第三章2話:悪夢 - Drawn truth -



 ―――フィアー・アーチェリーは、途切れた意識の中で夢を見た。




 そこはいつか、彼が夢の中でやって来たことのある大図書館だった。

 ―――あれは確か、テミスと初めて出会った日だったか。


 積み上げられた本の山と、辺りに立ち込める不穏な霧。その光景の全てが、以前にこの夢を見た時と一切相違のないものだ。


「―――誰か、居る?」


 不意に、辺りに声をかける。

 誰に向けてか、は言うまでもない。


 前に此処の夢を見た時に出会った、あの美しい紫紺の髪の少女。

 彼女が夢の中で渡してきた本は、何故か現実で目を覚ましたフィアーの手にも握られていた。


 ならばきっとこの夢を見せている存在こそが、かの少女であるに違いない。


 そうしてフィアーが辺りをキョロキョロと見渡していると、本棚の間から人影がゆっくりと顔を出す。


「……あら、ここが夢の中であることにもう気付いているのね?」


 その声の主は、もちろん夢の中で会った少女だ。


「君の名前は……ヴィオレ、でいいのかな」


 フィアーは彼女に向けて確認する。

 部屋におかれていた紫の本、そしてそれと共に置かれていた便箋。



 親愛なるカゾクへ。




 ―――ヴィオレより。



 そこに書かれていた名前が、彼女のものであるのならば、きっと。


「……ふふ、私の名前、覚えててくれたのね」


 対する少女―――ヴィオレは、フィアーからの言葉を噛みしめるようにうん、うんと頷いてから言葉を紡ぐ。


 その表情はどこか嬉しげだ。だがフィアーには彼女が何故喜んでいるのか、欠片も理解できない。


 一体彼女は何者なのか。

 現状はおそらく記憶を喪う前の自分の知り合いだろう、というくらいしか彼女に関することは分かっていない。

 他に分かっていることといえば何故か夢の中にしか現れないこと、そして彼女が夢の中で渡してきた本は現実世界にも出現したということだ。


 ―――正直、訳がわからなかった。


 そんな気持ちを胸に抱きながら、ヴィオレへと一つの言葉を告げる。


「多分キミは、ボクが記憶を取り戻すための数少ない手がかりだから」


 フィアーからすれば、彼女は初対面かつ正体不明の存在でしかなかった。

 そんな彼女のことを記憶に留め置いているのは、一重に彼女が自身の出自になんらかで関係している可能性があると信じているからだ。


 そうでなければ、初対面の人間のことなどこうも鮮明に覚えていることはないだろう。


「――――――」


 たがその言葉に、ヴィオレは突然俯く。


「……えぇ、そうよね」


 その表情は、悲しんでいるような、悔しがっているようなものだ。


「私と貴方の関わりなんて、もうそれだけなのだから」


「……?」


 ヴィオレは顔を俯かせ力ない声でそう告げる。


 ―――その反応も、フィアーからすれば訳が分からないものだ。

 当たり前のことを当たり前に口にしただけなのに、なぜ彼女は傷付いたような反応をしているのか。


 なんだ、この気持ちは。

 まるで、自分が残酷な事をしてしまっているようなこの酷く奇妙で、意味のわからない感覚。


「……こほん」


 フィアーが怪訝に思う中、ヴィオレは咳払いをする。


 ―――その後そのことについて、フィアーは追求することはなかった。

 彼女が露骨に話を切り替えようとしたことはフィアーにも分かったし、それを咎める理由もなかった。


 全部、自分の記憶が戻りさえすれば分かることなのだから、彼女の気分を害してまで掘り下げることはむしろリスクが大きい。


 ―――それに、彼女のことをこれ以上考えると頭が痛くなる。


「それで?あの本の内容は読んだのかしら?」


「……あぁ、読んだ」


 仕切り直し。

 ヴィオレからの問いに、フィアーはすぐに答える。


「『水晶界クリスタリア探査計画』、なんてワケわからないものの概要をね」


 フィアーはつい先程見たばかりの内容について、険しい顔で言葉を紡ぐ。


「……なら、この世界がどういう成り立ちで産まれた場所で、自分がどういう存在か、もう分かっているのよね?」


「……」


 ―――沈黙。

 フィアーはそのことについて、返答することはなかった。

 求め続けた真実。

 自分がどのような存在で、何故記憶がないか。

 それは理解できた。それはいい。


 だが、それを認めてしまうと、もう一つの重大な真実も認めなくてはならなくなる。


 ―――そうなればそれは、自分だけの問題ではない。

 それこそ、この世界に生きる人々すべてに関わる―――



「―――まぁ、いいわ」


 フィアーの沈黙から何かを察したのか、ヴィオレは諦めたように話を切る。


「目が覚めた時、貴方はここで得た知識もなにも、朧気にしか覚えていられないのだから」


 その言葉に、フィアーは納得を覚えた。


 ―――最初にヴィオレと夢で出会ったあの日。

 夢から覚めた後、あの図書館について覚えていることは極端に少なかった。


 覚えているのは一人の少女の出会ったことと、本を渡されたことくらい。


 つまりは、夢の中での記憶を覚えているかどうかは彼女の匙加減なのだ。


 これでは次に目を覚ました時、ヴィオレと再び出会ったことを覚えているかもわかったものではない。


「―――やっぱり、本当の自分を取り戻すにはあそこにいくしかないって訳か」


「……貴方も、に向かおうとしているのね」


 フィアーの決意を伺わせる声を、ヴィオレは聞き逃さない。


「「―――トゥルース、遺跡」」


 二人は同時に、ある場所のことを口にする。


 フリュム帝国領最南端にある、先史文明の遺跡。

 そこには未知の道具や、マギアメイルの雛形のようなものが大量に放棄されていると伝えられている。


「……」


「そこは、一体何なんだ?」


 ひどくアバウトな問いを、ヴィオレにぶつける。

 だがフィアーは、他に言葉を持たなかった。


 フィアーの脳裏を時折霞める異界の記憶。そのなかで見た兵器とよく似たものが、その遺跡にはあるという。


 恐らくは、外にゆかりのある―――


「……過去の遺産よ。それ以上でも、それ以下でもない」


 ヴィオレはやれやれ、といった様子で不承不承に返答する。


 そしてその言葉は、フィアーの決意をより堅い物とするに十分すぎるものだった。


「……わかった。この世界の過去がそこにあるのなら、きっとそこがボクの目的地だ」


「止め、ても無駄でしょうね」


 ヴィオレは、諦めた、といった表情でフィアーを見据える。

 それはまるで、旧くからの友人を見送るような、郷愁を覚えるもので―――


「……あぁ」


 だが、フィアーはその感覚を振り払う。


 彼女とは、他人なのだ。

 もし彼女が自分のことを知っていたとしても、それはきっと今の自分ではない。


「皆の助けのお陰で、フリュムに向かえるんだ。過去に怯えて立ち止まってなんていられない」


 ―――だから今は、フィアー・アーチェリー今の自分としての目的を遂げなければ。


「……変わらないわね、貴方は」


「……」


 ヴィオレの言葉で、フィアーの予想が確信へと変わる。

 彼女は、自分をよく知っている。


「……貴方の目的地が分かったから、私の目的は達成。それじゃあ、お暇させてもらうわ」


 そうして、ヴィオレは背を向けて図書館を後にしようとした。


 そして最後の去り際、彼女は振り向き告げる。


「……じゃあね、一矢いっし


 ―――その名前を呼ばれた瞬間。


「―――ちょっと、今なんて……」


 自分の中で、何かの枷が外れた。

 フィアーの表情が、この世界に来て初めて悲壮に満ちたものへと変わる。


 ―――あぁ、あぁ……!


 そうだ、そうだ!

 自分は、自分の名は―――!


「待っ――――!」


 思わず、彼女を呼び止める。

 ―――その一瞬ヴィオレが心底驚いたような表情で、こちらを見つめたその時。



 ―――その瞬間に、意識を失うときに似た感覚がフィアーを襲った。


 それはまるで、無理やりに現実に引き戻されるような、そんな感覚。


 視界が、眩しく、暖かな光に包まれる。


 ―――そうしてフィアーは、夢の中で再び意識を失い、現実への帰還を果たしたのであった。





 ◇◇◇




「―――嗚呼、本当に」


「記憶を失っても、その身体が別のものへと置換されても……貴方の真っ直ぐな心根は変わらないのね」




 ◇◇◇




「―――!」


 ―――眩しい光に、フィアーは目を覚ます。


 そこは巡航艦「ヘパイストス」の甲板。

 フィアーが本を読んだ直後に意識を失った、まさしくその場所だった。


辺りは既にだいぶ明るくなっており、フィアーが意識を失った夜から、数時間が経っていることが伺える。


「夢、か……」


 フィアーはガンガンと痛みの響く頭を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。


 ―――何かを夢を見た気がするがいまいち、はっきり思い出せない。


 そして手元の本を見据え、昨日の出来事を思い出した。


 信じられない真実。

 これは誰にも言ってはいけない。確かにそう感じた。


 ―――だが、これは個人が抱えるには、あまりにも大きすぎる重荷だった。


 正直、誰かにすぐに話してこの荷物を分かち合いたい。

 少しでも、楽になりたかった。


「……せめて、リアには……」


 ―――そう考えた瞬間、大きく首をふる。


「いや、誰にも言えない、か」


 むしろ大切なリアにこそ、一番知らせたくない事実だ。

 聞く人が聞けば、それこそ精神が崩壊したりしたとて不思議はないような話だ、なんとしても隠し通さねば。


(この世界が―――)



 そう、言えるわけがなかったのだ。


 ―――この世界が、別の世界の人類に造られた「虚構」かもしれない、だなんて。



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