種子は求められる

 集落と呼ばれている場所は、ステーションの中央に存在した。

 立て直しと充填、補修によって積層した建造物は、まるで天へと上る階段きざはしのようであり、あるいは供物をささげる祭壇のようでもあった。

 そこで、ゲオルグたちは歓待を受けたのである。

 収穫されたばかりの固形食が一粒、貯蓄蒸留水へと浸される。

 すると、水を吸った固形食はみるみる膨らみ、パンや合成肉、果実といった代物に還元された。

 その工程を知らなかったゲオルグは素直に驚き、ツェオははしゃいだように彼の背中で体をゆする。

 そんなふたりを、微笑ましいものでも見るようにしてヘレネーは眺め、集落の美女たちが持ってきたクエン酸入りエタノール水溶液を口に運んでいく。

 ヘレネーはその容姿のせいか、周囲に美女を大量にはべらせていたが、ゲオルグのまわりにも女性は多かった。

 そのことに、ゲオルグもはじめは警戒していたのだが、あまりに親切にされるため、次第に考えを改めていった。

 やがて、一口、二口と料理に手を付ける。

 いまだに機能不全を起こしたままのツェオは、傍らに寄りかからせていた。

 時折彼女の口元に食事を運んでやると、ツェオは無表情で、しかし進んで口をひらいた。どことなく機嫌の悪そうな顔をしているが、ゲオルグにもその理由まではわからなかった。

 どれほど宴が続いただろうか。

 突然、場に静寂が訪れた。

 集落の住民すべてが、一点を見詰め、やがて跪いてみせたのだ。

 ゲオルグがその視線を辿ると、いつの間にかの一番下の段に、老婆がひとり、腰掛けていた。

 その頭に、球体はついていない。


「旅人さんよ」


 杖をカツンカツンと突きながら、老婆は、しわがれた声で言った。


「ふるい物語を、聞いていかれるかね?」

「…………」


 いくばくかの逡巡の末に、ゲオルグが肯定すると、老婆は──その集落の長は、ひとつ頷いて、静かに語りはじめた。


「それは──遠い、遠いむかし、はるかな過去のことだ。この星は、緑にあふれた青い星であった。空は澄み渡り、風はさやかで、大気に危険な毒など混ざってはいなかった。人間はおろかなれども、しかし平和に暮らしていた」


 飲み食いの音さえ止まる。

 住民たちは聞き入っているのか、頭を下げたまま微動だにしない。

 ステーションのなかに、ただ老婆の声がこだましていく。


「あるとき、ひとりの男が宝物を見つけた。それは知恵の実がなる黄金の樹であった。知恵の実を食べると、男はたちまち賢くなり、この世界の誰よりも優れた王になった。男──王さまは、もっとたくさんの者たちが食べられるように、黄金の樹を増やそうとしたが、それは彼にも出来ないことであった。王さまにできないことは、誰にもできぬことだった」


 物音が聞こえた。

 ゲオルグが隣へと視線を向けると、普段は眠たげに眼を細めているツェオが、その眼をしっかりと開いているのが見て取れた。

 青と赤、ふたつの色彩が混じり合い、紫のようにも、暁の一瞬のようにも見える、不思議な色合いの瞳が。

 それがジッと、老婆を興味深そうに見つめていた。


「黄金の樹は、何百年に一度だけ、実をつけた。その度に、新たな王さまが生まれた。最後の王さまが生まれたとき、王さまたちは天の国へと行って、そして世界は亡びた。王さまたちは生き残った人々を不憫に思い、黄金の樹の枝を刺して回った。それらは知恵の実を実らせることは決してなかったが、かわりに人々にすべてを与えた」

「……ツェオ」


 小声で、その物語を遮るでもなく、ほとんど呟くような調子で、ゲオルグはその名を呼んだ。


「俺の耳を噛むのはやめろ」

「……かじかじ」


 話に飽きてしまったのか、それともまだ食べ足りないのか、ツェオはゲオルグの耳を甘く噛んでいる。

 なんとも言えない感覚に、彼が辟易していると、視界の隅で動くものを見つけた。

 見遣ると、ヘレネーが唇のまえに左手の人差し指をかざし、片目を閉じてみせる。


「しー?」


 そのまま彼女は、どこかへと姿を消してしまった。

 ゲオルグがツェオを大人しくさせ、老婆の話に意識を戻したとき、物語は大きく進んでいた。


「月から現れた〝竜〟は、王さまたちの代理人を名乗り、世の中のすべてを根こそぎにした。初めからすべては王様のものだったのだから、これは自分のものであると。強欲な竜は、すべての富を独占してしまったのだ」

「〝竜〟……直轄者……?」

「ツェオ?」

「……なんでもありませんナイン、マイスター」


 少女の呟きを、ゲオルグは聞き逃してしまった。

 同時に、そのとき彼女の瞳に渦巻いていた感情も。

 物語だけが、静かに、変わらずに、うたいあげられていく。


「しかし、その竜であっても奪えないものがあった。楽園に根差した、黄金の樹に実る知恵の果実。なぜならそれを、ひとりの騎士が守っていたからだ。初めの王様が、その愚直さゆえに叙勲じょくんした思いわずらわぬ騎士。その騎士は勇猛に戦い、なんども竜を追い返した。竜だけでなく、知恵の果実を狙う愚か者たちも、何度も何度も打ち倒し、追い返した。やがて騎士は眠りにつき、その死をいたんで黄金の樹は、涙のように最後の果実を実らせたという──さて、これが、この集落に伝わる、いにしえの物語ゆえ。楽しんで頂けたかな、旅人さん?」

「……ああ」


 老婆の問いに、ゲオルグは頷きで答えた。

 どこか懐かしく、どこか興味深い物語を、ゲオルグは確かに楽しんでいた。

 その様子を見て、老婆は破顔する。


「そうか、そうか。しかし、じつはな。この昔話は作り話ではない。とくに竜のくだりは本当のものさ。いずれはまた、この世界に竜が舞い降りて、わしらからすべての物を根こそぎにしていくだろう。わしらは、身を守らねばならん。身を守るためには、強くあらねばならん──」


 その老婆の言葉に反応したように、沈黙を守っていた住人達が動き出す。

 一斉に立ち上がり、振り返り、ゲオルグたちを見る。

 不穏な気配に、いやな汗が、ゲオルグのこめかみを伝った。


「わしらは求めておる──優秀なを。旅人さん、旅人さんは外の世界を巡ることができるほど、丈夫なおひとだろう。ならば、10人や100人ぐらい、相手にできような……?」


 両目に剣呑な光を宿す老婆。

 そして、似たような、しかし獣欲に近いものを灯す住人たち。

 ゲオルグの顔が、名状しがたい様子でこわばった。

 その集落の住人は──すべてが女性だったのである。


「旅人さん、ここで暮らしてはいかがかな? すべてを保障しよう。欲しいものは幾らでもあげるよ」

「…………遠慮するッ!」


 答えた刹那、ゲオルグはツェオを引き寄せると、背中に乗せて走り出した。

 女集落の住人たちが、はじかれたように動き出す。けたたましい奇声を上げながら、ゲオルグを追いかけはじめる。

 ゲオルグはひたすら走った。

 その表情は、これまで直面したどのような危機的状況よりも必死なものだった。


「おー、モテモテじゃない、ゲオルグ」

「ヘレネー!」


 棺桶と、なにやら荷物を担いだヘレネーが、逃走を続けるゲオルグの横に並んだ。

 いたずらに成功した子供のように、彼女の顔にはニマニマとした笑みが張り付いている。


「知っていたな、おまえ」

「だから、言ったでしょ? 期待したけど廃棄されたって。ここは女しか産まれないセクタなのよ。だから、次世代の現生人類の子宮としてはともかく、それ単体としてはあんまり価値が無くて──」

「わけのわからないことを!」

「ちょっ」


 珍しく本気で怒った様子のゲオルグが、ヘレネーに掴みかかる。

 抵抗するヘレネー。

 そんなふたりの間を、なにかが音を立てて通過していった。

 鼻先をかすめた冷たいなにか。

 ふたりが視線を向けると、構造体の床面に、手斧がひとつ突き立っていた。

 顔を見合わせるゲオルグとヘレネー。


「逃げるなら殺せー!」


 あげられる剣呑極まりない怒声。

 同時に振り返るヘレネーとゲオルグ。

 女たちは、手に手に武器を取っていた。

 ふたりは、再び顔を合わせる。


「逃げるぞ」

「逃げましょう」

「……ヤー、マイスター」


 意見の一致をみたふたりと、そんな彼らをどこか呆れた調子で眺めるツェオ。

 三名はそのまま、ステーションのなかを、軌道列車を目指して一目散に駆け抜ける。

 突然、駅全体を震わせるほどの大音声が鳴り響いた。


 ジリリリリリリリ……


「ハリー! ハリー! 軌道列車が出発する合図よ、急いで!」


 ヘレネーに急かされるまま、ゲオルグは速度を上げる。

 気が付けば、目の前には閉じかけの列車の扉が。

 転がるようにして飛び込み、バッと背後を振り返るゲオルグ。

 鬼気迫る表情で追いかけてくる女たち。

 その手が届くかに思えた瞬間、鋼鉄の扉が蒸気を噴き出して、そのまま閉じた。

 間一髪であった。


「…………」


 言葉もなく、その場にへたり込むゲオルグ。

 その背中から転がり落ちたツェオが、どこか不満げに、彼を不完全な足で蹴りつける。

 ヘレネーはひとり、楽しそうに笑っていた。


「なにがおかしい」

「別にぃ」

「ろくな収穫もなかったというのに」

「あら、そんなことないわよ?」


 彼女は平然とうそぶいて、背中に背負しょっていた大荷物を下ろした。

 なかには無数の物資と、情報流体のアンプルが詰まっていた。


「ま、貰えるものは貰っておかなくちゃね。融通してくれるって、彼女たちも言っていたし」


 ぱちりとウインクをして見せるヘレネーに、ゲオルグは大きなため息で応えるしかなかった。


「金輪際、こんなことは御免だ……」


 いまだに自分を蹴りつける少女。

 そしていやらしい微笑みをやめない長身の美女を見比べて、ゲオルグはもう一度、盛大なため息を吐いたのだった。

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