インドの中心で助けてと叫ぶ
ウダイプルはとても良い処である。特別観光地というわけでもないのでゴミゴミしていないし、五月蠅いインド人も寄ってこない。物価も安い。気候も過ごしやすい。ホテルの近所を散策していると、道端で会う地元の人達が「ナマステー」と手を合わせ頬笑みながら挨拶してくれる。インド人は残念ながらあまりナマステの挨拶をしてこない。挨拶するのは揉み手をしながらやってくる商売人くらいだ。(この点は日本もさほど変わらないだろう。大多数の一般人は外国人旅行者に対してそっとしておくのが普通だ)インド滞在中で「ナマステー」の挨拶の半分以上がこの地で交わされたと思う。とこう書くと半分は大げさなのではと疑問を持つかもしれない。実を言うと僕はウダイプルで合計10日くらい過ごした。インド旅行の4分の1近くになる。1度この場から離れたのだがまた戻って来たのだ。その理由は別の機会に説明します。
ウダイプルには観光施設がさほどない土地なので、二日目には手持ちぶさたになる。この時点でスタートから約1ヶ月。あと2週間残っているが次の目的地ボンベイまでさほど目玉らしき土地はない。途中の小さな町を訪れてみるか、出国地であるボンベイで2週間過ごすか、それともボンベイに3日ほど滞在してゴアまで足を延ばしてみるか。資金も底が見えだして、少し不安だが、こんな何もないところで過ごすよりいいだろう。僕はとりあえずウダイプルを後にしてボンベイへ向かうことにした。
ボンベイまでは夜行の長距離バスを利用する。朝方到着予定だ。長距離なのでもちろん途中休憩がある。あくまで僕の感覚だが、およそ3時間走って30分休むというのがこれまでのバス経験でわかった。僕には次の目的地までどれくらいで到着するのか全くわからないので、休憩時にはなるべくトイレに行くようにしていた。既に僕のお腹は復調していたが、次の休憩が3時間後に必ずあるとは保障できない。
乗客の話声で夜中に目を覚ますとバスは止まっていた。休憩中だが、みなぽつぽつと外から乗車してくる。人の流れを見るとどうやら休憩の終わりころでバスに戻ってきたところみたいだ。僕は寝起きで小さい方をもよおしたが、今からでは遅い。次回まで我慢することにした。
次の休憩も寝過ごすわけにはいかないので、僕は寝ずに考えことをしながらバスに揺られていた。
バスや渋滞中の車内でトイレを我慢できないほどもよおした経験はどなたにもあると思う。この時の僕もそうだった。膀胱が破裂しそうになるのを堪えてじりじりと次の休憩を待った。夜中の4時ころ、バスは止まった。僕はリュックを自転車のチェーンで前の席の足にくくりつけ、バスの外に出た。朝方なのでほとんどの乗客は睡眠中で外に出たのは10人ほどだった。外はまだ薄暗かったが、辺りの様子は窺えた。どうやら土手の上に道路があるらしく周りより2メートルほど高く盛り上がっている。左右の低くなっている場所にはトタン屋根がちょうど道路の高さで見渡す限り埋まっている。手前の方では屋根の下で人がごろ寝しているのが見えた。僕は薄暗かったこともあり僕は村なんだろうなと思った。
僕は小用が出来そうな場所、木や小屋の壁の影などを探した。どこにもない。土手の下に降りてみると、沢山のインド人がごろ寝していて、さすがに立ちションするのは気が引ける。どこかにいい場所はないかしら。僕はとぼとぼと彷徨うように歩いた。
バスから50メートルほど離れても適した場所が見つからない。どこまでいってもトタン屋根とその下のごろ寝するインド人が僕の目に映る。諦めかけたその時、バスのエンジン音が聞こえた。え? もう発車するの? まだ停車してから10分も経過してない。それまで休憩は必ず30分はあったのに。僕は駆け足でバスに戻った。
僕がバスまで20メートルほどに近づいた時点で、バスは走り出した。おい! 置いていくな! 僕は力いっぱい叫んだ。走った。リュックはバスの中で、その中身は着替えくらいでお金やパスポートなど重要な物はウエストポーチに入れてある。だけどこんなどこだかわからんインドのど真ん中で置いていかれたら死んでしまう。僕は必死で走った。バスのスピードはさほど速くなかったので、着かず離れず、大声で叫びながら走った。死を意識した。僕は諦めずに全力で足を回転させた。
後ろの方に座っている乗客が気付いて運転手に進言してくれたのだろう。バスが止まった。僕はバスに追いつき、息を切らしながら乗車して運転手に礼を言った。乗客は皆僕を見て、だめだよ降りちゃと声をかける。僕はその度謝罪した。僕は席に戻り大きく安堵の溜め息をついた。走った距離は200メートルほどだったが、生死を分ける距離と呼んでも過言ではない。
実はそこから10分ほどで目的地に着いた。先程停車した地はボンベイの中心地からほどない処のスラム街だったのだろう。だから実際には置いてきぼりされてもたぶん路頭に迷うようなことはなかった。しかし先刻の僕にそんなことはわからない。そんなところで旅行者が一人でうろつくのも厭だ。なにはともあれ無事で良かった。
※この時が僕のインド旅行で一番恐ろしかった経験です。この先に出会った日本人に僕の体験談として聞かせるとそれは怖いと皆共感してくれた。
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