禁忌

 後退ったリュシールの肩に、ヴィクトリアがそっと掌を乗せた。それにより漸く平常心を取り戻したリュシールは「あのぅ、?」と声を上げ、太い腕に絡みつくようにしてもたれかかる。通常時の三倍は甘ったるい声音の奥に探るような眼光を隠しながら、彼女は問うた。


「それで……私たちの仕事ってなんなのですか?」


 閣下の寝所にお邪魔するだけではありませんでしょ?と笑うその表情は何処か妖艶でもある。ましろの指先をジリノラーナの身体に這わせる仕草も相俟って、蠱惑的な色香を滲ませる彼女の姿に、一同も内心で舌を巻いた。この猫娘、存外にハニートラップが上手い。

 案の定蛙男は鼻の下をだらしなく伸ばしながら頬に朱を滲ませており、その伸ばした手が腰の辺りを撫でようとするのをするりと躱しながらリュシールはかわいらしく小首を傾げて見せる。その仕草に見惚れていたジリノラーナはデフロッテの静かな咳払いで我に返った。


「なに、貴様らの仕事はそう難しくはない。仮にも魔術を扱う身の上ならば術式の読み込みくらいはできるだろう?」


 そう言って笑うジリノラーナの背後で、蒼い結晶が妖しく煌いた。




 結局のところ、ジリノラーナの仕事は其処までのようであった。不愉快な蛙面を醜く歪めながらら割り当てられた個室に一行を閉じ込め(扉は施錠され、実質的には軟禁と何ら変わりはない)た彼は「私は他にも仕事があるのでな」と吐き捨てる。去り際にリュシールの掌の中に自身の宿の部屋の番号を書いた紙片を押し付けていたが、その背中が見えなくなった瞬間に彼女は笑顔を浮かべたまま紙を切り刻んだ。そのすがすがしい表情から察するに余程の鬱憤を貯めこんでいたのだろう、風に舞う紙片に更に追い打ちをかけるように火を放った彼女は、炭になって完全に消えたそれを見送ってから振り返った。


「──さて、それじゃあ状況の整理をしますか……っつってもリュシールからの報告が主になるだろうけどな」


 それはそれは輝かんばかりの笑みを浮かべるリュシールから意識的に視線を逸らしながら、ヴィルヘルムは言葉を紡ぐ。皇国に流す情報の精査も兼ねているのだろう。モニールは懐に隠していた録音用の魔法具をそっと設置した。それを横目に確認してから、備え付けの椅子にどっかりと座り込んだリュシールは地の底から響くかのように深く重い溜息を零してからその金月に真剣な光を宿す。


「あー……とりあえず分かったことは何個か」


 情報不足は否めないですけどー、と宣いながら彼女は足を組み体を起こす。顔の横でまずは人差し指を伸ばしながら「ひとつ」と呟く声は続く。


「この研究所全体に共通して言えるのは施錠結界の雑さですかね。ちょっと型落ちの術式ですけど、解体に時間かかるかもです」

「旧式なのに?」


 先輩そういうの得意じゃなかったでしたっけ?と宣いながら首を傾げたエドワールを半目で睨み、リュシールは苦虫を噛み潰したような顔をした。元々底辺を這う機嫌が更に下降したのを確認したデフロッテは迅速にエドワールの口を塞いで見せた。流石に同僚を上司がタコ殴りにする現場は見たくない。だが疑問は尤もなのだろう、慎重に言葉を選びながら疑問を口の端に乗せた。


「お前がそういうという事は、何か大きな罠でも仕掛けてあったのか?」

「その質問への答えはノー。というか端的に言えばなのよね、別に」


 はあ、と息を吐き出した彼女は怠そうに口を開く。声色に滲んだ「こんなのも分かんないの?」という苛立ちは恐らく不機嫌からくるものだろう。証拠に、凍りつくような視線は主にデフロッテの腕の中で口をふさがれたエドワールに注がれていた。


「魔法には構築式が必要なのは分かってると思うけど、複数の効果を付与した魔法を発動するなら、構築式にはその効果の付与術式を組みこまないといけない。此処の結界で言うなら施錠・認証・照合・開錠・警告。ただ、これらの付与はただ式を連ねればいいわけでは無くて、組み合わせ方で効果の発現に大きく差が出る。つまりバランスが必要な訳。理解できた?」


 ちらり、と向けられた冷ややかな視線にエドワールはぶんぶんと首を縦に振る。「わかったなら結構」と述べた彼女はエドワールから視線を逸らし言葉を続ける。


「で、今回の結界なんだけど──そのバランスがぐっちゃぐちゃなの。発動してるのが奇跡ってレベル。下手に弄ると不必要な式まで崩れちゃって暴発の危険がありそう──それで、これがふたつめの情報につながるんですけど」


 言いながら人差し指と中指を立て、彼女は金月の瞳を伏せる。


「術式の流れからするに、施錠結界の結界式が『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』の制御式に流用されてるみたいなんですよね」


 だから下手に動かすとそのまま『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』の暴走の呼び水になりかねないのがなー、と呻く彼女はガリガリと頭を掻きながら「更に」と薬指を立てる。三本の指を翳しながら、「これが一番やばい情報です」と呻いた彼女は、酷く重い荷物を背負ったかのような表情で告げる。


「あの魔法、『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』は、その……います」

「生きている?」


 その言葉に反応したのはヴィクトリアだ。眉を潜めた彼女にリュシールは気まずげに視線を逸らす。


「説明が難しいんですけど……なんていうか、アレは私が見てる短時間の間だけでも異様だったんですよ──信じられます?自発的に絶え間なく切り替わる術式と構成、マナの吸収量!」


 悍ましいモノを見たと言わんばかりに震えるリュシールのその言葉に、全員の顔から血の気が引いた。書き換わる術式が事実だというのならば、『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』を使用するのにということになる。それは即ち魔法が一人で魔法を発動するということに他ならない。──成程、それはあまりにも禁忌であろう。魔法とは、ヒトが制御することで初めて技術として成り立っていたのだから。


「つまり、何か?『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』は自己制御を可能としてるというのか?」

「現段階では何とも……」


 ヴィルヘルムの言葉に唸りながら答える彼女の視線は暗い。目の前に横たわる問題の大きさが、部屋の空気の重さとなってそのまま一行を包み込んだかのような空気の中で、ヴィクトリアは静かに「──ひとまずは術式の調査依頼を熟しながら更に情報を集めるしかあるまい」とつぶやいたのだった。

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