「藪」という語感からか、下草のようにあまり日の差さない場所をイメージしてしまいました。薄暗い中に、赤い実だけが目につく。冬は鳥も食べるものが少ないですから、そんなところに生る実も食べつくされてしまう。何か妙にリアルな俳句鑑賞をしてしまいました(笑)。春を待つということを意識することはないように思っていたのですが、スーパーで、春野菜(山菜含め)が並ぶのを目にした時の自分自身の歓びが、春を待っていたことの証なのだなぁ……と思いました。季節の移ろう、今の時期にピッタリの俳句でした。
作者からの返信
@sakamono 様
コメントありがとうございます!
日の差さない場所というイメージは、句に託した景色と合致しております。この藪柑子は、ブロック塀の裏側、しかも丈の低いものでもあり薄暗い中で育っていたものなのです。リアルな俳句鑑賞を楽しんでいただき、誠にありがとうございます☆
スーパーで並ぶ春野菜、タラの芽とか出てたらテンション上がりますよね。やはり春は良いものです (*´ω`*)
愛宕平九郎様
季語重なりなんですね。でも、冬から春へ切り替わる、その絶妙なタイミングを歌ったものとしては最高な気がします(#^.^#)
食べ物の少ない季節から、新しい実のなる季節へ。
後一つしかないけれど、もう心配いらないよと言われているような晴れやかな希望も感じられる歌だなと思いました(*´▽`*)
作者からの返信
遥かなる涼月 様
コメントありがとうございます!
もう心配いらないよと解釈できる前向きなところが、さすがのポジティブ涼月さん。愛宕は残り一つに儚さを感じるだけで完結してしまいますわ (*´ω`*)
季語が重なることって、想像以上に多いです。新陳代謝はあるものの、季語は年々増えてる傾向なので困っちゃう(笑)
圭以さんと同じくヤブコウジを検索したら、ああ、十両だったのですね。納得しました。我が家には十両はないのですが、千両、万両はあるのです。そしてMr.が描かれた景色通り、冬、最後に鳥が食べていくのが千両と万両。その前が南天。赤い実がなくなると春が来る、思いっきり共感しました。
それにしても、もう桜が満開とは。あんまり早すぎて風流じゃないですね。
作者からの返信
みっちゅん☆
コメントありがとうございます!
十両程度ならイメージがつくのですが、みっちゅん☆のコメントで気になったのが、千両や万両くらいの赤い実の数となると、一羽の鳥が一度に何粒食べれるのかなって(笑)
そして、桜満開の早さと風流を重ねたところに川柳が浮かびましたよ!
「風流」が風に流れて季語乱れ
どぉ?
おお! 二つの季語が上手くマッチしたんですね♪
作者からの返信
水守風火 様
コメントありがとうございます!
そうなのです。自己満足の域ですが、ピタリとハマった感じで投句しました☆
「春待つ」と藪柑子の取り合わせに、はっと胸をつかれました。常緑樹のひやりと寒い木陰に藪柑子を見つけるところから、たった一つ残った赤い色に冬の終わりを感じる心情の流れがまさしく春待つ人の旅路のように思えました。
作者からの返信
来冬姐さま☆
コメントありがとうございます!
送迎で乗せる利用者さんのご自宅に実っていた藪柑子が、ちょうど赤い一粒だけとなっていたものを拾い上げてみたものなんですよ。こちらの利用者さん、木花が好きで、特に藪柑子の実が可愛くて大事に育てているそうです。もう摺り足で杖が無いと移動ができない人なのですが、白内障の手術を先日受けて「目がよく見えるようなった」と春の花たちを見れるのが楽しみと仰ってました。春待つ人の旅路は、こちらの利用者さんの人生にも繋がる感じがします☆
春に思いを致す雰囲気がすっきりと伝わって来ました。私も季語の重なりは気になりません。
藪柑子……あっという間に増えて他の植物のエリアを侵食させないのに毎年、苦労しております。冬に尚、逞しい生命力なだけに、赤い実があと一つ、というところに絶妙な時間と状況の説得力を感じました。
愛宕さま、投句されているのですね。何処かで拝読できる時は是非、お教えください。
作者からの返信
小余綾香 様
コメントありがとうございます!
冬場になれば、もりもりと増えている赤い実ですが、少しずつ減ってゆく様を感じるのも季節の移り変わりに当てはまるかなと思い取り入れてみた句でもありました。説得力を感じてもらえて嬉しい☆
今までは「俳句生活」へ毎月投句してましたが、4月からは「NHK俳句」にも手を出してみようと思ってます (*´ω`*)