依頼の地へ

 テンブルク魔法研究所。それはこの小国において唯一の魔法研究機構だ。彼の国において、ありとあらゆる魔法はこの研究所にて管理されていると言って過言でない。常であれば一介の冒険者風情では箸にも棒にもかけられまいが、昨今ではその限りではないのだとサニーは言った。


「なにかの魔法に関する研究のために多くの人員が必要なのだとのことで、こうして魔法を扱う冒険者にも声がかかるようになったの」


 ただし、研究内容は秘されていることと、長期任務扱いとなる為に未だ完全に任務を完遂したパーティはないのだ、とその言葉は続く。「この街は国境付近の辺鄙なところだから声がかかることはないかと思っていたけれど、貴方たちは優秀だったものね……」と眉を下げる彼女の姿は何処か憔悴しているようでもあった。


「可愛いサニー、俺たちのことがそんなに心配かい?」

「もう、ヴィリー!私は真剣に貴方たちを心配しているのよ!」


 茶化すような言葉を並べるヴィルヘルムに、サニーは眉を吊り上げる。彼女の栗色の髪がぶわりと逆立つ姿はその怒りを如実に示すかのようで、流石のヴィルヘルムも「おっと、冗談だって」と後退った。


「ええ、そうよ。心配ですとも。連中、私たち相手にも威張り散らして『御国の為の人材を輩出したことを誇れ』だの『脳筋連中にも使い道があって何より』だのと宣ったのよ。貴方たちがどんな扱いされるか分かったものじゃないもの!」


 ああもう腹が立つ!と唸った彼女は乱暴に書類を机に叩き付けると、「私たちが許可するから、きっちり依頼料吹っ掛けちゃいなさい!偉ぶる蛙腹どもに目にもの見せるのよ!!」と吐き捨てる。そのあまりの剣幕に、『黄昏の剣』一同だけでなく他のパーティも唖然としているらしい。自然、サニーに(そして彼女の目の前にいる『黄昏の剣』にもだ)視線が集まるが、彼女はそれを全く歯牙に掛けることもないまま、鼻息を荒くして「返事は!」と『黄昏の剣』を一喝する。そのブラウンの瞳がギラギラとこちらを睨むのに気圧されて、一同は反射的に「は、はい!」と背筋を伸ばした。




 依頼によって指定された場所はテンブルクの王都であった。彼の国の奥、巨大な山脈の麓に位置する王都までは砦の街から片道で百五十里──通常ならば半月を掛ける道のりだというのに研究所の指定してきた日付はその更に半分、七日後だという。これには一同も流石に愕然としたが、そうも言っていられない。泣く泣く貯めた金子きんすで厩から馬を借り、それを大急ぎで走らせた。一行も馬もほぼ休みなく進んで、指定された当日にどうにか王都に辿り着くことが出来た。馬は泡を吹いて倒れそうな様子であったし、一行とて息も絶え絶えの泥まみれ。だというのに彼らを見た研究所からの遣いだという男は、そのでっぷりとした腹をさすりながら蔑んだ目で一言だけ「蛮族が」と宣った。


「まったく、あれだけ時間をやったというのに。参上も遅ければ『身だしなみ』という言葉も知らんと見える。品の無い輩め、国の為でなければお前らなどとは同じ空気も吸いたくはないというものよ」


 ジリノラーナ、と男は名乗った。どうやら貴族階級らしい。初めに階級を名乗られたが、特に必要な情報ではないので全く記憶に残っていない。一応の自己紹介はしたが、その後は罵倒が続く。聞くに堪えない暴言の数々は疲弊した一行の耳の中でわんわんとよく響いた。


「──まあいい。一先ず汚れを落として来い。そんな泥まみれでは施設に足も踏み入れさせられんからな」


 そういって踵を返した男の背中に向けて、リュシールは低く「これが仕事でよかった」と呟く。


「──私生活オフだったら、あの蛙男ミスター・フロッグを膾切りにしてたかも」


 返事を返す者こそいなかったが、誰もそれを諫めることはしなかったあたり一行の心は一致していたのだろう──あの蛙は敵だ。

 ひとまず、指定された宿に向かう。それなりに質のいい宿ではあるのだろう、浴場が据え付けられた中部屋二つがどうやら彼らの拠点となるらしい。一先ずは水浴びを済ませようと、部屋の扉を開け──「お待ちください」という声に動きを止めた。

 声の主は宿屋の従業員だ。大きな籠を差し出しながら「こちらを」と小さく続ける。籠を受け取りながら首を傾げたヴィクトリアが「これは?」と問うと、「お召し変えです」と短い返事が続いた。


「皆様の服装は汚れておいでなので『研究所』に来る前に着替えよ、とジリノラーナ様から指示がありました」


 ではこれで、と頭を下げて立ち去った女中。その背中が完全に遠のいたことを確認すると、モニールは懐から取り出した魔道具のレンズを籠に翳す。「解析アナリーズ」という詠唱と共に一瞬青い燐光が漏れたが、それは瞬く間に霧散した。


「怪しい魔法の形跡はありません。型は古いですがサイズ調整系の魔法がかかっている装飾があるだけみたいです」


 その言葉に無意識のうちに詰めていた息が零れ落ちた。安堵の溜息を聞きながら、苦笑したヴィルヘルムは男性に割り当てられた部屋の扉を開く。


「んじゃま、ご要望通り汚れを落として着替えますか」




 ──猫の娘は非情に苛立っていた。亜麻色の髪はぶわりと逆立ち、金月の瞳は剣呑な光を宿しながらギラギラと揺らめいている。真一文字に引き結ばれた唇、吊り上がった眦。全身から発せられる怒りの波動に、心なしか気温が下がる心地がする──デフロッテとエドワールは後退りながら天を仰いだ。頼むからこれ以上この猫の機嫌を損ねてくれるな、と。

 だが、無情にもその祈りは届かない。リュシールの華奢な身体を舐め回す様に眺めるジリノラーナは「汚れを落とせば中々見れたものでは無いか、ん?」と下品な笑みで顔を彩った。


 ジリノラーナから押し付けられたのは男性は礼服、女性はドレスである。無難な型のものばかりではあったが、サイズ調節の魔法のお陰で着られないという事態には陥らなかった。軍務で礼服を着る機会もあるが故に、彼ら彼女らは特に戸惑いもなく着こなしてみせた──思えば、それがいけなかったのかもしれない。

 結論から言えば、リュシールを筆頭に女性陣はジリノラーナに。無論、悪い意味でなく──いや、悪い意味ではあるのだが──端的に言えば『性対象として』。

 リュシールは小柄で華奢だが、女性らしさが無い訳ではない。すらりとした手足はしなやかな柳のようで、猫のような表情は何処か少女らしさを滲ませながら艶やかさも滲む。暖かな黄色系のドレスはフリルが多く溌剌とした彼女のイメージも相俟って子供っぽさを感じさせない。対照的にヴィクトリアは深い青のドレスだ。シンプルで肌にぴったりとしたデザインのそれは、彼女の纏う涼やかな色気を下品でない程度に強調する。モニールは淡い緑の露出の少ないデザインだが、それがまた彼女の大人しげな雰囲気に合っているのが流石だろう。元々出るところの出たメリハリの或る体つきの少女だ、露出はなくとも華やかさは他の二人に引けを取らない。

 つまるところ、それがいけなかった。ジリノラーナは現れた三人を見て一瞬呆けたものの、すぐさまその視線に不埒な思惑を滲ませて値踏みをし──不幸にも目を付けられたのがリュシールというわけである。


「まったく、痩せて薄汚い野良猫かと思えばとんだ掘り出し物よ。どうだ?これを機に囲ってやっても良いぞ?殊に、お前のような娘は良い。褥でその金の瞳が濡れる姿はさぞ美しかろう」


 どうやらこの男の好みは少女らしさの残る顔立ちらしい、とリュシールは嫌と言うほど理解した。下心を隠しもしない台詞と厭らしい手付きで腰を撫でる掌。詠唱を舌先で転がしつつ、それが表に出ないように噛み締めるのは何度目か。もし舞台が整ったならばこの蛙は念入りに刻もう、と決意を固めた彼女の目に白い豪奢な建物が映る──あれが『そう』か。この時ばかりは蛙の不愉快な手もリュシールの意識から外れた。


「さて、これが我が国の誇る研究所──」


 テンブルク魔法研究所の新部門、ネケシタスだ。そう続いたその言葉に、知れず息を呑んだのは誰であっただろうか。

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