第三章「亡国の遺跡(前)」

第三章1話:暗夜 - Night of fiction -



 ―――ワルキア王国領と、フリュム帝国領の狭間にある海のごとく広大な大砂漠、「デリング大砂海」。

 そしてその砂の海を巡航する紅い装甲の大型砂航船、「ヘパイストス」。


 その甲板上に、立ち尽くす一人の少年がいた。



 ―――彼の名はフィアー・アーチェリー。

 記憶喪失のままこの魔法が当たり前の世界に投げ出された、不幸な少年だ。



 ―――この世界で目覚めてから、始めの頃は常に疑問と不安があった。

 自分は何者で、ここは何処なのか。

 時間が経てば経つほどに、その疑問は膨らんでいくばかりだ。


 ……だが、いつからだろう。

 この世界で暮らしはじめて早数ヶ月、気がつけば不安は経ち消えていた。


 ―――リア・アーチェリー。


 記憶を喪った自分を見つけ、自分を家族にしてくれた少女。


 今の自分の恵まれた環境があるのは、一重に彼女のお陰だろう、とフィアーは感慨に浸る。

 あの時リアが拾ってくれなければ、自分は今頃どうなっていたことか。

 ともすれば、砂漠で遭遇した魔物に喰われて早々に人生を閉じる、なんてこともあったかもしれない。それを思うと、感謝の言葉が尽きない。


 だからこそ彼女への親愛の情は、この世界の誰よりも強いという自負がある。

 当然だ、大切な家族なのだから。


『貴方は私の、弟なんだから―――!』


 だが、いつからだろう。


『行ってらっしゃい、フィアー!貴方なら大丈夫!』


 彼女に、家族以上の何かを感じ出したのは。




 ―――閑話休題。



 フィアーはひとしきり悩み、答えが出ない思考を閉じる。

 ―――違う、今考えるべきはそれじゃない。


 確かにリアとの事は大切だが、今は他者とのことではなく、自分自身の過去と向き合うことが先決だ。

 本当の自分で、皆と触れあう為にも。


 フィアーの手にはある物が握られている。

 その手に在るのは紫の装丁に金の装飾が施された、一冊の怪しげな本。


 砂漠へと旅立つ前に見た夢の中で、謎の少女に貰った物。

 そして夢から覚めた時、部屋にいつの間にか出現していた出自不明の謎の本だ。


 その存在感は『遺物アーティファクト』と呼ばれるに十分すぎる物で、その質感テクスチャは世界の物質に一切折り合うことなくその異様さを世界に顕示し続けている。


「読むなら、今だよね」


 誰にもなくそう呟く。

 それはまるで、自分自身の不安を振り払うような意思を秘めた一言だった。


 ―――正直にいって、今日までこれを読んでこなかったのは真実を知ることへの恐怖が拭えなかったからだ。

 これを読むことで、何かを喪ってしまうことがたまらなく怖かった。


 それだけ、今のフィアーには周りの環境に恵まれているという実感があったのだ。


「……でも」


 ―――けど、それじゃあダメだ、と声がした。

 今のままで良いのか、と。

 偽りの自分のまま他者と言葉を交わしていても、それは真に彼等の輪に加われたことにはならないのではないか、と慣れ親しんだ自分の声が脳裏に響き続ける。


 それが自分の深層心理上の物なのか、はたまた記憶を喪う前の自分からの警告なのかは分からない。


 だが、その声。

 その衝動に、突き動かされている自分がいたことも確かなのだ。


 ―――だからフィアーは決心した。今日ここで、この本を読むと。


「……よし」


 フィアーの手が、本の表紙にかかる。

 捲ってすぐのページには、本の題名らしきものが描かれている。


 ―――「水晶界クリスタリア探査計画 概案」。


 その言葉が意味していることを、フィアーは始め理解できなかった。


 ―――だがその次のページを捲ったその時、背筋が凍る感覚と共にその意味を理解した。


 否、嫌が応無く理解してしまった。


 フィアーはただ読み進める。

 止まらない冷や汗を拭うこともせず、震えた手でただひたすらと次の頁へと目を走らせた。


 そしてその内容を、「水晶界クリスタリア探査計画」なる何らかの計画の概要を知る。


 そして最後、全ての頁を読み終えたその時、彼は呟いた。



「―――は?」


 ―――なんだ、これは。


 信じられない物を見てしまった、という顔で、フィアーは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


 それほど、彼が見たその内容は突拍子もないモノで、形容しがたいモノで。


「……こんな、もの」


 足が震える。

 感情を失ったはずの自分が、こんな得たいの知れない恐怖を覚えるなんて。


「他の誰にも、見せるわけにはいかない」


 フィアーはすぐに、理解した。

 この内容を、この世界に生きる者、その誰一人にも決して開示してはならない禁忌だと。


 ―――それは世界の在り方、ともすればこの世界に生きる全ての生物の生きる意思を奪うのに、十分すぎる真実だった。



「……戻ろう」


 フィアーは部屋に戻ろうとする。

 頭が痛い。

 こんな真実を抱えたまま、一秒だって起きていたくない。


 そう考えて、立ち上がろうとしたその瞬間。



「――――――!?」




 ―――強烈な立ち眩みと、頭痛がフィアーを襲った。

 それと同時に視界が歪む。


 今の自分が観たことがない景色―――記憶を喪う前に自分が観た景色が、無限にループしながら一秒ごとに切り替わっていく。


 明るい家庭、慣れ親しんだ我が家。


 荒廃し、魔物が跋扈する街。


 暗く狭い、牢獄のような部屋。


 円環の如く循環するその景色に重なるように、無数の声が同時に響く。


『■■、学■の準備まだしてないの?』

『お兄ちゃんいってらっしゃーい、私は今日創立■■■だから』

『■■、気をつけていってくるんだぞ』


 懐かしい声。


 ―――そして、何かが破裂したような、強烈な爆発音。


『痛い痛い■■痛い■い痛■痛い痛い!』

『■を、水をくれ』

『嫌だ、死■たく』

『腕、俺の』


 怨嗟の声。


 鎖の音。


『それでは、水晶界探査計画を開始する』

『また■んだか……次の被検体、44号を連れてこい』

『前回より薬■の投与を倍にする、これで■■化に耐えら■るはず……』

『■■の電■化の成功、成功だ!やはり私は天才だ!』


 ―――そして今までに聞いたどの声よりもひどく不快な声。


 その声が最後に告げた言葉の、嫌に鮮明な声のその最後の音が切れた瞬間。




『―――キミはこれから英雄になるんだ。あの大地に、最初に調査に赴いた偉大な英雄だ!』




「――――――ッ」




 ―――世界は暗転した。


 意識は途切れ、完全に肉体から剥離する。

 現実から引き離され、どこか暗い場所に強制的に引きずり込まれるような錯覚。



 ―――怖い。



 それがフィアー・アーチェリーが意識を喪う瞬間、最後に感じた感情だった。







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