露見

 そこからはひたすらに術式の解析に日々を費やす事となった。日々日々に構成を変えていく術式のパターンを探り、幾つかの規則性こそあれほぼほぼランダムなそれを読みといては組み直していく作業は、単純なだけに中々堪える。こういった作業が最も得意なのは元研究部所属のリュシールだが、彼女は解析作業があまり進行してしまわぬように別の班の妨害も並行している為、完全にこちらにかかりきりになれないのは地味に痛手だ。更に激務に加えジリノラーナからのセクハラがまだ地味に続いているらしく、一時も気を抜けないのも応えているらしい。術式のメモを並べた羊皮紙を派手に散らかしながらぐったりと溶けた彼女は「研究部の時もこんなに缶詰にはならなかった……」と低い声で呻いていた。


「猫さん、生きてますか?」

「しんでる」


 モニールからの問いに間髪入れずに応えた猫の娘は「あー……私がもう一人欲しい……」と訳の分からないことを述べながら再び術式を展開する。指先を滑らせるようにして魔術式を解体していく様は、モニールの目にはそれこそ魔法のように映る。青白い光に照らされる娘の顔は疲労こそ滲ませているものの、確かに探究者そのものといって差し支えなかった。


「時代的に仕方ないんだけど古代言語が厄介だよね、解読に時間かかるのが痛い。大体半刻程度で一回から二回の式変動があるからそれまでに根本をぶっこ抜きしたいんだけどそれをさせてくれない辺りが憎らしいっていうか、即ち私への挑戦状って訳だよね?いい度胸じゃない魔術式風情が調子乗らないでよねえ!」


 ──少し……否、もしかしたら大分、疲れてはいるようだが。




 リュシールの溜まった疲弊が齎した一種のランナーズ・ハイによって、『へスぺリス』メンバーの手元のデータは整いつつあった。皇国の研究部に回せば完全解析は不可能にしても停止術式程度ならば組み上げることは不可能ではないだろうとのヴィルヘルムの判断により、複製された術式データは皇国に転送される流れとなった。

 魔法具の扱いに長けたモニールの手によって、解析作業に見せかけたデータ複製作業も恙なく進んでいた──はずであった。


「……ッ!ニィ、下がれ!!」


 術式の解析作業をしていたリュシールが唐突に声を荒げた。その言葉で瞬時に後退したモニールを光線が襲う。先ほどまで彼女が立っていた場所がすさまじい熱量で切り裂かれたのを確認すると彼女の頬が引き攣る。その様子を尻目に、舌打ちせんばかりの表情を浮かべるリュシールにデフロッテは声を上げた。


「リュシィ、これは?」

「エド、三歩後退!ヴィリーさんは右斜め前方で屈んで!ああ、クソッタレ──!!」


 展開した魔術式の解析と書き換えを行いながら、吐き捨てるようにリュシールはその問いへ応える。忙しなく射出される白光がありとあらゆるところを焦がしながら猫の娘の白い頬を掠めていくが、それすら気にする余裕がないのだろう。縺れそうな舌で呪文を紡ぐ彼女はよく通る声で呻いた。


あのクソ魔法あんにゃろう、こっちの動きを察知した挙句に妨害工作仕掛けてきてる!ご丁寧に上層部に警告まで飛ばしやがって……」


 最悪だ!と続いたその言葉の後ろで足跡が響く。想定しうる最悪の危険にヴィクトリアは撤退の指示を余儀なくされるのであった。




 結界式を無理矢理破壊した一行は研究所内の応接部屋の一つで息を潜めていた。無意味に広い建物はこういった侵入者への想定が甘かったがゆえだろう。だが見つかるのも時間の問題というのは変わりない。何処からかジリノラーナの「探せ!探し出せ!!」という喚き声が何度も響いている。

 周囲への警戒を強めながら、ヴィルヘルムは消耗した様子のリュシールに問いかける。先ほどの現象はあまりにも尋常ではない──何があったのか、と。その問いに、魔力の急激な消耗で顔色を青くしたリュシールはふらつく身体を支えながら「簡単に言えば、『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』に停止式の構築を目論んでいるのが露見した、ということです」と呟いた。


「自己制御どころか自己進化まで可能としているとは思いませんでした。これは解析中に気付けなかった私のミスです」


 心底口惜しいとでも言わんばかりのその表情に、ヴィルヘルムは「そうか」とだけ応じる。「今は反省よりも打開策が欲しいところだな」と言葉を続けると、アメシストの視線をリュシールへと突き刺す。


「現状でとれる最善の策はあるか?」

「──あれは最早、稼働そのものを止めてしまった方が確実かと」


 核を。形のいい唇が震えるようにして音を紡ぐ。金月の瞳の奥に揺らめく焔がちらちらと燐光を放つのを、ヴィルヘルムは見た気がした。


「制御と進化の核を──あの蒼い結晶を破壊することを進言いたします」


 その言葉に彼は静かに頷く。自己制御を可能にする魔法という時点で危険な代物だ。皇国の利になり得たかもしれないが、それ以上に伴う危険リスクが大きすぎる。


「『疾風の鷲エグル・ラファール』ヴィルヘルム・アドラー特務中尉が特権を以て『へスぺリス』に命ず。『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』を破壊せよ!」


 低い声で紡がれたヴィルヘルム──特務中尉からのその命令に、『へスぺリス』一行は敬礼で応じた。


「さあ、全面交戦だ」


 覚悟しておけよ、と舌なめずりをした彼女の金の瞳の奥で燐光を放つ焔がどんな感情を焦がしていたのかを知る者は未だいない。

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