魔獣討伐

 翌日の早朝の事である。同じく『雪の仔猫亭』で宿を取っていたヴィルヘルムに叩き起こされた一同は、大通り沿いにあるという組合に向かうこととなった。朝食代わりのサンドイッチを頬張りながら、半分寝たままで歩くという荒業をこなすリュシールを横目に見て、ヴィルヘルムは苦笑している。

 ヴィクトリアを含む『ヘスペリス』の面々にとっては最早見慣れた光景だが、未だ一日にも満たない付き合いの彼には余程珍妙に見えたのだろう。「器用だな、あの嬢ちゃん……」という呟きが思わずとでも言わんばかりに口から零れ落ちた。その呟きに応えるように「あの人、いつもああなんで慣れないと頭おかしくなりますよ」というコメントを残したのはエドワールであるが、彼はリュシールの蕩けかけた金色の瞳が一瞬剣呑な光を宿したことに気付いてはいないようである。ああ、俺は知らんぞ……昨日に引き続きそれに気づいてしまったデフロッテだけが生温い笑みを浮かべるのであった。


「──それで、こんな早朝に組合は開いているんですか?」

「ん?おう、あそこは一日中開いてるからな。は早いうちに行かなきゃ他にとられちまう」


 モニールの問いに陽気な声でヴィルヘルムは応える。やや楽しげなその声に嫌な予感を感じたのは気の所為だろうか。やや顔を顰めたモニールを気にした風もなく、彼は「さて、組合はこっちだ」とおぼつかない足取りのリュシールの首根っこを捕まえてずんずんと歩いて行った。



 組合に着くころにはさしものリュシールも目が覚めたらしい。しっかりと地面を踏みしめて歩きながら大きく伸びをしている。その斜め後ろに腹部をおさえて倒れ込むエドワールの姿があるのは蛇足だろう。「拳を風魔法で加速させて鳩尾に叩き込むとはやるな」というヴィクトリアのどこかずれた言葉を聞きながら、デフロッテは内心で合掌した。ぶっちゃけ、このオチは「人間だったんだ」という発言の時から見えていたので。

 さておき組合である。皇国軍の詰め所ほどではないにしろ大きい建物だ。ただ、作りはどちらかと言えば飾り気がなく無骨、悪く言えば粗野な雰囲気である。お世辞にも品がいいとは言えない建物にデフロッテが妙な顔をしたのを見て、ヴィルヘルムは「冒険者みたいな連中にはこっちの方が受けがいいのさ。質実剛健ってね」と肩を竦めた。


「まあ、そいつはともかく依頼を受けなきゃならん。其処の掲示板が見えるか?あそこから、まずは依頼を選ぶ」


 言うが早いか、ヴィルヘルムは掲示板に貼られた何枚もの羊皮紙の中から適当なものを選ぶと乱暴に剥す。依頼の用紙を一瞥した彼は「結構デカい群れみてえだなあ。ま、箔は付くからいいとしよう」とぼそりと呟いた。ぴらり、と此方に見せたその依頼書には[アックスビークの群れ討伐]という文字が見える。書かれた魔獣の名にようやく復活したエドワールが嫌な顔をして「なんかさっき不穏な発言が聞こえたんですけどぉ……」と呻いたがヴィルヘルムはあっさりと見なかったことにして掲示板の奥にある受付に紙を提示した。


「選んだ依頼は此処で申請する。他のパーティーと仕事が被ると分け前だなんだで厄介だからな。そういうトラブルが無いように管理してくれんのも組合だ──っと、サニー。この依頼受けるぜ」

「こんにちは、ヴィリー。あら?あなたが群れ相手の仕事を選ぶなんて珍しいのね。ソロだから慎重になるのではなかった?」


 ヴィルヘルムの声に応じて受付のカウンターの向こうに顔を出した女性は、どうやら彼と既知であるらしい。栗色の髪を揺らすサニーと呼ばれた彼女は、慣れた様に受け取った依頼書を見て首を傾げた。


「いやあ、昨日からソロじゃなくなったのよ。昔ちっと面倒見てたガキが最近こっちに来たらしくてね。前はエヴリアン付近でほそぼそやってたらしいからこっちのやり方を叩きこみつつ腕を見てやろうと思ったのよ。その序にサニーの綺麗な顔を曇らせる困った長期依頼の解決ってわけだ。」

「んもう、適当な事ばかり言って。ああ、彼方の子達がヴィリーのお弟子さんなのね。エヴリアン付近じゃ中々仕事もないだろうに食べていけてたってことはそこそこ腕も立つのだろうし──少々人数は心もとないけれど、ヴィリーのお世辞に免じて許可しましょう」


 まるで台本でもあるかのようにすらすらと出てくる出任せと口説き文句に、面々は微妙な顔をするしかない。唯一昔からヴィルヘルムを知るヴィクトリアだけが痛むこめかみをおさえながら「ああ、そういう人だよあなたは……」と呻いた。結局、そこで平然と女性を口説きにかかるヴィルヘルムを引きずるようにしながら、一同は組合の受付から立ち去るのであった。



 アックスビークの群れの目撃情報があった場所は国境の砦から少し進んだところにある平原らしい。依頼書は群れの規模から最後の目撃場所など、存外細かいところまで記載があり、想像以上に仕事がしやすい形まで整えられていた。「こっちじゃ冒険者ってのは主戦力だからな。国もサポートしないで無駄足を踏まれたり仕事に支障が出るようじゃ困るってことよ」とはヴィルヘルムの言であるが、まあ実際その通りなのだろう。猛獣討伐依頼のほかに調査依頼などもちらほらと掲示板に貼られていたことに、リュシールは気付いていた。


「改めて環境の差を感じる……」

「だろうな。尤も、皇国がちと特殊なんだが」


 騎士団と軍がしっかり役割分担して整備されている国は少ない、と告げる彼は「潜入任務が多い関係上あちこち行ったが、皇国の他にはルドウィッジ王国くらいだろうな」と述べる。


「他は存外冒険者連中が傭兵やったりってのも少なくない。そういう意味では皇国は平和なもんよ。鼠の入り口が限りなく少ないからな──っと」


 先導していたヴィルヘルムが言葉を切って立ち止まる。その様子に一同は身構えた。奔らせた視線の先で、ギラギラと濁った黄色の目を見開いた怪鳥が威嚇する様に翼を広げて高い鳴き声を上げる。


「奴さん、お出ましだ」


 ヴィルヘルムの低い声が、楽しげに跳ねた。



 アックスビーク。『斧の嘴』という名のとおり、大きく頑丈な嘴を持つ大型の鳥類魔獣を指す。木々すらなぎ倒す嘴での攻撃の他、退化した翼の代わりに大地を駆ける事に特化した脚から繰り出される強烈な蹴り、そしてなによりもその巨躯を覆う羽毛に魔法攻撃が通り難いことから、皇国軍でも『中級の壁』と呼ばれることもある。それはどうやらテンブルクの冒険者の間でもそう変わらないらしい。「いやあ、誰も手を付けてなかったらしくてなあ」と、怪鳥の鋭い蹴りを回避しながら笑うヴィルヘルムに「ほらぁやっぱりろくなこと言ってない!!」と喚いたのはエドワールだ。


「エド、煩い。吠えてないでニィのフォローをしろ。デフィ、お前が前線だ。リュシィはデフィのサポート。ヴィリーさんと私はエドとニィの護衛をする──一同後退!」


 続々と集まるアックスビークの群れの中で猛攻を避け続ける一同に、ヴィクトリアの鋭い声が飛ぶ。「了解!」という短い返事と共に、地面を蹴るとヴィクトリアの周辺に集合する。即席で組まれた陣形は、それでもバランスがいい。


「では指示通りに──散!」


 その言葉が早いか、真っ先に飛び出したのはデフロッテだ。既に『身体強化魔法ミュスクルヴェ』を発動させていたらしい。四肢に淡い燐光を纏った彼は、目にも止まらぬ速度で駆けながら腰に佩いた剣を抜き放つ。

 そのまま既に十数匹は居ようかというアックスビークの隙間を縫うように走るデフロッテ。足元をうろつかれる怪鳥たちは、苛立ち交じりに嘴で地面を抉り鉤爪で青年を狙うが、それらは全て彼を捉えきることが出来ずに空を切った。


「リュシィ!」

「あいよ!『Shot射出』──舌噛まないで、ねッ!!」


 群の中心部に近づいたところでデフロッテはリュシールの名を呼ぶ。その鋭い声に応じるように、デフロッテの後を追い掛けたリュシールは声を上げた。掌をかざすと短い詠唱を口の中で唱えながら魔法式を構築していく。簡略化されたそれは発動までにそう長い時間は必要としない──言葉が切れる直後には魔法が発動していた。

 単純な空気砲。デフロッテの足許で炸裂したそれは、彼の身体を勢いよく空へ投げ出した。風圧で体勢を崩したアックスビークは、今の今まで大地から自分たちに迫っていた人間が急に空を飛んだことと、自分たちが急に体勢を崩したことに混乱したように視線を彷徨わせている。その隙に中空から迫るデフロッテは、落下の勢いの儘に魔力を纏わせた剣をアックスビークの脳天に沈みこませた。

 噴き出した鮮血が怪鳥の薄汚れた羽毛を赤く濡らす。断末魔の絶叫を意に介することはない。倒れる体躯を踏み台にして次のアックスビークの喉へ剣を突き立てれば、その鈍い衝撃音と肉と筋を断つ音がどこかくぐもった調子で響いた。未だ絶命には至っていないアックスビークが口から血の混じった泡を吐く様を冷静に見上げながら、デフロッテは剣をそのまま横に薙ぐ。

 裂かれた喉から降り注ぐ血霧と、今度こそ絶命して斃れるその骸。それを足場にして次の個体へと剣を向けたところで、デフロッテの視界を影が遮る。それが彼の身体を啄まんと死角から迫っていた怪鳥のものだと気付いた時には少々遅い。空中で身動きが取れない彼に、大きく開いた嘴が近づき──唐突に感じる強風。次の瞬間には喉から血を噴き出して巨鳥の躰は地面に伏した。その死骸の上に着地し、バランスを取り直したデフロッテが振り返った先で金色の瞳がにんまりと細められる。


「──口の中に羽毛はないデショ?」


 悪戯が成功した猫のようなリュシールのその表情に、デフロッテは苦笑を返すしかない。彼方で「うっわえげつな」という台詞を吐いたエドワールの声がリュシールの元まで届いてはいなかったのは幸いというべきだろう。

 気付けば血溜りの中で立つのはデフロッテとリュシールのみ、死を免れたアックスビークは既に逃走したらしい。深追いはよろしくないというヴィクトリアの言葉に頷いた彼らは深々と息を吐き出した。討伐証明部位である嘴を削ぎ落とし──アックスビーク討伐依頼はこれにて完了である。


「ヒュウ、オリアんとこの連中はなかなかやるなぁ。アックスビークじゃ思ったよりも弱かったかもしれんし、次はバジリスクとかやっちゃうかい?」

「十人以上で狩る魔獣の討伐依頼を気軽に受けないでください、ヴィリーさん!」

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