宴話Ⅲ:鼓舞 - Inspiration -


 ―――砂航船「ヘパイストス」の廊下。

長い長い廊下の一角、更衣室の前で、フィアーは立ち止まっていた。



「……あ、グレアさん」


「ん、おお!銀髪の!」


 そこで偶然会ったのは、正に今声をかけに向かおうとしていたグレアだった。


 ―――グレアはあんまり名前を覚えてくれない。

 いや、実は覚えているのかもしれないが、あまり呼んでくれる機会は少なかった。


 なにせ、開口一番に「銀髪の!」と声をかけてくるのがもはやお約束になりかけているほどだ。


「毎度毎度、その呼び方はどうなんだろうか……」


「わりぃわりぃ!あんま名前覚えんの得意じゃなくてよ!」


 そう言いながら豪快に笑うグレア。

 そんな様子を見て、フィアーはもうなにも言えない、ばかりに言葉を呑み込んだ。


 ―――まぁ、この人はこう言う人だししょうがないか、と。


「で、フィアー、俺に何か用か?」


「実は―――」




 ◇◇◇




「……なるほど、な」


 フィアーから宴会の仔細を聞いたグレアは、うんうんと唸りながら腕を組む。


 その表情は神妙だ。

 なにかを深く思案している、厳しい表情。


 ―――やはり、マキエルさんのこともあるし、参加する気分にはなれないのだろうか。


 フィアーはその考えに至り、「もし気分でなければ無理することはない」と告げようとした。


「……気分じゃないか、やっぱり……なら―――」



 だが、その言葉を遮ったのは、グレアの意外な一言だった。



「―――いいじゃあねェか!当然参加するぜ!」



「え、ほんと?」


 グレアの思わぬ一言に、フィアーは思わず聞き返した。


「おうよ!要は飯が大量に食えるってこったろ?参加しねェ理由がねェ! 」


 その返答は、先ほどまであんなにも深刻そうな顔をしていた彼とは思えないものだ。


「……無理、してない?」


 思わずフィアーの口から心配の言葉が出る。


 気丈に振る舞おうとしてくれているのは痛いほどに分かる。

 だが、もし無理してそれを振る舞おうとしているのであれば、今回の宴会がかえってグレアの心に陰を落とすような結果を生むかもしれない。


「―――まぁ」


 そんなフィアーの懸念を受け、グレアは重い口を開く。


「正直、気落ちしてねぇっていったら嘘になるかもな」


 そう告げるグレアの表情は少し寂しげなものだ。


 それを見て、「なら」と切り出そうとしたフィアー。

 だが、それを遮るようにグレアは話を続けた。


「……けどよ!やっぱ落ち込んでるばっかつーのも、性に合わないしよ」


「―――皆で馬鹿やってられるうちにさ、やりてぇことはやり尽くして置かねぇとな」


 そう言い、グレアはフィアーにはにかんだ笑顔を向ける。

 それは決して、無視して作ったようなものではない。

 友人の死を背負って、それでもなおポジティブに未来に向かおうとする、強い意思を秘めた顔。


「だから!俺様は参加ってことでよろしく!」


 フィアーは思わず安心する。


 最近のグレアは目に見えて落ち込んでいる様子で、そのことをガルドスやエリンも心配していた。


 だが、今のこの様子なら、きっと近いうちに前のような明るいグレアがこの船に帰ってくる。

 そんな確信が持てたのだ。


「……うん、分かった。それじゃあエリンさんにもそう伝えておく」


「おう、頼んだぜ!」


 そこまで話したところで、フィアーが「あっ」と何かを思い出したように口を開く。


「あぁそれと、団長さんから伝言。夜、部屋で呑みながら色々話そう、だってさ」


 それは、恐らく今この船で一番、彼を心配している人物、ガルドスからの伝言だ。


 それを聞いたグレアは、思わず頭を抱える。


「……はぁ、俺はオッサンにまで気ィ使わせちまってるのかよ……」


 ガルドスにまで心配されていたことが、グレアのなかでは結構なショックであったらしい。


 そうしてひとしきりウンウンと唸った後、グレアは顔を上げてフィアーに礼を言う。


「分かった、伝言ありがとな。んじゃあ、俺は食堂に―――」


「あ、待って」


 そう言って足を踏み出したグレアを、フィアーは何かを思い出したように慌てて止める。


「食堂にはまだ行かない方がいいかも、エリンさん達が夜の準備で忙しそうだったから」


 エリン達はとても忙しそうだった。


 ―――そして何より、リアは無理やりなにか別の服に着替えさせられているのだ。


 恐らくはなんらかのサプライズ的なものだろう。

 それならば、出来る限りそれが判明しそうな芽は摘み取るべきだ


(それに……)


 もし万が一、リアの着替えの最中にグレアが遭遇するような事態が発生したら―――


 ―――何か、嫌だ。


 よく分からない感情だが、とにかく嫌だった。

 赤の他人に、姉の肌をあまり見せたくない、という弟特有の感情なのだろうか。


 ―――つい一月前に会ったばかりの、偽りの姉弟なのに?


「んぁ、まじか」


 だがそんなフィアーの複雑な心持ちは一切表には現れていなかったようで、グレアは納得したように足を止める。


 今ほど、内心が表情に現れない鉄仮面であったことを感謝した日はない、とフィアーは内心ため息をつく。


「とはいえ夜まで暇だし、どうすっかな……」


 当のグレアは気楽なもので、何もすることがない、とばかりに考えこむ。


「あ」


「?」


「んじゃあ、お前に着いてくかな」


「へ?」


 グレアの唐突な提案に、フィアーは思わず戸惑う。


「どうせまだまだ誰か誘うんだろ?面白そうだし着いてかせてもらうわ!」


 グレアはそういうが、実際船内の人々には粗方声をかけ終えている。


 フィアーの思い付く限りで声をかけていないのは、あと一人だけだ。


「いやまぁ、別に構いやしないけども」


 着いてくる分には特に問題はない。

 だが暇潰しになるかと言われれば微妙だ、一名への連絡などすぐに済むだろう。


 ―――正直、参加の可否が一番読めない人物ではあるが。


「んじゃあ決まりだ、誰んとこ行く?」


 グレアは興味津々に、次の行く先を聞いてくる。


 次に声をかける人の名前を聞いて、彼がどんな顔を浮かべるか。


「それじゃあ―――」


 そんなグレアの、すっとんきょうな顔を見るのを少し楽しみに思ったフィアーは、ギリギリまで誰に会いに行くかの情報を伏せたのであった。



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