戦士

 ごう、と空気を斬り裂く音が頭上で響く。デフロッテが屈む事で避けたその大振りの剣は『斬る』ことよりも『叩き潰す』ことを主体にしているのだろう、刀身の厚みは通常の剣とは比べるべくもない。そしてそれを難なく振り回してみせるこの男の膂力に感嘆した。イザイタロという名の彼は間違いなく実力のある剣士だろう──そんな実感が、歓喜を伴ってデフロッテの胸をじりじりと焦がしている。

 低くなった体勢から、地面を蹴る様にして距離を詰める。突き出した槍の穂先はイザイタロの首に狙いを定めていた──が、それは彼が首を逸らしたことで、頬に赤い筋を走らせるまでにしか至らなかった。もう一撃を喰らわせんと振りかぶられた大剣に、彼は再び距離を取る。一進一退の攻防に思わず口をついた舌打ちと、吊り上がる口角が合致しない。戦況は五分だというのに、それがこの上なくデフロッテの心を躍らせている。

 それはイザイタロも同様なのだろう。彼は頬に走った赤い線から垂れる赤い色を乱暴に拭いながら、にんまりと凶悪な笑みを浮かべて見せた。目の前の男のグレーの眼差しに、闘志の焔がちらちらと揺らめいている──それを確認する己の蜜色の瞳にも、同じ色が瞬いているのだろうけれど。

 何度となくぶつかり合う互いの武器。火花を散らしあうそれは、双方が込めた力が具現したようですらあった。

 その勢いのまま、弾かれたように二人は距離を取る。空中で魔法式を展開したデフロッテは着地と同時に呪文を放った。炸裂する光弾はまっすぐにイザイタロに向かうが、それは彼に届く前に剣に弾かれる。瞬間、破裂したそれがイザイタロの視界を奪う──そのあまりの眩さに目を細めたその隙に、デフロッテの穂先がイザイタロに迫った。喉元を正確に狙うそれ。瞬間的に身を逸らすも躱しきれず、刃がイザイタロの腕を深く抉った。

 淡い緑色の刀身がイザイタロの血液で紅く濡れる。思わず低く呻きつつも、その灰色の眼差しは陰る事はない。彼はにぃ、と口元を歪に吊り上げて、自らの腕力に物を言わせて大剣を薙いだ。分厚い刀身が迫る軌道は滅茶苦茶ではあるが、まさか片腕で此処まで大剣を扱えるとは思っていなかったデフロッテはその一撃をもろに浴びた。華奢とは言い難い身体が数メートルほど吹き飛び、リアクターの太いパイプが編みこまれるようにして連なった柱に衝突する。かは、と肺から漏れた空気に血が混じっているのは何処かの内臓に傷がついたのだろうか。とはいえ動けなくなるほどの痛みでもない。ゆらり、とふらつきながらも立ち上がる。


「手応えが薄い。浅かった──否、か。器用な真似をする」

「貴公こそ、大した膂力よ。まさかとは思わなんだ」


 イザイタロの感心したような言葉に、デフロッテも緩く首を振りながら応じた。あちこちに付いた浅い傷から血を滲ませるイザイタロ、所々の肌を浅黒く変色させ、熱を持って腫れあがるその鈍い痛みに顔を顰めるデフロッテ。双方ともに見てくれは満身創痍だ。それでもじゃれつくかのように剣と槍を交えている。

 時間としてはヴィクトリアたちが立ち去ってからそう長い時間が過ぎている訳でもない。その空間が孕む熱量だけはまるで永遠を煮詰めたかに等しく、彼らの零した吐息が白くけぶるような錯覚さえ覚える。断続的に響く金属音、翻る互いの装備の褪せた色。乱れ舞う血の紅と魔力の燐光。



「愉しいな、皇国の騎士。胸が躍るとはこの事か。だが次は当てる殺す

「相違ない。骨のある相手で嬉しいが──そう簡単にはいかせん殺らせんぞ」


 上がった息を整えながら交わす言葉に、互いを彩る喜悦の感情が滲んでいる。常日頃はリュシールの奔放さから目を離すのを恐れる彼だが、この時ばかりはリュシールがこの場に居なかったことを幸運に思うのだ。何しろあの猫娘、こう言った男同士の感傷への理解というものに圧倒的に欠けるので。

 短い宣戦布告を残して再び臨戦態勢に入る。互いに理解しているのだろう──恐らく、これが最後の一撃だ。

 染み入るような静寂が空気を張り詰めさせて──その緊張の糸がふつりと切れる、その刹那。双方が地面を踏みしめたその衝動が鉄の床を揺らす。

 速度は僅かにデフロッテが勝った。跳ねるように軌道を変えた槍の穂先がイザイタロの胸の中心に突き立つ。ずぶり、と刃が皮膚を裂いて肉に潜りこんでいく。筋を断つ感覚、柔い肉が穂先の勢いを殺していくが、知ったことではないとばかりに体重を乗せて槍を前へ。なお深く突き刺さるそれを受けて、イザイタロは咳込むように吐血した。唾液交じりの明るい紅が、魔槍の淡い緑とデフロッテの腕に降り注ぐ。振りかぶられた大剣はデフロッテの肩を掠めて地面に刺さった。イザイタロの灰色の瞳の光が陰る──デフロッテの勝利が、確定した。

 力を失くしたイザイタロの身体は、デフロッテの押し込んだ勢いのままに仰向けに倒れる。どさり、という鈍い音に混じって血が跳ねる嫌な音がデフロッテの耳にも届いた。今後もこの音は好きにはなれないだろう。悔いの残る戦いをしたつもりも、命のやり取りへの忌避感もないのだが、命の終わりは好きにはなれない。

 鉄の床の上にじわじわと広がる紅の水溜りを見下ろす。戦闘の余波で破壊されたリアクターのパイプから漏れた液状マナと混じり合って燐光を放つそれは、何処か詩的ですらあった。まだ微かに息のあるイザイタロの瞳が、どこか虚ろな昏さを滲ませながらデフロッテを捉えた。


「み、ごと……」


 ひゅうひゅうと空気を漏らしながら、イザイタロは言葉を紡ぐ。間もなく潰える命から零れたとは思えない力強い声に、デフロッテは蜜色の眼を大きく見開いた。


「デ、フロッテ。勇敢、なる……皇国の、騎士。貴公の手によって……この命の、幕を、引、けたこと……感謝の、念に堪え、ぬ」


 ──何時か魔物に喰い散らされたろうか、餓えて荒野に屍を晒したろうか、否、もっと以前に荒くれ共に打ち据えられていたかも分からぬ命を、こうして誇り高く終えられたことに感謝する。

 絶え絶えの息をどうにか繋いで呟かれた言葉に、デフロッテは息を呑んだ。彼は生粋の冒険者であった。明日も知れぬ日々を生きていた、刹那の戦士。

 ありがとう、と。続いた言葉に目を伏せる。その様子にちらりとだけ視線を投げたイザイタロは、その灰の目で彼方を見やりながら嘯いた。


「恐れは、ないさ。散った、同胞の元へ……還るだけだ。──朋よ、今……」


 言葉は、其処で途絶えた。呼吸音は少しずつ静かになり、やがて空間には静寂が戻る。ふらつきながら、しかしまっすぐに立ち上がったデフロッテは天を仰いだ。


「戦士、イザイタロ。勇猛なる貴公のその名を、このデフロッテが覚えおこう」


 大剣を飾っていた宝玉をそっと抜き取って、デフロッテは歩を進める。さあ、急ぎ皆と合流せねば──足取りはおぼつかないが、確かに前に進むデフロッテの握りしめた拳の中で、イザイタロの瞳と同じ灰色が冷たく輝いた。

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