おしまいの少女 ‐ネクロアリス‐

 そして、彼の肉体はほどける。

 ゲオルグ・ファウストという個性は消滅し、その心臓に記憶されていた莫大な記憶が──星の記憶が、彼女へと継承フィードバックされる。

 記憶とは、即ち知識だ。

 知識とは、即ち認識だ。

 彼は、そのすべてを司る結晶だった。

 ゆえに世界は、彼の周囲でしか回転しない。

 そして、その死をもって、上位観測者の権限は委譲されるのだ。

 ツェオが生命体として存在するにあたり、欠落していたすべて。失われていたすべてが、いま補完され、そして──、高位観測者へと、その位階が昇華される。


『星の雫は、227テラバイトの42乗の情報体よ』


 ゴトリと音を立て、床に転がった棺桶が──その中に宿る情報知性体が、哀しげな声で語る。


『227テラバイトの42乗──即ち、21グラム。ひとが魂と呼んだものを、完全に構成する因子。持たざる者にそれを与え、持つ者には、ひとつ上の世界へとあがる切符を渡す祝福──それが、星の雫ティア・ドロップ


 ヘレネーにはわかっていた。

 呆然自失する屍人の少女にはわからないことが、彼女にだけは理解できていた。

 いま、ゆっくりと世界樹エメト・オリジン──その中核であるメフィストは、機能を終えようとしている。

 このままいけば収穫祭が行われ、世界各地の〝神樹木〟がすべて伐採されて、生物はあまねくリソースの海へと還元されるはずだった。

 星はその歴史を、これまで繰り返してきたように、此度こたびも閉じることになるはずだったのだ。

 だが、このときを予見してエクシードたちは、〝神樹木〟の胞子をため込み続けてきた。いま各地で、一己にして群体たる彼女たちは、その貯蓄を吐き出していることだろう。それはあらゆる場所で交配し、結びつき、新たなエメトのたねを芽吹かせるはずだ。

 ヘレネー・デミ・ミルタが産みだした現生人類は、ツェオと、そして月種の企みを逃れ、これからも生き続けていくだろう。

 いつか、誰かが、新たな星の雫に至るまで。

 星の雫とともに死んだ命は、そのときまた芽生えるのだから。

 ゆえに、眼前の少女は。

 純白の屍人は。

 ツェオ・ジ・ゼルは。


「ああ──これが、こんなことが……こんなにも残酷なことが──あなたが、望んだことだったのですね……ゲオルグ」


 ガチャリと音を立てて、彼女は立ち上がった。

 その四肢は、金属を帯びたままだった。

 しかし、その背面にあった禍々しい翼も、竜のような尻尾もなくなり、ただ純白の衣装を身にまとう彼女は、その姿は限りなく神々しく──


「ならば、私はその意思に従いましょう。何故なら私は、あなたの──」


 ヘレネーはその姿に、神代かみよの存在を見た。

 少女ははじまりの乙女バーンアリスではなかった。

 月種に新たな可能性を与える福音ではなかった。

 彼女は。

 肉体を得たまま解脱げだつし。

 死したまま、命を得て、になった楽園の騎士は──



『おしまいの少女──ネクロアリス』



 ──やがて、最新の奇跡たる少女は歩き出す。

 

 託された願いのままに、その存在意義のために。

 その巨大な構造体を、どこまでも、どこまでも上へと向かって。

 彼女は、棺桶を背負って歩いた。

 おしまいを始めて。

 死を、まっとうするために。


 世界樹の最下層で、長い、永い時間をかけて、あらたな息吹が芽吹いていく──

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