第四章12話:紅擊 - crimson And scarlet -

 ◇◇◇



 暗い洞穴の宙を、二対の紅が疾走る。


 その眼下には、第一陣で外に出損ねた虫達が今尚、『海賊偽装式フェルシュング』の開けた大穴へと殺到している。そしてその勢いは衰えることなく―――洞窟の最深から軍勢は涌き出ていた。


 だが……それに違和感を覚えたのは、エルザだった。


「それにしても、ちょっと妙だなぁ」


『ん?何がだ?』


「この手の巣を作る虫型の魔物は、餌を取りに行く兵士以外は巣のなかに収まっているものだけど……彼等は表にまで溢れかえって、道を塞ぐほどになっていた』


 エルザの抱いた疑問は、正しくそれだった。

 そも、蟻というのはこの世界に普遍的に存在する生き物である。

 これらの蟻型の魔物が、それを模したというのならばその習性すらも模倣するに違いない。兵隊、巣の保全を担当するもの、幼虫の世話を担当するもの。

 だが……見渡す限り、それらに従事している蟻型魔物は存在しない。その何れもが、ただ出口へ向かって奔走するばかりの木偶の坊だ。


『女王がなんも考えずに兵隊ばっか産みまくってるとかじゃねェのか?魔物なんて頭も悪いし、そういうことしそうじゃんか』


 だがグレアは、そんなエルザの質問を取りつくしまなく切って捨てる。

 彼としてはただ「戦いたい」という思いだけで、それ以外の情報は判断を狂わす雑音でしかない。思案は賢いやつがやればいい、自分はただ前に迫る害獣を駆除するだけ。


 そんな割りきりが、彼の圧倒的なまでの強さの裏付けでもあったのかもしれない。

 だが、一個の隊を預かる騎士であるエルザとしては、そう簡単に脳死で戦うことはできなかった。


「それはそうなんだろうけど……でも、魔物を産むのにだって魔力はいるわけでしょう?それを一体、どこから―――」


 思考が、虫達を産み出すその根源、「汚染魔力」の出所へと至ろうとした瞬間。


 <飛翔体:検知>


 ―――一匹の蟻が、その跳躍をもってエルザ達を襲う。

 そしてそれと同時に、眼下の有象無象の群れが二分される。

 一方は壁などを迂回し、天井を介して宙空のマギアメイルに迫ろうとするもの。もう一方は猪突猛進を辞めることなく、外界への穴へと迫るものである。


 そして穴の奥からは、他のものとは異質な影が現れる。


 ―――他の個体よりも、より大きな身体と牙を有した蟻。


 それが小型の蟻型魔物を踏み潰しながら迫ってきていたのである。


『お、お出でなすったなデカブツゥ!!!』


 それを目の当たりにした瞬間。

 グレアの瞳がキラキラと輝き、それと同時に『海賊偽装式フェルシュング』へと出力される魔力量も増加する。

 呼応するように機体の眼から閃光が走り、手にした槌にも外装の隙間から光が漏れ出る。


「グレアくん、あまりそのハンマーは使わないように!下手に壁にでも当てたら、ここごと潰されるよ!」


 それを見たエルザは、思わず忠告する。

 グレアの能力は確かに強大だ。だがそれを考えなしに振るってしまっては被害が出る。

 特にこんな閉所でそれをすれば……洞窟が倒壊して、脱出が不可能になるかもしれない。いくらマギアメイルが魔力を増幅し、圧倒的な戦闘力を発揮する規格外の鎧とはいっても限界はあるのだ。


『俺がそんなヘマするかって、のォ!』


 だがグレアは指示を無視し、ハンマーを力の限り振るう。

 機体の蛇腹状の関節から、鉄が軋む音が響く。本来の稼働域を無視して、力の限りに得物を振り回すグレアの操縦特有の現象だ。

 ―――この補修の為に、いちいち砂賊の整備班が気苦労を覚える羽目になっていたのは言うまでもない。


「―――うぉらァッ!!!!!!」


 槌からの魔力推進も加わった破砕槌の一撃が、巨大蟻の胴体を見舞う。

 ……虫の甲殻とは元来、そのサイズに似合わぬ硬度を持つものだ。それが大型、15mのマギアメイル程の大きさともなればその防御力は推して知るべし。其処らにいる凡百のマギアメイルの武装では、容易に手傷を負わせることすらできはしまい。


 ――だが、相手の内部から爆発的な圧力を発生させる破砕術式と、グレアの天性の戦闘センスが組み合わされば話は別だ。


 外部から加わった苛烈な打撃に向けて魔物が防御の為魔力を集中させた瞬間に、その内側からの魔力圧が襲い来る二重の構え。


 これを前にして、立ち続けることのできる魔物はそう多くはない。それこそ……かの「魔龍戦役」を引き起こした強大な龍。

 ワルキア王国が『「強欲」の魔龍』と名付けた、規格外の怪物を除けば、である。


 そしてこの蟻型魔物は、そのような例外に属するものでは決してなかった。

 振るわれた一撃に対応することもなくその身体を四散。酸性の体液を撒き散らし、瞬く間に絶命する。


『どんな、もんだァッ!』


 槌を構え直したグレアはそう叫び、すかさず次の目標へと突貫していく。その背を見て、エルザはすかさず援護へと移る。

 ……『海賊偽装式フェルシュング』を、『戦乙女バルキリエ』が追う形だ。

 そしてその背後からは、彼女を狙って大量の蟻型魔物が迫る。


 そして、その数が一定量を超えたその瞬間。


「―――焼き払うッ!」


 <燃焼術式:起動>


 エルザの叫びと共に、機体の持つ斧槍から焔が迸る。宝石で造られた槍先から現れたそれは、虫の群れへと狙って放たれる。


「はぁ!」


 瞬間、紅炎は鳥の姿を取って魔物の元へ着弾する。そしてその身体を焼き、密集していた蟻達へと燃え移り一網打尽とばかりに灰塵に帰す。


『やるな女騎士さン!』


「貴方も、よくもまぁそんな器用に壁に当てないもんね!」


『ま、叱られンのはやだから、なァ!』


 2機のマギアメイルはそのまま、獅子奮迅、疾風怒濤に敵を薙ぎつつ前進していく。彼等が敵を蹴散らせば蹴散らすほどに外部の騎士達の負担は減る。

 そしてその果てには、この虫けら達の親がいる筈。それを撃破したなら……晴れて、掃討完了だ。


 二人のマギアメイル乗りはそれを達成するため、ただひたすらに進軍していった。

 果ての果て、その洞窟の最深部に至るまで、ひたすらに。




 ◇◇◇



 二人が地下で大立ち回りを演じている、正にその頃。

 丁度地上でも、戦況に大きな変化があった。


『虫どもの数が……』


『減ってる!』


 地上に残り、溢れ出る魔物の掃討を行っていたキュイとエクラはその異変にすぐに気付いた。

 地上に追加で出現してくる魔物の数が、大きく低減していたのだ。


 しかもそれだけではない。

 元々地上にいた個体のいくつかに至っては、巣に逆戻りしている。恐らく……エルザとグレア、親玉に近付く二人の追撃に向かったのだろう。それはともすればピンチとも言えたが……二人に、そんな心配は無用だった。


 そしてその様子は「アティネ」と「ペルセフォネー」ら、指揮艦船側でも確認できた。

 そこで艦橋にいた黒武騎士団団長、ブランは直ぐ様指示を飛ばす。


「全艦、魔力砲撃停止!掃討はマギアメイル隊に任せろ、くれぐれも奴等の巣穴をこれ以上刺激しないように!」


 ……彼のその指示には、二通りの意図があった。

 一つは穴に被害を与えないようにし、内部に後退していった蟻型魔物の再派遣を避ける為。

 そしてもう一つは、突入していった2機の退路を塞がない為である。


 小型の魔物相手ならば、外様のグレアはともかく「隻翼」の名を背負うエルザが負けることは考えられない。

 背後から強襲してきた出戻りの兵隊蟻とて、彼女の炎ならば容易に殲滅できるに違いないし、グレアにしても皇女自らが傭兵として推薦してきた人物だ。


 だが……最深部にいる奴等の親玉となれば、話は変わる。もしも王都に現れた『「強欲」の魔龍』クラスの怪物であったならば、敗走の可能性も大きく考えられる。それだけ、あの怪物は規格外だったのだ。フィアーと、そして……青龍騎士団団長、「フェルミ・カリブルヌス」の活躍がなければ今頃どうなっていたことか。


「姫様、戦況は優位に進んでおります。二等騎士エルザ殿とグレアさんの状況は、術式確立が出来ずに伝わってきませんが……彼等であれば、余程のことがなければ」


「えぇ、結構です。黒武はそのまま、貴方の采配で戦闘の継続を」


「承知致しました」


 皇女の指示を、頭を下げ拝命するブラン。


(この短期間で、随分と風格を得られたものだ)


 彼の抱いた感想は、それに尽きた。

 今の彼女は、父君がフェルミ団長や「黒騎士」アレスの言いなりになることに癇癪を起こし、招待の見えない暗殺の手に怯えて続けていた頃の彼女ではない。


 好悪によらず、あくまで論理的思考に基づいて行動の是非を判断する。そんな彼女の立ち居振舞いは正しく、ワルキア王族の風格を得たものである。


「ところで……「アティネ」に通信を繋いで戴いても構いませんか?」


「は!」


 そんな彼女が、赤鳳騎士団の船舶への通信を指示する。

 そして通信士が術式通信を接続すると……向こう側の艦橋の映像が、即座にブラン達の居る艦橋上部へと投影された。


「―――聞こえますか、アティネの皆さん?」


 その映像に並ぶのは、艦長と航行に従事する騎士達、そしてフードを被ったトールと、リア、フィアーだ。


『聞こえております、姫様。戦況は―――』

『あ、テミスだ!』


 アティネの艦長が返答する前に、リアが映像に映ったテミスを見て声をあげる。

 そしてそれにワンテンポ遅れて、フィアーが「おー」などと、投影技術に対して間抜けな声をあげる。

 それに対して一瞬柔らかな笑顔を見せたテミスだが……直ぐ様、「アルテミア・アルクス・ワルキリア」としての顔に切り替える。


「艦長、戦況については把握しています。先行させた二名については?」


 毅然としたその態度に、艦長は直ぐ様跪き、主君足る王家の姫君へと報告を行う。


『はい、通信術式は高濃度の汚染魔力のせいで繋げそうにありませんが、依然接続自体は継続されております。エルザ隊長に限っては、任務を達成できぬことはないかと』


 そう告げる彼の声色に、一切の迷いはなかった。


 ……エルザ・ヴォルフガング。

「魔龍戦役」や、それ以前の戦乱においても一騎当千の活躍を何度も演じた、若き女騎士。

 母を喪い、友を喪ったその生涯は波乱に満ちたものであったが……それ故に、彼女は絶対的な自信と、信念と、そして力を得た。

 そんな彼女がこのようなところで倒れる筈がない。それは過信ではなく、確信。共に戦乱を潜り抜けてきた赤鳳の騎士達ならば誰もが持つ信頼そのものである。


「結構です。ではそのまま、キュイーヴル三等騎士とエクラ三等騎士には継続して前線での陣頭指揮を頼みます。アティネは現状の位置で待機を」


『は、承知致しました、姫様』


 彼等のその思いとエルザ自身の実力を受けて、テミスは作戦の続行を指示する。

 エース二騎による突貫作戦、ゴリ押しにも見えるものではあったが……蓋を開けてみれば、なかなかどうして合理的だった。個人間の能力差が如実に現れる「マギアメイル」という兵器の運用としては、最上とも言える。


 魔物というものにしても、規格外の存在であるが「コアが破壊されれば消滅する」、「供給魔力がなければ消滅する」という点においては極めてシンプルな生態をしている。それらが噛み合った結果が、現在のワルキア式対魔物戦法を確立しているのである。


 ……勿論、同じ「人間」、マギアメイルが相手となる反乱軍戦ではこうはいかない。だからこそこれは前哨戦ですらなく、単なる害虫駆除の域を留まらないのだ。


 そこまで思考したところで、テミスは息を吸い、話を区切る。


「それと―――」


 ここからが、一番の本題。

 彼女は深く溜めると……その名前を呼ぶ。


「フィアーさん!」


『え?あ、はい』


 その宛先はフィアー・アーチェリー。

 民間人であるにも関わらず、ブランの計略であれよあれよと戦場に連行されてきた自身の恩人だ。


 そんな彼に、テミスは告げる。

 今一番伝えなければならないこと。彼女が胸のうちに秘めていた、思いの丈を。


 心からの、要求を。





「くれぐれも、絶対に!出撃はしないように!」



『はい……』


 ―――瞬間、フィアーの顔が暗くなる。

 表情にはあまり現れていないが、凄く落ち込んでいる。テミスはそんな様子に、背景を見て僅かに苦笑する。


『大丈夫、わたしからもきつく言ってるから!ね、フィアー?』


『はい、わかってます……』


 隣にいた彼の義姉、リアもフィアーの手を握って笑顔で告げる。

 ……目が、笑っていなかった。

 フィアーの手が僅かに震えていることから、戦闘の開始から一度か二度、「やっぱりボクも出撃したほうが……」などと口走ってしまったことが窺える。


 だが……まぁリアがいれば大丈夫だろう、とテミスは安心する。

 先の消滅事件のこともあって、フィアー自身かなり落ち込んでいるようだったからだ。それでも出撃を、などと言ってしまったなら、それは彼が自身がしてしまったことに対して責任を感じているからに違いない。


 フィアーは埋め合わせたかったのだ。何か、仕事を完遂することで、自分の与えた損害以上の働きをしたい、と。


 けれど、それはテミスやリア、他の騎士達が求めているものでは決してない。

 戦場に引っ張り出されて、まるで決戦兵器かなにかのように扱われて……それだけで、禊には十分すぎるほどのことなのだから。


 ……閑話休題。

 ともかくフィアー達の安全を確認したテミスは、安心したように笑顔で答える。


「よろしい!では通信を終えます!」


 手元の術式盤を操作し、アティネとの接続を切断する。

 そしてリアとフィアー、二人の姿が見えなくなると……彼女は小さく息をつき、椅子につく。


「ふぅ……」


 そんな彼女の姿をみたブランは……思わず、笑ってしまう。


「……ふふ」


「?、なに、ブラン……」


 成長し、自分の遠くにいってしまったかのようにも思えたテミス。

 だが……その本来の年頃らしい、少女らしい姿を久しぶりにみた気がしたからだ。


 それがあまりにもおかしくて……つい。


「―――いえ、なにも?」


 ブランはそれからも、実務を行うテミスの背を……まるで、「父親」のような眼差しで、見守っていたのであった。

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