その心臓を貫くもの
ゲオルグ/ヘレネーの、踏み出した足元が膨張する。
いくつもの
まるで手足のように駆動して、彼らの肉体をからめとろうとする。
完全に肉体の制限を取り払われたゲオルグ/ヘレネーは、空中を蹴りつけ、迫りくる無数の畸形触手を巧みにかわす。
超高速で行われる、立体的回避機動。
回避行動を先読みし、踏み込んできたツェオの突撃も、彼らは半身をひるがえすことで回避せしめる。
もはや音速など超えているツェオの一撃は、それだけで甚大な衝撃波を伴い、ゲオルグたちを錐もみ状態に追い込むが、彼らは器用に身をひねると、そのまま軽やかに着地してみせた。
コートを魔鳥の翼のように波打たせると、そのまま再度の跳躍を開始する。
あらゆる壁面が沸騰。
巻き起こる大爆発。
同時に迫りくる360度、全天より降り注ぐ槍の雨。
その爆風と破壊の嵐を抜けて、ゲオルグはツェオへと掴みかかる。
さすがに表情を変えた彼女は、鋼鉄の手刀で即座に射出装置を切り上げる。
繰り出されるゲオルグの鉄拳。
月種に連なる者の肉体に対して、絶対的な破壊権利を有する竜殺しの拳が、彼女の矮躯を弾き飛ばす。
追撃。
棺桶から放たれた無数の
ツェオは即座に障壁──その長い髪の毛を自在に操り硬質化させ、防壁とするが、しかしそれを掻いくぐって、数発が手足に命中する。
ほんの一瞬だけ、その動きが止まる。
盾のように掲げられた棺桶が、ツェオに激突。
そのまま一気に壁面まで弾き飛ばし、さらに構造体をぶち抜いて押しつぶす。
何枚もの障壁が破壊され、背面を強打したことで、ツェオがついに血反吐を吐く。
ゲオルグも限界を超えた挙動に、鼻血が滴る。
それでもなお、彼らは手を緩めない。
壁を粉砕しながらどこまでも突き進み──そこで、形勢が再び逆転する。
ツェオが獣のような咆哮を上げると、彼女の金属の四肢が二回りも膨張した。
暗闇の構造体に投げ出されたゲオルグたちは体勢を整えるが、そのときにはもう、ツェオの攻撃が迫っている。
翼から放たれた無数の
尻尾という名の魔槍。
さらには触れたものすべてを粉砕する、
ツブテ、尻尾までを受けきったターン・アークの盾が、重力波によって遥か上方へと弾き飛ばされる。
空間を蹴ってバックステップするゲオルグを追って、純白が再び接近。
手刀が、その右目を抉る。
「──ッ」
苦悶に呻く声は、ゲオルグのもの。
彼は必死に奥歯を噛み締め、痛みを押し殺すと、鋼の右手を強く握り込んだ。
燃え盛る竜殺しの右拳。
「ツェオォオオオオオオオオオオオッ!!!」
「ゲオルグゥウウウウウウウウウウッ!!!」
重力の拳と、竜屠る拳が正面から激突し──
「────」
そして、赤い右腕は、砕け散る。
所詮は急造品。
とっくの昔に、限界は訪れていたのである。
地に落ちるゲオルグ。
僅かな時間それを見下ろし、やがて傍らに降り立つツェオ。
残された時間は、僅かに17秒──
「諦めてください、ゲオルグ……」
「…………」
弱気な声で訴えかけるツェオに、しかしゲオルグの向ける視線は鋭い。
その瞳からは、闘志というものが欠片も失せていないのだ。
それを理解し、少女の口元がわなわなと震え、やがてキュッと結ばれる。
彼女の顔には、覚悟が宿っていた。
「心臓以外は……不要です」
ゲオルグへとかざされる、彼女の無傷な右手。
そこに、黒い電流がまとわりつく。
重力子。
ゲオルグの四肢を、頭部を、心を砕かんと、彼女が破壊の槍を放とうとした瞬間だった。
彼は、ぼそりと呟いた。
「まだか──」
『──いいえ、終わりよ』
虚空より響く電子合成音。
投射される莫大な電磁力。
「──ッ! まさか!?」
すべてに気が付き、ツェオが顔を跳ね上げたときには、幕引きの一撃が放たれていた。
「これは、骨肉ではなく
『
空中に舞いあがっていた複合調律解析機──ターン・アーク。
その処理頭脳に己の精神体を移していたヘレネーは、最大の破壊力を帯びる一撃を解放したのだ。
降り注ぐ、
その破壊の奔流が、ツェオの右手を消し飛ばし──
「……ゲオルグ」
「ツェオ」
ほんの僅かな時間のあと、状況は決定していた。
天を見上げ倒れ臥す、可憐な少女。
馬乗りになり、レールカノンの射出口を彼女の心臓に突き付ける、鋼のような肉体と精神を持つ男。
純白の乙女は、真紅の男によって押し倒されて。
「離してください、ゲオルグ」
「離さない」
「お願い、離して……!」
「……俺はもう……二度とおまえを──離さない」
唇をかみしめる少女。
真っ直ぐにそれを見詰める傷だらけの男。
やがて少女は、震える声で、詰まった言葉を、それでも押し出すようにして、口にする。
「私は……ただ、忘れて欲しくなかっただけなのです」
「知っている」
「私は、ただ、あなたに──」
彼女の瞳から、清廉な涙がこぼれ落ちた。
満身創痍の男の右目からも、ぼたぼたと赤い涙がしたたり落ち、やがてふたつの
左目だけで見つめる男に、少女は痛切に胸のうちを零していた。
「あなたがいなくなってしまうことが、あなたが喪われてしまうことが、私は赦せなかったのです」
「……ああ、知っていたさ」
彼が紡いだ声は、酷く優しかった。
ゲオルグは自らの右胸に棺桶の後端を押しつけ、全体重をかけて少女の心臓へと死の象徴を突き立てる。
「だから」
男は。
やさしい声で。
幕引きの言葉を、紡いだ。
「これで、なにもかも終わりにしよう。ツェオ、おまえは──」
──人間になれ。
引き金が、ゆっくりとひかれる。
一条の雷鳴のあと、そして心臓が破壊された。
ゲオルグ・ファウストの──心臓が。
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