第一章7話:串揚 - Kushikatsu -
「……起きなさい、起きなさいフィアー!」
そんなリアの声で、フィアーは目を覚ました。
まだ眠い。そう思いながら布団を頭まで被る。
フィアーが寝ていたのは部屋備え付けの二段ベッドだ。
木製でありながらもガッチリとした造りをしており、寝心地がよい。
他人の家とはこれほどまでに寛げるものか、とフィアーは驚き、そしてすぐに思い出す。
―――そうだ、もう自分たちは姉弟なのだった。
「もう朝でしょ?早く起きなさい!朝ごはんもう準備したんだから!」
姉というより、むしろ母親のようなことを言いながらリアはフィアーの布団を剥ぎ取る。
―――寒い。
今の季節は春なのだろうか、いやそもそも季節がここには存在するのだろうか?
そんなことを考えつつフィアーは渋々布団から起き上がった。
すると部屋のテーブルには、様々な品が皿に載せられ並べられていた。
目玉焼きや、何かの野菜を煮込んだスープ、そしてパン。とても美味しそうだ。
「ほら、顔洗ってきて!早く食べましょ!」
そう促され、フィアーは昨夜案内された洗面所に向かう。
洗面所には鏡や洗面台があり、そして部屋の隅にはなにかの機械が置かれていた。
―――洗濯機だろうか?、少なくともそれに近しいものだと思われる。
しかしそこにはボタン類は存在せず、一箇所に何か水をモチーフにしたようなマークが見られるだけだ。
フィアーがふと、そこに手をかざすと、急に空中に、マギアメイルの中で見たような表示が飛び出てきた。
< 魔力供給:未確認 >
< 洗浄術式:起動不能 >
そこでフィアーはなるほど、と気付く。
これはきっと、リア達が持つあの魔法の力を使って動く機械だ。おそらく魔力を持った者が手をかざすと、勝手に洗濯をしてくれる魔法が起動する。そういう仕組だろう。
フィアーはそう仮説を立てたところで、一つのことに気付いた。
―――そうか、自分には魔力がないのか。
改めてフィアーはその事実を認識する。
それは、あの『
昨日街で見た通り、どうやらこの世界の住人のほとんどは魔法を使用することが出来るようだった。だとするならば、それが使用できない自分は。
―――そう考えた瞬間、フィアーの脳裏に鋭い頭痛が走った。
「…………ッ!」
脳に直接何かを刺されたかのような痛みが響く。
それと同時に、何者かの声も。
(水…を回…………お前は…………)
ひどくノイズが混ざって、その声が何と言っているのかは断片的にしか聞き取れない。それはまるで、圧縮に失敗した音声ファイルのようだった。そんな不愉快な音が、残響の如く脳内に響く。
割れるような痛みと不快な音が頭を支配する中、フィアーは何か、知らないビジョンを目にした。
それは街だ。ビルが立ち並び、道路には車が行き交う、普通の街。そんな中に自分が立っている。そうだ、ボクは。
俺は―――。
「フィアー?どったの?」
―――居間からリアの声が聞こえた瞬間、ふっと痛みが遠のく。
自分は今何をしていたのだったか。
そうだ、顔を洗おうとしていたのだった。そう思い直した瞬間、先程まで見ていたビジョンが頭の中からふっと消える。
どんなフラッシュバックを見ていたのか、思い返そうとしても思い出せない。
フィアーは頭を振り払う。
なにはともあれ収まったのだ。早く顔を洗って、リアの元に行かねば。
そう、努めて忘れようとして、フィアーは蛇口の水を出した。
◇◇◇
「ふぅ……」
あの頭痛に苛まれた朝から、数時間が経過していた。
すでに日は高く、暑いくらいの日差しが降り注いでいる
―――フィアーが来ていたのは商業区域だ。
頭痛、そして不可思議なフラッシュバックに苛まれて以降、いまいち気分が沈んでいたフィアーは、息抜きに散歩がてら街を探検してくると言い残しリアの家を発った。
商業区域では既に朝市が始まっていた。主に新鮮な野菜や肉などが格安で売り出されている。そこには主婦たちが大勢並び、よりよい食材を見繕っていた。
その他には宝飾品を並べている店や宝石そのものを売っている店、そしてマギアメイルのパーツを売っている店など千差万別な店が軒を連ねる。
そんな店を見て回りながら、フィアーは歩く。
人々が思い思いに生活を営んでいる様は、それだけでどこか見ていて安心する。
彼らはこれからも、日々記憶を積みかねて生きていくのだろう。自分にない物が彼らにはある。そのことが無性に羨ましかった。
いつか、自分も記憶を取り戻すことができるのだろうか。そんなことを考えながら、フィアーは歩みを進める。
「おう少年、よかったらこの串揚げ食ってかねぇか?」
―――ふと、道沿いの店に屋台の店主に呼び止められた。
「せっかく出来たてを揚げたってのに今日は人通りが少なくてな、せっかくだし食ってけ」
どうやら売っているのは揚げ物を串に刺したものらしい。店主はそれをタレに一瞬くぐらせてから器に載せ、フィアーの元に差し出す。
とても良い香りだ。恐らくは果物や野菜をベースにしたソースだろう。甘い香りと揚げ物の香ばしい香りが合わさり、食欲を煽る。
「いいんですか?」
「金なら気にするこたぁねぇよ、うちは一番最初に来た客には無料で一本くれてやるのがしきたりなんだ」
「じゃあ、いただきます」
その言葉を聴くと、フィアーは串を受取り、口に頬張る。
―――美味い。鮮烈なまでの美味しさだ。
衣はまさにサクサク。まさに至高の揚げ具合である。
何の肉かは分からないが、とてもジューシーな肉には程良く脂が乗っており、それでいてしつこくない。
そしてその全てを包み込むのがこのソースだ。様々な果物、野菜が煮込まれ、その味を極限まで引き出していると見える。
甘さをベースとしながら、ほのかな酸味と濃厚な旨味が食欲をそそる、極上のソースだ。
―――Excellent。
「美味い……ッ!もう一本下さいッ!」
リアから貰ったお小遣いを取り出し、フィアーは次を所望する。
「少年、この美味しさの、その真髄が分かるかッ!!!!」
―――どうやら、先程の独白は口に出てしまっていたらしい。
「そんなに感動してもらえるたぁ、料理人冥利に尽きるなぁ!」
いいや、まだだ。自分のこの衝撃と感動は、まだ完全には伝わっていない。
自身の無感情さに腹が立つ。胸の内の思いを、全てこの一流シェフへとぶつけたい。
きっと今の自分では、まだこの食品を語るには至らない。
そんな思いを胸に、断腸の思いで店を去る決意をする。
―――いずれ、感情を出せるようになったらまた来て、この感動を彼に伝えよう。
そんな決意を胸に、二本めの串揚げを食べきった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
彼はそう口にして、店主の元を去った。彼の頭に、今朝の頭痛について、そして体験した不可思議な現象に対する悩みはもはやない。
―――その顔は、きっとリアが見たら驚愕するほどに、晴れ晴れとした笑顔だった。
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