悪夢の街ボンベイ 3 差別とは?

 今日こそはインド門と鳥葬を見に行こう。昨日の反省を踏まえて電車で行くことにする。

 近距離で電車を利用するのは初めてだ。乗車すると下が板張りで田舎の小学校の廊下を想わせる。一昔前の国鉄で使用されていたような厚い紙製の切符を握り締め、僕は固い椅子に腰かけた。

 次の駅で数人の乗客が乗り込んできた。どうやら特殊学級の団体みたいだ。引率している3人の大人と伴に10人ほどの子供たちも乗り込んできた。彼らは乗り込むと同時に地べたに座り込んで騒ぎだした。

 僕は生れてからこれまで過ごしてきた過程で差別というものは憎むべき概念と理解してきた。その手の感情と常に戦ってきたし、高校生の時に差別問題をテーマに作文をしたこともある。そのときは主に障害者差別に焦点を当てて論じた。インドに来てからも数百人の乞食を見てきた。栄養失調で骨と皮だけになり果て、自分で歩けないので友達に支えられて移動する子供もいた。彼達を見ていても僕の心に差別意識はなかったと思う。少なくとも意識はしていない。しかし僕はここボンベイの電車内ではっきりと差別意識を自覚した。

 障害者の団体の中にはダウン症の子供たちに混じって2人の特異な少年がいた。2人とも顔の輪郭が三角形で肩が異様に盛り上がっている。兄弟だと思うが兄の方の身体は大きく小さな相撲取りくらいある。弟は一回り小さい。2人とも毛深く顔は毛むくじゃらだ。そして何より2人の動き・所作・声はゴリラそのものであった。ゴリラの毛の量を十分の一にして大人しくしたらちょうど彼らになる。僕は2人を見た瞬間、キメラだと思った。そして誕生するにいたった経緯を想像してしまった。とても厭なものを見てしまったというのが第一印象だ。車内を見渡すと乗客のインド人もみな顔をしかめて見ないふりをしている。僕は自分の心に鎮座する差別意識を認めずにはいられなかった。


 その日にインド門と沈黙の塔を見て回った。インド門は歴史を感じるがただの大きな凱旋門という印象だ。特に感銘は受けない。沈黙の塔でも残念ながら鳥葬を見ることができなかった。


※それからしばらく僕は気が重い日々を過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る