直轄者 ‐ヒラリオン‐
空間自体が
客車の、その強固きわまりない外壁素材が、音を立てて引き裂かれていく。
「ゲオルグ!」
「……!」
ハッと、自失から回復したヘレネーが、吹き出る血液をぬぐうこともなく、反射的に
彼女の手がふたりへと伸ばされる。
しかし、ゲオルグの左手はツェオで埋まっていた。
ツェオにおいては意識を失ったままだ。
ゲオルグは一瞬の
「──この!」
背面に
地面に激突する寸前で、ゲオルグの足を掴み、掬い上げる事に成功する。
「──っ」
一瞬後、地面へと衝突する三者。
しかし、その衝撃は予想されていたものよりもはるかに小さかった。
降り積もっていた雪がクッションの役割を果たし、衝撃で盛大に舞い上がった。
「グッジョブあたし!」
舞い散る粉雪を背にしながら、功労者であるヘレネーは跳ね起きて、荒い呼吸で叫んだ。
背後では、轟音を立て屑鉄と化した装甲軌道列車が、雪原へと降り注いでいる。
ゲオルグもなんとか起きあがり、腕の中のツェオを確認する。
閉じていた目蓋。
その長いまつげが、ゆっくりと震える。
──開く。
覗いたのは、この世の
それが、ややあって、ゲオルグに焦点を結んだ。
「──マイスター」
「ああ、俺はここにいる」
「…………私は」
屍人の少女は。
消え入りそうな声で、彼へと求めた。
「私はもう……記憶を、なくしたくありません」
嗚呼──と。
ゲオルグが呻く。
その顔が、絶望を煮詰めたようなものに変貌していく。
彼の苦しみが、弾けそうなほど膨らんで──
「いちゃつくのはそこまでよ! やつが、くるわ!」
「──!」
彼女の忠告が遅かったのか。
それとも、はじめからそれはそこに居たのか。
ヘレネーとゲオルグのちょうど中間、そこに、その黒衣は存在していた。
背面からは、無数のマニピュレーターが翼のように生え、
黒のロングコートは、ベルトによって腰の部分で固定され、スカートのように展開している。
錆色の髪は短く。
肌は青く。
光彩は、爬虫類のように縦に長い。
顔面には、一切の
中性的な、性別など超えたところにあるような存在。
かつてツェオとゲオルグが出遭った、恐ろしき収穫者。
それが、無慈悲な眼光を彼らへと注いでいた。
「──ミルタ」
そう呼ばれて、ヘレネーが硬直する。
「この素体との接触で機能を回復したか。どこまでだ?
「残念だけど、直轄者のなんとかさん。あたしの名前はヘレネーっていうのよ。ミルタなんて名前、知らないわ」
「……この自我はヒラリオン。月種より星の直轄者に任された
直轄者──ヒラリオンが、平坦な声音でなにかを告げる。
しかし、そのほとんどは、ゲオルグには理解できないものだった。
吐き出される無数の警告信号と、
量子モノクルが最大で走査しているにもかかわらず、現在のヒラリオンの情報を、そして呼応するヘレネーの詳細を、ゲオルグは一切読み取ることができないでいたのだ。
彼はそっとツェオを──ジッとゲオルグを見詰め、その瞳を揺らす少女を雪面に横たえる。
「マイスター……」
「…………」
ほんの僅かな逡巡。
そのとき、その場にいた生者の誰も、彼の表情を視てはいなかった。
ただ、ツェオだけが。
死者だけが。
それを、すでに死滅した脳裏へと焼き付けることになった。
ゲオルグは口の端を穏やかにあげて、彼女の髪を一房手に取った。
そうして、親指の腹でくにくにとしごきながら、こう言ったのだ。
「俺は、いつまでもおまえのそばにいる。必ずおまえを、人間にしてみせる。たとえ──たとえなにを、引き換えにしても」
「マ──」
ツェオが彼を呼ぼうとしたときには、もう遅かった。
ゲオルグは自らたちと同様に、雪原へと投げ出されていた
そして。
それを左腕一本で担ぎ上げ、ゆっくりとヒラリオンに向けた。
彼の指先が、
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