異界魔導研究機関ネケシタス

 それはちょっとした宮殿のようですらあった。目がちかちかするほどに作り込まれた細工はちょっとしつこい。デフロッテは「まあ、貴族ならこんなものだろうな」と慣れた様子だが、無駄な物を嫌うリュシールは「胃もたれ~」と呻きながらげんなりしていた。尤も、それは未だに腰を這う脂ぎった手の感触に精神を削られているのもあるだろうが。

 そろそろ危ういところ(具体的には胸部のささやかなふくらみとか、脚の付け根とか)を触れてくる手を弾く彼女を尻目に、ヴィルヘルムが問う。


「で?此方では何の魔法の研究をされてるんで?」


 学がないもんでよくわからんのですよ。教えてくれますかい、閣下?というそれにはん、とジリノラーナは心底呆れたように鼻を鳴らした。リュシールが彼の手を弾く力にがやや強くなったがそれも気にせず、熱っぽい口調で語りだす。モニールが小さな声で「ちょろいの極み」と呟いていたのは、デフロッテにそっと制されていた。実際、そちらの方が助かるので是非もない。


「まったく脳筋共はこれだから!まあいいだろう、是は我等がテンブルクが大陸を──否、を!制する為の布石……『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』をさせるための研究施設である!」


 その言葉に一瞬、一同の視線が鋭くなる。絶対の禁忌タブーの名を簡単に出すあたり、この男は魔法に造詣が深いという訳ではないらしい。大方出資者というところだろうか──詳しい情報が欲しいところだ。ヴィクトリアが視線でリュシールに指示を出す。それに気が付いた彼女は(無論ジリノラーナには見えない角度で)苦いものと甘いものと辛いものと酸っぱいものを一度に噛み締めたような嫌な顔をしたが、すぐにその顔に笑顔を張り付けてするり、とジリノラーナに擦り寄った。


「閣下、それで?そのを完成させてどうするんですか?」


 腰の辺りを撫でまわしていた手をやんわりと握り、それを持ち上げて口付けを落とすかのように顔に寄せる。金月の瞳をとろけさせて上目遣い気味にジリノラーナを見上げた。完璧な仕草に隙はなく、デフロッテは思わず顔を顰める。恐らく、現在彼女の脳内では蛙の大量殺戮が行われているであろうことは想像に難くない。とはいえその気配を表情に見せることはなく、ただただ甘ったるさを声音に乗せてしなだれかかる。決定的なところは触らせず、ただそれすらも焦らしの一環にしか見えないのは流石というべきか。猫のような少女の、その評価に違わぬ翻弄っぷりは流石と言える。

 そのかわいらしい甘えっぷりがジリノラーナは大層お気に召したらしい。でれでれとだらしなく鼻の下を伸ばした蛙面は上機嫌なまま「『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』だ」と訂正し「いやなに、私も門外漢であるが故に詳しくは知らんのだがね」と前置いてから言葉を続ける。その前置きに「使えねえ」と呟いた誰かがいたが、その声はジリノラーナに届く前に掻き消えた。



 ──『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』は、未だしていない。その精度は十分とは言えず、また『魔法』とは彼の魔法の本来の用途ではなく、元々はとして開発されていたものである。

 不必要に勿体ぶって長々しく、かつ合間合間に余計な自慢話を挟む蛙面の話を要約すると、つまりこういうことだ。これだけの情報でも十分に今この施設で行われている研究がどれほどまでに危険なことかは理解に難くない。仮にも軍属の彼らにとって到底無視できるものではなく、そしてそれ以上に『異界降臨魔法アヴェヌーマン・パラディゾ』の齎すの可能性に、その背筋がじわりと冷えるのを感じていた。

 ふと、ジリノラーナは宮殿のような研究所内のとある一室の前で立ち止まった。白亜の廊下から生える数々の部屋では、稀に文献を読み漁る研究員らしき白い影などが垣間見えていたとはいえ、これまで研究所らしさをまったく見せていない建物の中では異彩を放つ鉄製の扉。ヴィクトリアが滑らせた視線の先でモニールが静かにイヤリング型の魔法具に触れる。流された魔力は二回──その扉そのものに魔法がかけられている形跡がある、という合図だ。

 警戒する一同を気にする風もなく、ジリノラーナの掌が扉に触れ──その掌を中心にぶわりと青白く文字が浮かび上がる。かちり、という乾いた音。それを合図に、錆びた重たい音を立てながら鉄の扉は開かれた。


(術式は施錠・認証・照合・開錠──あとはこの結界が無理に破られた際に術者を含む何人かに警告が飛ぶようになってるのか。それにしても並びが雑だわ、下手糞)


 文字を読み取ったリュシールは静かに思考する。使い古された施錠結界であるとはいえ、掛けた術者の腕が悪いのか式のバランスが悪い。突き崩すには時間がかかると判断するとジリノラーナの手から逃げるようにして身体を逸らし、ヴィクトリアに向けてゆるく首を振る。今は無理、という合図にヴィクトリアも素直に頷いた。元より、そうそううまくはいかないのは理解している。

 改めて開いた扉の向こうに視線を向け──一同は息を呑んだ。魔力を循環させるリアクターが幾つも回転するその中心で幾人もの魔法師が一心不乱に術式の解析を進める蒼い結晶体。その術式の文字構成を確認したリュシールは静かに後退った。


 明滅を繰り返すその結晶体こそが──異界を繋ぐ鍵。遥か古代のだ。

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