悪夢の町ボンベイ 1 南京虫地獄
まずはタイトルを再読していただきたい。これまで僕はタイトルを考える際、「町の名前+サブタイトル」という体裁をとってきた。それぞれの町で僕はいろいろな経験をしたが、振り返るとみないい思い出である。デリーやアーグラのぼったくりもよい経験だ。しかし最後の地ボンベイでの経験は100%厭な思い出しかない。2度と訪れたくない町である。
その思いが町の名称に形容詞を付けさせている。幾分ステレオタイプであるが許してほしい。僕にとってボンベイはまさに悪夢の町であった。
ボンベイ到着時まだあたりは薄暗かった。右も左もわからないので、僕はバスターミナルのベンチに座って明るくなるまで待つことにした。ベンチに一人座っていると睡魔が襲ってくる。全力疾走した弊害だろう。僕はリュックを枕にしてベンチに横たわった。
朝になって人通りが多くなり街の喧騒に気付いたが眠気にどうしても勝てず結局お昼までそこで寝ていた。誰も声を掛けてこないのが不思議だった。通行人がじろじろと僕のことを見ている。
ボンベイは今までの町と雰囲気が全然違う。まずスーツ姿のビジネスマンが目につく。スーツ姿なんて空港以来目にしていない。20階建てくらいのビルが幾重にも佇んでいる。ここはインドじゃない。洗練さはないが東京と変わらない。いきなり都会に来ちゃったなというのが第一印象だった。都会だからこそ、ターミナルのベンチで寝こけている旅行者もほっとかれたのだろう。
僕は伸びをしてまずホテルを探しに歩き始めた。商店街みたいなところでホテルを見つけたのでフロントに声をかける。一番安い部屋で600ルピーだという。600! また都会だから旅行者をぼったくるつもりなのだろう。僕が高いと言って交渉するも取り合ってくれない。僕は別のホテルを探すことにする。
3件ほどホテルを廻って最初のフロントのおやじが決してうそつきでないことを知る。ボンベイの物価は他の地に比べて数段高いのだ。東京と変わらないかもしれない。お昼に入った定食屋でもそれまでなら20ルピーの定食が100ルピーくらいする。日本円で600円だ。店は汚くまずいのでむしろ日本より物価が高い気がする。
夕方までホテル探しをして、一番安い部屋を見つけた。それでも400ルピーもした。シャワートイレが共同で、部屋は2畳ほどのスペースに簡易ベッドが敷いてある。今まで泊まった部屋で一番狭い。そしてぼろっちい。ウダイプルなら10ルピーの価値もない部屋だ。隣町(というほど近くはないけれど)から移動してきただけでこの違いはなんだろう。僕は不安になった。
夕飯後ホテルにもどり、共同の洗面所(小学校の手洗い場みたいな処)で歯を磨いていると一人のインド人が近づいてくる。でっぷりと太ったおやじだ。「お前はネパーリーか?」と質問してくる。僕はそれまでに何度かネパール人に間違えられた。しかし「いや日本人だ」と説明しても分かってくれない。「嘘だ。お前はネパーリーだ」と一人了解して去っていった。そのころには僕も日焼けをしていたし、格好も小汚くなっていた。でもそんなことよりこんな汚い宿に泊まる日本人がいると信じられないのだろう。
地球の歩き方でボンベイの項目を確認する。インド門、沈黙の塔(運が良ければ鳥葬を見れるという)あたりを廻ってみるか。特別することもないので21時ころ就寝。
首のあたりがむずむずする。寝坊け眼で僕は首元を何度も叩く。腕や足もむず痒い。どうにも我慢できないので、身体を起こして電灯のスイッチを点ける。捲れたふとんから蜘蛛の子を散らすように赤い物が素早く移動する。瞬間、僕の体中を怖気が走る。赤い物は大きいやつで1センチほど小さいやつで1ミリほど。南京虫だ。電気を点けた瞬間、千匹近い南京虫がふとんの上をまさぐっていた。僕は叫び声を上げながら身体にひっついていないか調べる。身体中をぱちぱち叩き、振るい落とす。僕はボクサーパンツとTシャツ姿で寝ていたので、肌が露出している部分は虫さされと掻き毟ったので真っ赤になっている。僕は吐き気をもよおした。
どこでも寝れるのが自慢な僕だが、さすがにその布団で寝ることはできなかった。最初は座ることも躊躇われたのでずっと部屋の中を立っていた。そのうち立ち疲れしてしまったのでベッドの淵に腰掛けて朝まで過ごした。もちろん電気は点けっぱなしである。
こんな処には2度と泊まれない。明日からどうしよう。僕は不安になった。
※南京虫とは色が赤くカメムシに似ている。僕も実物を見たのはその時が初めてだったけれどすぐにわかった。灯りを点けた瞬間の虫たちの動きを思い出すと今でも身体が震える。
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