第一章9話:前兆 - Omen -
―――そこは、正方形の部屋だった。
ただ黒い暗黒の空間。
その中を、光が電子基盤のような軌跡を描きながら定期的に飛び交っている。
どこまでも続く深淵、果てのないセカイ。
その中で、白いテーブルと白い椅子。そしてそこに座る二人の人物の姿だけが日に明るく照らされたように浮かび上がっていた。
―――一人は女だ。
黒と紫がグラデーションとなっている艶やかな髪と、紫紺の吸い込まれそうな瞳。
その衣装は黒と青に彩られ、暗闇の中で鮮やかにその存在感を発揮していた。
見た目は幼い少女のようだが、その醸し出す雰囲気は年相応のそれではない。妖艶とすら言えるほどのものだ。
女はカップに注がれた茶を一口飲むと、おもむろに口を開いた。
「―――それで?水晶の様子はどうだったの?」
「……もう限界だな。今でこそギリギリ聖石としての性質を保っているが……いずれは、前のアレと同種のものに堕ちるだろうさ」
そう話したのはフードを被った男だ。
「その前にあちら側に転送したいと思ったんだが……今の
「……なるほどね。やっぱり
女はそう言うと、再びカップに口をつける。
その表情から、その思惑を伺い知ることはできない。
「だがどうする?
「……今だけは、彼らが羨ましいわね」
女は悲しげな顔で天を仰ぐ。
それは、この部屋に二人が集まってから、初めて見せた、人らしい感情のある表情だった。
「羨ましい?
「えぇ、彼らには潤沢な時間がある。それこそ、
「410……いや」
「―――41年続いたことこそ、奇跡だったのよ」
◇◇◇
日はだいぶ落ちかけ、王都は既に橙色に染まろうとしていた。
―――あまりにもフィアーの帰りが遅い。
そのことを心配に思ったリアは、町の中へフィアーを探しにきていた。
いくら自分が『
当然、フィアーが最初に散歩に行きたいと言い出した時もそれは思った。
しかし朝起きて以降、極度に落ち込んでいたフィアーから、初めてされたお願いを断れなかったというのが正直なところだった。
身寄りのない上に記憶喪失となったフィアーの小さな願いを無下にすることが、リアには出来なかった。
―――しかし、土地勘もない彼を一人で出したのは、大きな失敗だった。
これでは、姉失格だ。
そんな調子で、道中脳内で反省会をしながらもリアは工業区域まで来ていた。
「どこいったんだろ、フィアー……」
リアはきょろきょろ、と辺りを見渡す。
「ん?」
すると、リアの目前にある通りに何か人だかりが出来ていた。
―――どうやら喧嘩かなにからしい。
「あー、いつものか……」
―――リア達ワルキア王都、特に工業区域の近くに住む人間にとって、これは日常の光景だ。
町のジャンク屋親子の喧嘩。
これは工業区画の名物といっていいほどに、連日行われていた。
―――エンジ・ヴォルフガング。
凄腕の技術者である彼はそれと同時に、
王都の中でも飛び抜けて有名な変人であった。
なんでも自分の手で作りたがる男で、決して他人の手を借りようとしない。
以前彼が魔動車を作ろうとした際には、彼が作った独自規格の動力が暴走。近隣の工場の壁を十枚破ってなお直進を続けるという大事故を引き起こしたという。
噂によれば最近はマギアメイルを作ろうとしているようだが、例によって自分の手で作ることに拘り、工教会にすら持っていこうとしないらしい。
その娘、エルザ・ヴォルフガングはなんと、王国を守る大騎士団の一つ、赤鳳騎士団。その第一部隊隊長だというのだから驚きだ。
よほど母親がちゃんとした人物だったのだろう。そういえば、父娘の喧嘩に母親が出てきたのを見たことはないが、はてさて。
そんなことを考えながら騒ぎの中心を見ると、ずんぐりむっくりのマギアメイル、そして案の定、件の父娘の姿があった。
だが一つ、奇異な物がリアの瞳に映る。
―――驚いたことに、あのガラクタのようなマギアメイルが動いている。
緩慢な動きではあるが、器用な手先でエンジの工場に物資を搬入していた。
「さっすがだ坊主ゥ!やはりワシの理論は正しかったァ!」
「ウソ……父さんのマギアメイルが動くなんて……」
そこには大声で自分の成果を喧伝する父と、それを見て信じられないような顔をしている娘の姿があった。
父親の方はマギアメイルの一挙一動に反応し、歓喜の声をあげている。
―――一体誰が運転しているのだろう?
するとマギアメイルは物資の搬入を終えたようで、ゆっくりと膝立ちの姿勢になり操縦席が開いた。
その中から、銀髪紫眼の少年が這い出てくる。
「フィアー!?」
「あぁ、リア来てたんだ」
軽い調子でリアに手を振る。
―――まさかフィアーにマギアメイルが操縦できるとは思わなかった。昨日ちょっと話した限りだと、『
リアは考えながら、フィアーの元に駆け寄ろうとする。
するとその前に、エンジが高速でフィアーの元に走り、肩を組んだ。
「ありがとうなぁ、坊主!お前さんのお陰で、ワシの理論がついに完成を迎えた……!」
「操縦、楽しかったです」
――だが、そんな二人の話からリアはなんとなく事情を察する。
たぶん喧嘩してるなかにフィアーがふらっと現れて、巻き込まれたのだろう。
「……はぁ、フィアーが無事でよかった……」
「あなた、もしかしてこの子の知り合い?」
安堵するリアに話しかけてきたのはエンジの娘であるエルザだ。
ひどく申し訳なさそうな顔で、リアに謝罪する。
「面倒事に巻き込んじゃってごめんなさいね……父さんいっつもああで…」
「いやぁそんな!フィアーも楽しかったみたいだし……」
―――そんな話をしていると、周りにいた市民達がざわつきだした。
何事かと、人混みの中心にいた四人も辺りを見る。すると、マギアメイルを囲むように居た市民達は、皆一斉に同じ方向―――王城の方角を見つめていた。
「なに、どうしたの……?」
「―――リア、あれ」
フィアーが指差す。
「―――おい、水晶が……」
市民の一人が口にする。
リアはフィアーの視線の先を見た。すると、
「何……あれ」
―――瞳のなかに、異常な何かが映し出される。
城下町にいる誰もが、フィアーと同じように王都の象徴であるワルキア王城の頂上を、食い入るように見つめていた。
かつてそこにあったのは、淡い紫色をした美しい水晶だった。
王国の誰もがそれを敬い、崇め奉ってきた謂わば御神体。
あれほど美しいものは他にないと誰もが信じてきたこの国の象徴。
―――だが今そこに在るモノに、その美しさの面影はない。
神聖な水晶体とは、根本的に性質が違うなにか。
そう、そこに写し出されていたのは―――
「水晶が……」
―――城の頂上の大水晶が、暗雲を伴いながらどす黒く染まっていく、異常な光景だった。
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