再会とそれから

 『ポルタ』を使った──異界を介した移動は慣れが必要不可欠である、というのは、軍属の人間ならばよく聞く話だ。上下も左右もない曖昧な空間をひたすらに歩く行為は、内部のエーテル濃度も相俟って所謂『乗り物酔い』に近い状態を引き起こすらしい。『視界が安定せず常に変動する様に振動を誤認して三半規管に異常をきたす』だとか、『過度のエーテル摂取が脳の麻痺を招き酩酊に近い状態になる』のだとか、様々な説が唱えられていると嬉々として語ったのは誰だっただろうか──そんなことを考えながら、リュシールはこみ上げる吐き気に顔を青くしていた。

 「慣れとかよりも前に、体質的に苦手な方もいますからね……」とは、『ヘスペリス』一行を出迎えた砦の警備兵の言葉である。聞けば、『ポルタ』での移動後、リュシールのように吐き気と眩暈にやられる人間は割とよくいるらしい。中には何度も『ポルタ』での移動を経験しているというのにバテる者もいるらしい、というのは蛇足だろう。

 兎も角も、動くのもままならない有様の彼女は、そのまま苦笑が張り付いたデフロッテに背負われて移動することとなった。真っ青な顔をした彼女は、エドワールの「リュシィ先輩も人間だったんだなあ……」という失礼極まりない発言に言い返す気力もなく、ぐったりとしたままデフロッテの広い背中に身体を預けている。今にも死にそうな声で「きいたからな、エドォ……」と呻いていたのを聞いたのは、死に体の彼女を背負ったデフロッテだけだった。



 さても。いくら万全とは言い難いとはいえ、あまり長い事砦に留まることはできない。砦から街道に通じる隠し通路へ案内された一行は、その薄暗い道を抜けて街道を歩き、そう時間もかけずに街への潜入を済ませた。

 小さな街、という言葉の通り、面積そのものはそう広くはないらしい。全体的にごちゃごちゃとした印象を持つが、同時に活気に満ちている。市には軽食の屋台が並び、食材を置いた店の客引きの声が飛び交う。花売りの女も何人か見かけたが、彼女たちの艶っぽい視線は男女比率がやや女に傾いた集団には向けられることはなかった。

 何れにしても街としては申し分のない賑わいである。この間も復活が間に合っていないリュシールはデフロッテの背中に背負われ続けていたため、街中では妙な注目を集めることとなったが、それはまあ些細な事だろう。予め指定されていた酒場付きの宿屋に部屋を借りる。

 宿の名は『雪の仔猫亭』というらしい。銀色の猫の看板がよく目立つので待ち合わせ場所としても使われるのだ、とは宿の女将の言葉だ。その言葉の通り、『ヘスペリス』の待ち人は銀猫の看板の下で陽気に笑いながら手を振っていた。

 年の頃は四、五十か。彫りの深い顔に浮いた不精髭。それでも不快感を感じさせることがないのは人の良さが滲んだ表情が故だろう。白髪交じりのアッシュベージュの髪とアメシストの瞳がきらきらと光る彼は、若い頃は随分と男前であったのだろうことが容易に想像できた。


「おぅ、お前らが件の『黄昏』どもか──って、なんだあ、そりゃ」


 男性の第一声はデフロッテの背中で融けているリュシールの姿に向けられる。勿論返事をする元気もないリュシールは無反応を貫き通すので、代わりにデフロッテが「その……少々酔っていてな……」と言葉を濁した。その言葉に「ああ、」と納得した素振りを見せる彼は「そりゃあ……災難だったなぁ」と頬を掻いた。災難であったのがリュシールか、それともデフロッテなのか、或いは双方か──それは分からないが。


「兎も角、まずは自己紹介だな。俺の名は──」

「……ヴィルヘルム・アドラー。『疾風の鷲エグル・ラファール』の二つ名を持つ機密部所属の少尉殿だ」


 男性の声を遮った声はよく知ったものだ。「ん?」と振り返ったその男は、声の主を視界に収めると目を丸くする。


「オリア!」

「お久しぶりです、ヴィリーさん」


 ぺこり、と頭を下げたヴィクトリアの背中を男性はバシバシと叩いた。かなりいい音がするが、ヴィクトリアと言えば苦笑を返すだけである。親し気なその様子に目を丸くしたのは周囲であった。


「えっ、と……た、隊長のお知り合いですか……?」


 戸惑いの声を上げたのはモニールだ。落ち着きなくもじもじと指を絡ませる彼女は男性とヴィクトリアの顔を伺うようにしながらその関係性を探ろうとするかのようにその視線を二人に向ける。少々の不信感を男性に対して抱いているらしく、その目はやや刺々しい。それに気づいた男性が困ったように眉を下げるのを見て、エドワールはかわいい妹を庇うかのように一歩前へと進み出た。


「──警戒されてんなァ……」

「まあ、仕方ないでしょうね」


 がりがりとそのアッシュベージュの髪を掻きまわす彼の言葉に、ヴィクトリアは肩をすくめた。その姿に彼が「何とかしてくれや」と困り切ったように声を上げたことで、漸くヴィクトリアは自身の部下たちに向かいなおると「案ずるな」と言葉を紡いだ。


「先程も言った通り、この方はヴィルヘルム・アドラー。皇国魔法師軍機密部所属の少尉だ。こういった潜入任務を主にこなされる方だからお前たちが知らないのは無理もないだろう。それで私との関係だが──」


 言葉を切ったヴィクトリアはちらりとその夜空色の瞳を男性──ヴィルヘルムに向ける。その視線に気づいた彼はへらりと笑って手のひらを振った。その仕草に溜息を零すと口を開いた。


「──まあ、端的に言って『元上司』ということになる……な」

「そうなるな。と言っても、オリアがまだ見習いだったころの話だけれども」

「んな────っ!?」


 当然の如く続けられた言葉に一同は硬直する。思わずといった調子で漏れた絶叫は、果たして誰のものであったのだろうか。



 漸くリュシールが使い物になるようになったのはすっかり陽も暮れた頃合いである。丁度夕餉の頃合いというのもあって酒場で食事を摂りながら今後について話すことに誰一人として反対の声を上げることはなかった。

 酒場の中は既にどんちゃん騒ぎが繰り広げられている。出来上がった連中が上げる陽気な笑い声や、注文を読み上げる女将の声が響く。「こういう所のほうが密談にはいいもんだ。なんせだぁれも隣の話なんざ聞いていないからな」とは席に着いた途端に人数分のエールと料理を注文したヴィルヘルムの言葉だ。実際そのとおり、誰一人として此方に注意する様子もない。酒の席で野暮な真似をしたがる者はそう多くはないのだろう。殊更に、日々の刹那に生きている冒険者という連中は。


「で?作戦会議ってことですけど何をすんです?」

「ま、作戦会議と言っても今はまだそんなに大きなことはしねえさ。まずは明日、組合に顔出しして依頼を受ける」


 リュシールの怪訝そうな問いに、運ばれてきた料理に噛り付いたヴィルヘルムはあっけらかんと述べる。その返答に面食らったように目を丸くするリュシールに対して「地道な活動が一番だよ、こういうのはね」と言葉をつづけた彼は、よく冷えたエールを煽った。


「なんにしても冒険者なんて使い捨ての利く連中のふりをするんだ、せめてもう少し顔を売らにゃあ国には相手にされん。内情を探るにも近づけなければ意味がない。違うか?」


 言われてみれば一理ある。頷いたリュシールに満足げな視線を向けたヴィルヘルムは、酒気でじわりと赤く染まった顔をにんまりと歪ませて笑う。


「そういうわけで、明日から魔獣狩りだぜ若造ども。覚悟しておけよォ?」


 小隊の面々の顔が引きつるさまを見て、ヴィクトリアだけが深いため息を吐いたのだった。

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