宴話Ⅳ:感情 - those Lost -
「―――確かに、面白そうだと思って着いてきたがよ」
階段を下りながら、グレアが突然神妙な面持ちで何か切り出した。
今フィアー達は、砂賊船「ヘパイストス」の最下層エリアへの階段を下りて行っている。理由はもちろんただ一つ、宴会に誘う人物への連絡の為だ。
「?」
―――なぜグレアがそんな反応をするのか、フィアーにはわからなかった。
普段下層にいる機関室の人々は、船が停泊中であることからか甲板で休憩していたので既に連絡を終えた。そして最下層に投獄されていた傭兵達も、今では整備班で汗水流して働いている。
だから、今この場所にいるのは今はただ1人。
フィアーとグレアはその最後の一人に、声を掛けに来たのだった。
「いや分かんだろ!?俺、アイツ苦手で―――」
階段の立ち止まってフィアーに向き直り、そう愚痴をこぼすグレア。
―――その瞬間に彼の背後。階下の暗闇から白く細い腕が伸び、グレアの首へと手を回した。
「―――あらぁ?誰が誰を苦手だって?」
「うおわァ!?????」
突然の襲撃に、グレアは数メートルほど跳躍した後、フィアーの後ろに高速で隠れる。その様子は最早おびえる小動物だ。
そうしてグレアは小刻みに震えながら、フィアーの服の袖をそっと掴みながら恐る恐る前方を見据えた。
「もぅ、心外ねぇ……こんなか弱い乙女相手に、化け物でも見たみたいに怯えすくんだりなんかしてぇ……」
声と突然後ろから伸びてきた手の主は、今まさに呼びに向かっていた女傭兵、エメラダ・ゲヴェーアだった。
―――件の巨大蠍戦から数日、グリーズ公国の傭兵達の処遇は、大きく二つに分かれた。
一つは「どうせ行く先もないのだから」と砂賊船に残り新入りの砂賊となった者たち。
そして「もう一つは砂賊などに隷属したくない」と船を出る事を選択する者たちだ。
―――だがエメラダは、そのどちらでもない、第三の選択肢をガルドス達に提案した。
『私を、貴方たちの傭兵として改めて雇わない?』
彼女は自身の卓越した操縦技術と、自身以外には扱えない『
当然
しかし、彼女の強さは巨大蠍との闘いで十二分に示されている。
砂賊側としても蠍戦で損失した戦力の穴埋めは必要であったし、ほぼ無傷の状態で格納されている『
しかもエメラダは、船に居る間は地下の独房を自室とできればそれでいいと告げたのだ。
船員となった元傭兵達用の部屋が必要となった関係で居住エリアが残っていなかった「ヘパイストス」の中で、普段は使われない独房にそのまま居てくれるというエメラダの提示した条件は砂賊側としてもとても都合がいいものだった。
―――そうしてお互いの利害の一致から、ガルドスはその提案を了承した。
それから数日。
特段大型の魔物や野盗などの襲撃もなく、平和そのものの船上。
エメラダは基本的には自室で寛ぎ、突然に上層の区画に顔を出しては人をからかうような気ままな生活を繰り返していた。
なので今日も、てっきり地下の自室でいつものように化粧したり元傭兵に飯を持ってこさせたりと悠々自適な生活をしているかとフィアーは思っていた。
だが、違ったらしい。どうやらちょうど散歩にでも向かってきていたようだった。
「ッ、うッせぇ!突然現れたら誰でもビックリすんだろ!」
グレアはフィアーの陰からひょこりと顔を出し、顔を赤くしながらエメラダの物言いに不満を表明する。
どうやら、グレアはホラーの類が苦手なようだ。
しかも突然聞こえた声が天敵のエメラダの物ともなれば、その瞬間的な恐怖はとてつもないものだっただろう。
「んー、そんなことはないと思うわよ?現にそこのフィアーくんは欠片も動じてないようだし?」
そういってエメラダはフィアーを見て、少し感心したような顔をする。
「……」
―――違う。
正直とても怖かったが、それが表情に出ていないだけだ。
フィアーは内心未だに少し怯えながらも、それを一切表に出せずに平然とそこに立っていた。
「お前すげぇな……」
グレアもそれを見て、フィアーの落ち着き払った態度に対し尊敬するような視線を向けてくる。
―――正直、あまり嬉しくはない。
このような感想を皆から告げられる度、フィアーは自分の感情が失われていることを嫌というほどに再認識させられていた。
それこそグレアのように、感情豊かに振る舞い皆と触れ合えたらどれほど楽しく、かつ親しくなれることか。
「それでぇ、私に何か用?」
そんなフィアーの思考を断ち切るように、エメラダは話を切り出した。
こんな下層に向かっていた以上、自分に用があるのだろう、と。
「あ、うん、エメラダさん」
エメラダの言葉に本来の目的を思い出したフィアーは、エリンから頼まれた依頼、その最後の対象であるエメラダへと宴会の話をした。
「実は夜に食堂で宴会があるんだけれども、もしよかったら参加しないかなって」
「……ふぅん」
「……」
暫し、沈黙が流れた。
(な?こいつが参加するわけないって……何考えてんのかわかんねぇし……)
グレアはその沈黙を拒否と認識し、フィアーに耳打ちする。
だがフィアーはそれを受けても、じっとエメラダを見つめていた。
「―――それでぇ?酒はどれくらいあるわけぇ?」
「!?」
エメラダの言葉に、グレアが戦慄、いや驚愕する。
「だからぁ、私が呑める酒はどれくらいあるのぉ?」
「―――まさか、アンタ参加すんのか!?」
すっとんきょうな声をあげるグレアを、エメラダは怪訝そうな顔で見つめる。
「当たり前でしょう?酒が呑めるのに参加しないなんてバカのやることだわぁ」
「いや、意外だった……アンタ、こういうのにゃ興味ねぇクチかと」
グレアは心底から意外そうに、エメラダを見る。
確かに、グレアほどではないにしてもフィアーも同じ事を考えてはいた。
それはエメラダが纏う、一匹狼的な雰囲気だ。
加えて彼女は普段、命のやり取りや勝負事を楽しみ、全てを賭けていると公言して憚らない。
だからこのような、行ってしまえば些事には興味を示さないのではないかと。
「あら?私はこれでもそういうの、優先的に参加するタイプよぉ?傭兵部隊の男の子達とはよく呑んでたしねぇ」
だが、それは誤解だったらしい。彼女も彼女なりに、この船に馴染もうと―――
「やっぱり飲み会の醍醐味といえば対決よね対決ぅ!どっちが先に潰れるか、熱い戦いが今から楽しみだわぁ……!」
「あ、やっぱそういう方向性なのな」
―――やっぱり誤解じゃないんじゃないか?
グレアとフィアーはなんとも言えない心持ちに襲われた。
一体、今夜の宴会はどんな混沌たるものになるのか。
不安と期待が、どんどんと参加者達の中で渦巻いてゆくのであった。
◇◇◇
「分かった、エメラダさんも参加って伝えておくね」
「えぇ、頼むわ。……あと、一つ聞きたいんだけれども」
会話を終えてフィアー達が去ろうとした時、エメラダが不意に二人を呼び止めた。
「?」
「その、あの子は……シュベアは元気?」
エメラダが切り出す。
自分の大切な仲間、シュベアの容態は無事なのか、と。
「うん、容態はだいぶ安定したっていってたよ。……まだ目は覚まさないけれども」
―――「ヘパイストス」の傭兵となってから早数日、彼女は一度たりともシュベアの病室へ見舞いに来ることはなかった。
それを船の人々は「いかにも彼女らしい」、とほう思い、特段気にすることはなかった。
戦いにしか興味のない女性だ、傷ついた同胞にもそこまで大きな関心はないのだろうと。
「……そう」
彼女はそれを聞くと素っ気なく、フィアー達を追い抜いて「ヘパイストス」の甲板に出ようとする。
―――だがやはり、エメラダもシュベアのことを心配に思っているのだ。
しかしそれなら、とフィアーは一つの疑問を口にした。
「そんなに気になるのなら、エメラダさんもお見舞いにいけばいいのに」
「…いやよ、面倒くさい」
「ド直球だな、おい!?」
ど真ん中一直線のストレートを投げ込まれたフィアーの後ろで、グレアが驚く。
だがそれを無視して、エメラダは続けた。
「―――それに」
振り向きながら、エメラダは告げる。
「ようやくホントの家族に出会えたんだから、私がいって邪魔するのは少し悪いじゃない?」
その表情は、少し寂しげで、それでいて嬉しそうに見えた。
―――きっと、彼女は彼女なりにシュベアのことを大切に思っているのだ。少なくともテミスとの再会の顛末を知って、お見舞いにいくことも遠慮するほどには。
「……そういうわけだから、私は行くわ。また夜にね、坊や達」
そういってエメラダは、グレアの頭をポンポンと叩いてから一足先に外へと繰り出していったのだった。
その場に残されたのは、不満そうな顔を全開にするグレアと、無表情なフィアーのみだ。
「んだよ、最後までガキ扱いしやがって……なぁフィアー?」
グレアはエメラダの背を見送りながら、悪態をつく。
だが、それに返してくる言葉はなかった。
「……」
フィアーはただ無言でエメラダの去った後の階段を見つめる。
その様子に気付いたグレアはそのことを不思議に思い、フィアーに問いかけた。
「どうした?ボーッとして」
その言葉に、ふと我に帰ったかのようにフィアーは顔をグレアに向ける。
その表情は依然、無表情だ。
「……皆、いろんなものを抱えて、いろいろ考えて……色んな表情をしてるんだなぁって」
―――フィアーは深く、考え込んでいた。
どうして自分はこうも、無表情なのかと。
この世界に生きる人々は皆、毎日を表情豊かに過ごしている。それはたとえ、辛い目にあったとしてもだ。
喜び、苦悩、悲しみ、怒り。
それが抱き、表に出して表現できるのが、人間という生き物だ。
だが自分にそんな機能はない。
たとえ心のなかで何を思おうとも、それが他者に伝わることは決してないのだ。
例えばフィアーが心のうちを誰かを説得しようとしたとする。内容はなんでもいい。誰かへの告白でも、なんらかの説得でも。
もちろんフィアーは丁寧に言葉を選び、相手を感動させるように自分の考えを伝えようとする。
―――だが、感情を一切伺わせない無表情で何を言われたとて、一体誰の心が動かせよう。
答えは簡単、不可能なのだ。
リアやテミスのように、比較的共に過ごした期間が多い人ならば察してくれるようなこともあるかもしれない。
だが、例えば最初から敵対的な人物であったら?もしくは無表情な自分に対して忌避感を抱いてるような人物だったなら?
何も、伝わりはしない。むしろ、相手の敵意を悪戯に刺激するだけの結果に終わる。
―――自分は一体、どうしてこうなってしまった?
問いに、答えはない。
記憶もない、表情も失われた。
自分では感情的だと認識しているこの独白にだって、それを一歩引いた目で見つめている自分自身がいるのだ。
記憶もない。
―――そしてきっと、心もない。
そのことがたまらなく不快で、恐怖すら覚えた身はすくみ、無意識に宙を見つめていた。
「へ???」
―――だがそんなフィアーの苦悩に塗れた内心も、グレアには伝わらない。
理由は簡単、普段と変わらない無表情だからだ。
「当たり前だろ?人間なんだからよ」
「……そうだよね」
その返答に、フィアーは俯く。
グレアからすれば、なにがあったのか分からないといった形だ。
「―――それが、普通の人間だよね」
―――そんなフィアーの心の中は、渇望に染まっていた。
記憶と心、自分が失ったものを取り戻す―――そんな決意が胸中に改めて、強く燃え上がった。
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