第三章3話:狭間 - boundary Line -
朝日が射し込む部屋の中。
金色の髪の少女、テミスは一人、呟く。
「……おはよう、おにいちゃん」
それは同じくこの部屋に居る、もう一人の人物に向けられたものだった。
―――だが、彼女の言葉の宛先であるはずの青年は、依然として目を覚ます様子はない。
そのことに小さくため息をつくと、テミスは窓から外の景色を見据える。
映る光景は少しずつ、砂漠から平原のそれへと変化している。
―――きっとそろそろ、到着だ。
「ごめんなさい、おにいちゃん。私、貴方が目を覚ます姿を見届けることはできないみたいです」
瞳を開く兆しすらないシュベアへと、テミスは悔いの言葉を口にする。
自らと亡き家族たちの為にその身を犠牲にした彼の元気な姿を、最後まで見届けたかった。
「……でも、行かなくては」
だが、ここで立ち止まってはいられない。
後ろ髪を引かれる思いは多分にあるが、それでも。
「私は、ワルキアの皇女なのだから」
―――一国の皇女として、使命を果たさなければ。
そんな決意と共に、彼女はシュベアへと最後の言葉―――否、再び逢いまみえる為の挨拶を口にし、扉を閉じた。
「―――いってきます」
◇◇◇
「―――もうすぐ、砂海の端に出る」
壮年の男性、砂賊団「ヘパイストス」の団長であるガルドスの声が艦橋に響く。
周辺は既に砂漠、といった様子ではなく、砂も途切れ途切れとなってきていた。
辺り一面オレンジ色の砂ばかりだった光景に、徐々に緑が混ざり始める。
そこは正しく正しく、砂漠と草原の境だ。
「そろそろお別れだな、三人共」
艦橋で辺りを見渡すフィアー達へガルドスが声をかける。
―――朝の一件から数時間。
フィアーは甲板から船内に戻り、食事等を済ませてからこの艦橋へとやってきていた。
彼が到着した時には既にリア達が先に居り、心配の言葉をかけられたりもした。だが。
―――「夜まで遊んでいて疲れたからか艦橋で寝落ちした」。
そんな半分本当の嘘を告げると、二人はそれを信用してそこまで追求してくることはなかった。
―――言えるものか、変な本を読んだら気絶していた、などと。
フィアーは胸中でそう独白する。
なんとしても、不審がられてはいけない。
もしも本を誰かに読まれてしまったら、この良好な関係性は崩れてしまう。
それだけは、断固として避けたかった。
そんな事を延々と考えていたその時。
「―――悪いな、坊主」
「えっ……」
―――唐突に掛けられた言葉に、背筋が凍る。
まさか今自分が秘密を抱えていることに気付かれてしまったのではないだろうか、と。
そうだ、確かガルドスには、嘘を見抜くような力があるのではなかったか。
―――いや、あれはブラフなのだったか?
フィアーは混乱する。
頭が働いていない。そんな感覚を自分自身でも認識してしまうほどに、今の自分は情緒が不安定になっているらしい。
「?、どうした」
そんなフィアーを心配してガルドスは顔を伺う。
だがそれに対して、避けるようにフィアーは俯き呟く。
「いや、別に……」
「―――ほら、坊主のマギアメイルのことだよ」
「わりぃな……流石に損害が大きかったのと、『
「あ、あぁ……」
―――安心した。
フィアーは内心、胸を撫で下ろす。
てっきり本の内容を悟られたのかと気が動転していた。そんなはずはない、だとしたらこんなに気軽に自分に話しかけてくれるはずがないだろう。
―――彼らからすれば、
フィアーは頭を抑えて考え込む。
そんな当たり前のことにも気づけないほど、自分の視野が狭まっているだなんて。
「それなら大丈夫ですよガルドスさん!」
そんな胸中を知ってか知らずか、リアは話しに混ざりにくる。
「私たちには『
リアとテミスとが乗っていた『
その居住スペースは他のマギアメイルとは比較にならないほどに利便性に富んでおり、もはや家としての使用にすら堪えうるものだった。
例えフィアーがそこに加わったとて、その快適さが損なわれることはない。
「そうですね、あの広さなら、例えフィアーさんがいても大丈夫かと」
―――唯一の懸念は、義理の姉弟ですらないテミスが男性であるフィアーと同じ空間で暮らすことに忌避感を覚えることだったが、それも既に解決されていた。
この一週間ほど、砂漠で様々な事態に見舞われるなかで、テミスはかなりフィアーへと好意的になっていた。
最初は怖い人、という印象が強かったフィアーだが、その印象はこれまでの様々な関わり合いにやって大分払拭されている。
地下で誤解からシュベアに浚われた際のこともそうだ。彼に助けられ、彼の説得によってテミスはシュベアとの和解を遂げることができた。
言うなれば命の恩人。そんな相手を無下にするほど、皇女である彼女の器量は小さくはなかった。
「そうか?すまないな……今度またどっかで遇うことがあれば、何かしらで補填をさせてくれ」
「なんであれば、普通に仕事を頼みたいくらいだ」
ガルドスはそういうと、リアに微笑みかける。
それに対してリアはサムズアップをしながら、
「うん!ワルキア王都一の運び屋、リア・アーチェリーを是非ご贔屓に!」
高らかに、自社の宣伝をかましたのであった。
「……あの、団長さん」
リアとガルドスとの話が終わったその時、テミスが不意に声をかける。
「ん、どうした、王女様」
その様子から、ガルドスは彼女が何かを相談しようと考えてることを読み取る。
「その……おにいちゃ、あ、えぇとシュベアさんのことで!」
一瞬口ごもりながら、テミスは言葉を紡ぐ。
テミスが聞きたかったのは、今尚長い眠りの中に居る傭兵、シュベアのことだった。
―――あれから一週間ほど。
船の設備で治療が続けられていたが、彼が目を覚ます兆しはあまり見受けられなかった。
危篤状態からは抜けて久しいものの、テミスが船を去るこの日まで、ついぞその瞳を開くことはなかったのだ。
「その、彼が目を覚ましたら……」
テミスは少し不安だった。
砂賊の人々は想像以上に友好的に接してくれた。
が、それはあくまでも自分達が客人扱いであったから、その一点に他ならない。
だが、シュベアは違う。
この船で砂賊相手に戦闘を繰り広げ、船体に穴まで開けるほどの騒ぎを引き起こした。
彼らからすれば、シュベアは不穏分子でしかないのだ。
もしかしたら、なにか……
―――そんな心配そうな様子のテミスに、ガルドスは微笑みかけながら語る。
「あぁ、分かってる。別に、ひどいことをするつもりぁねぇよ」
その言葉は、本心からのようにテミスには感じられた。
そしてその声色には、なにか親しみのようなものが込められていることも。
「目を覚ましたらどうする?無理にでもこの船に居させておくか?」
「……いえ、彼の自由にさせてあげてください」
ガルドスからの提案に、テミスは静かに首を振る。
「多分無理に押さえ付けても、自分で出ていってしまうような人でしょうから」
―――それは紛れもない事実だった。
10年間という歳月は、彼女が知っていたシュベアを大きく変えるには十分すぎるものだった。
砂漠で初めて邂逅したときや、誘拐され詰問された際の態度からもそれは明らかだ。
和解してからのテミスへの態度は、幾分か過去の彼に近いものであったが、それが彼の素、というわけではあるまい。
「ま、船に穴開けてお前さんを拐うくらいだしな……」
ガルドスはそういうと、テミスに向かって頷く。
「わかった。こっちとしても折角直した船にまた穴を開けられちゃたまったもんじゃないしな」」
「……ありがとうございます!」
その快諾の言葉に、テミスの頬もほころぶ。
この船を発つにあたっての唯一の懸案事項が解決したのだから、それも当然のことだ。
その時、船が少し揺れる。
流れるように移り変わっていた船外の景色はその速度を弱め、ついには停止する。
視界の奥、砂と土のグラデーションの先には、広がる一面の緑が映し出される。
―――旧フリュム帝国首都北部に広がる高原地帯、「ヴァナヒム高原」だ。
「―――さぁ、着いたぞ」
ガルドスの声が、船内に響く。
「―――ここが、「デリング大砂漠」の最北端だ」
その言葉は、砂賊達が客人からの依頼を達成したこと。
―――そして、フィアー、リア、テミス。
三名の少年少女達が、この船からの出立する時が来たことを示すものだった。
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