【柊挿す・御神渡】
――『柊を 挿す家に子ら
――『休みなく 下社へ走る
【ひとこと】
第二回 藤田湘子記念小田原俳句大会へ投句したもの。
特にテーマは無く、自由な発想で投句できる公募でした。
一句目は、『柊挿す』という部分が季語。節分の行事の一つに、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺し、戸口に挿しておく風習がある。鬼や邪気が家に紛れ込むのを防ぐ御呪いだ。見かける事は少なくなったが、まだ伝統として続けている家庭も残っているのではないだろうか。まだ、我が家もやっている。
中七の『子ら』という部分は、家族ではなく小学校へ登下校する子供たちをイメージして詠んだもの。家族の子供なら、その風習に慣れて「当たり前」顔するであろうが、家の前を登下校する他人の子供たちから見れば、鰯の頭が刺さった柊を見て変な顔をするのが妥当かなと思い、下五で『物怪顔』と合わせてみた。物怪顔は、不思議そうな顔という意味である。
詠み返してみれば、この『子ら』の部分が曖昧だったかもしれない。説明が無かったら、家族の子供を想像するのが普通だ……ちょっと伝わりづらい仕上がりになっていたようである(笑) (;^ω^A
二句目は、『御神渡』が季語。長野県の諏訪湖が氷結しておきる現象。
氷の亀裂に別の層の氷が入り、日中の温度変化による氷の膨張で外に押し出されたりする。それが繰り返されることによって、氷が橋のように盛り上がるのだ。上諏訪の男神が、下諏訪の女神へ通う道とされている。
今年は、諏訪湖で久しぶりに御神渡が出現した。『おみわたり』という五文字の語呂も良かったので一句詠んでみようと試みたものである。久しぶりに氷の橋ができた事で、上社の男神も「この機を逃さじ」と急いで下社の女神の元へ走ったんじゃないだろうか……と、惚れた女の元へ馳せ参じる気持ちを表現してみたのだが、これは少し安易だったと反省。この手の『御神渡』俳句は、過去にも色々な言葉で出ているので、新鮮味に欠ける(笑) (;^ω^A
自由句というテーマは難しいものです。詠んだ句の中身は「ありきたり」なものではなく、斬新とか奇怪とか……いわゆるユニークさを見せつけた句を意識する事がポイントなのかもしれませんね。
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