベッドで平然と寝れるほど、直人は鬼畜ではない。
直人は腹をくくることにした。
「わかった。千紗、リリー、悪いが今日は俺と同じベッドで寝てくれるか?」
「兄妹なのだからそれがふつうなのです」
「私は一向にかまわないぞ!」
どこの世界のふつうなのかとか、さっきと打って変わって嬉しそうだなとか、いろいろといいたいことはあったが、二人がうれしそうなのでとりあえず黙っておく。
かくして三人は同じベッドで眠ることとなった。
*
「二人とも起きてるか?」
「………」
「私は起きているぞ」
どうやら千紗はもう寝たらしい。
千紗を起こさないように注意しながら体をリリーの方に向ける。
赤く輝く真紅の双眼がこちらを見つめていた。
「うわっ……っ」
思わず声をあげそうになって慌てて口をふさぐ。
「まあ、予想はしていたが、いいリアクションだったぞ」
そう言ってふふっ、とおもしろそうに笑うリリー。
「脅かさないでくれ……」
「いや、悪かった。ふふっ。そ、それでどうしたんだ?」
ツボにはまったのか、笑いをこらえながら話している。
「いや、これといって用がある訳じゃないんだが……そうだ、リリーのことをもっと教えてくれないか?」
「私はことか? 私のことはあらかた先ほど話してしまったんだがな……いや、一つだけ話していないことがあったな」
「お、じゃあそれについて話してくれよ」
「うむ、まあ、大したことではないんだが、そうだ、それではクイズにしよう。今からの私の行動を見て、当ててみてくれ」
「クイズか、面白そうだし、それでいいぞ」
「了解だ。ヒントは私の母だ。それでは行くぞ?」
そう言うとリリーは音もなく浮かび上がる。
「おお……!」
思わず感動していると、空中でリリーの影が揺らぐ。気がついた時には、直人の腰に柔らかな感触がうまれていた。
リリーが直人の上に倒れ込むと、むにょん、と何かとてつもなく柔らかいものが直人の胸に押し付けられる。
「ふふ、どうだ? 気持ちいいか?」
そこで初めてリリーの姿を見た直人は言葉を失う。
そこには、先ほどの未発達な少女の姿ではなく、成熟し大人の色香を漂わせているリリーの姿があった。
「これは、いったい?」
「ふふふ、それを答えるのがクイズだろう?」
そういって、豊満になった双丘をむにょんむにょんと押し付ける。
「っっ……」
こんな状況では考えることなどできない。
直人はギブアップする事にした。
「降参だ、こんな状況じゃ考えることもできない」
「む、それもそうか。すまなかったな。ああそれと、もし直人が寝たかったのだとすれば、その目的はもう達成されているぞ?」
そういって、大人リリーは直人から下り、直人の隣に寝転ぶ。
「どういうことだ?」
妖艶に微笑んだ大人リリーは、楽しそうに話し始める。
「それでは種明かしといこう。先ほど私が言ったヒントは覚えているか」
「確か、リリーの母親だろ?」
「そうだ、実をいうと私は純血の吸魔族ではない。私の母は夢魔、いわゆる淫魔族の一種だ。つまり、私は吸魔族と淫魔族のハーフということになる」
「じゃあ俺はもう……?」
隣に横たわる大人リリーに改めて目をやる。
「そうだ、これは淫魔族の力、正確に言えば淫魔族の中でも夢魔に伝わる魔法だ。夢魔の魔法である以上、直人はもう眠っている。ここは夢の中だ」
「なるほどなあ、それでこんなにエロい姿に……」
そういってまじまじとリリーを見る直人に、リリーは苦笑しながら告げる。
「言っておくが、この姿は私が決めたものではないぞ? これは、魔法をかけられた対象の願望を読み取り、その願望通りの姿になって夢に現れるという、魔法の効果によるものだ」
つまり、この姿は直人が望んだものだと言うことらしい。
急速に恥ずかしくなった直人は、慌てて目をそらす。
「なに、恥じることはない。男性とは皆そんなものだ。それよりどうする? このまま寝かすこともできるが、せっかくなのだから、私を襲っても良いのだぞ? 経験はないがどうせ夢だ、気にすることはない」
まさに、悪魔の囁きならぬ魔族の囁きである。
流石に戸惑う直人だったが、結局欲望には打ち勝てず、据え膳食わぬはなんとやらと自分に言い訳しながら、リリーに襲いかかる。しかし、その直前で直人は、リリーが細かく震えていることに気が付いてしまった。
理性を失い襲ってくる直人に身構え思わず目をつむったリリーだったが、直人の手は、予想外のところに伸びる。
「……どうしたのだ?」
頭をなでている直人に、リリーは困惑すると同時に安堵する。
「あーっと、なんだ、リリー。いくら夢とはいえ、リリーは可愛いんだから自分を大切にした方がいいぞ」
「……っ」
見透かされていた。
直人はリリーが、淫魔族の魔法をほとんどあるいは全く使ったことがないと思ったのだろう。
事実、リリーが淫魔族の魔法を男性に対して使用したのは、今回が初めてだ。
あれだけ誘惑しておいて、最終的に誘惑した相手に諭されるなど、屈辱以外の何者でもないはずのなのだが、不思議と悪い気はしなかった。
「……ナオトは……卑怯だ……」
「? どういうことだ」
「知るか! 自分で考えろ!」
そういってリリーは、パチンと指を鳴らす。
何事か反論しようとした直人だったが、急な睡魔に襲われ、言葉になることはなかった。
*
狸寝入り決め込み、直人とリリーが眠りについたところで直人に抱きつこうと画策していた千紗は、魔法発動の兆候を感じ取り、慌てて体を起こす。
しかし、そこには完全に眠りついた二人の姿があるだけだった。
先ほどまでの二人の会話から、リリーが何かしらの魔法を行使したのは間違いないのだが、しかしながら二人の様子に特に変わったところはない。
どういうことなのか皆目見当も付かない千紗だったが、直人が無事ならそれでいいと思い、当初の予定通り直人に抱きつくことにしたのだった。
*
直人を無事眠りにつかせた後、リリーはベッドから身を起こす。
窓から差し込む月光に映し出されたその頬は、ほんのりと色づいていた。
(直人のやつ、この私に可愛いなどと……)
まったく、高貴なる私に対してなんと失礼なやつだ、と誰とも知れず文句を言うリリーだったが、その表情はゆるんでいる。
そのことに気が付いたリリーは、頭を振って浮かれた表情を消した。
(暖かそうだなあ……)
直人を見て、何事か思いついた様子のリリーは、今度は耳まで真っ赤にしても顔を伏せる。
(何を考えているんだ私は!?)
薄暗がりのベッドの上ではその表情はうかがい知れないが、おそらくその顔は羞恥に染まっていることだろう。
自分の考えに悶絶しそうになるリリーだが、気を取り直したように顔を上げる。
「そう。そうだ、これは仕返しだ」
そういって自分に言い聞かせるようにしながら、未だ耳まで真っ赤なリリーは、直人の腕の間に潜り込んだ。
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