潜入任務に冒険者

 ヴィクトリアの執務室に戻ったリュシールの焦燥した表情に、『ヘスペリス』の面々は困惑した様子であった。常の彼女からは想像できないほどに張り詰めた空気を漂わせ、報告書と命令書をヴィクトリアの机に投げ出して定位置である窓辺のソファに凭れかかるとそれっきり口を閉ざしてしまったリュシール。憮然とした彼女の気配は威嚇をする猫のそれにも近しい。下手に手を出せば爪か牙を立てられるだろう。その様子は容易に想像できた。

 しかしこのままでは埒が明かない。そうなると自然、彼女不機嫌な猫保護者飼い主であるデフロッテに一同の視線が集まった。何で俺が、とでも言わんばかりに一瞬だけ顔を顰めた彼は、しかしてその視界の端に映ったヴィクトリアの笑顔に硬直する。言葉はないが確かな圧と、それを受けて背筋を伝う冷たい汗を感じつつ口を開く。


「……リュシィ、どうした?」

「──詳しくは報告書読んで。私は任務までに寝貯めしておく」


 案じるように問いかけたデフロッテの言葉はリュシールによってばっさりと切り捨てられた。こうなるとお手上げではある。宣言通りに寝息を立て始めた彼女の姿に困ったように眉を下げたデフロッテは投げ出された命令書へと視線を落とす。結局状況の改善にはならなかったが、彼女がそういうからには其処に何かがあるのだろう──そんな軽い気持ちで目を通した彼は其処に記載された『』に顔色を変えた。


「リュシール二等准尉!睡眠よりも説明が先だろうが!」


 微睡む少女にいよいよ怒髪天を突いたデフロッテの起きろ!!という怒声が執務室の中をぐわんと揺らす。脳の血管の一本二本は切れていそうなその声にすっかり慣れ切った『ヘスペリス』の面々は漸くいつもの調子に戻った二人に肩を竦めるのであった。



 さても、叩き起こされたリュシールの(寝起き故か、あるいは初めからか)不機嫌そうな補足を聞いたヴィクトリアは「早急に任務にあたるべし」との結論に達した。エドワール、モニール、デフロッテには勿論否やはない。寝足りない、とだけ唸ったリュシールも決定に文句はないのだろう。事前に旅支度を終えていたのか、それぞれが荷物を纏める為に宿舎に戻る中、彼女だけは大きな肩掛けの鞄を抱えて執務室に留まっている。


「リュシィ、先遣隊との合流地点は記憶しているか?」

「んー、一応。一度国境付近の街中の酒場で落ち合う事になってますよ」


 一通りの荷物を纏め終わり、後は全員の集合を待つだけになったヴィクトリアは手慰みに件の書類をぱらぱらとめくる。その片手間気味に問いかけた質問に、リュシールは淡々と応える。そのやや眠たげな眼は何処か剣呑な光を隠しもしない。いつになく殺気立った空気は、寄らば斬るとでも言わんばかりだ。尤も、部屋に戻った当初よりもいくらか落ち着いてはいるが。


「今回は随分やる気だな」

「私は仕事の時は何時もやる気ですよ──なんて、そういう話ではないんだろうけどさ」


 ヴィクトリアが揶揄うように口の端にのせた言葉に、彼女は亜麻色の髪を揺らして肩を竦めた。「ぴりぴりしてる自覚はあるよ、嫌んなっちゃうね」と言いながら定位置のソファに大の字になったその表情は、ヴィクトリアの位置からは影になって見えはしない。


「面倒事なんか死んでも御免。楽しくやりたいことだけやって生きていきたい。それがリュシール。そんで、その私のやりたいことは『魔法』の探求。まだ誰も見たことの無い『魔法』の理論を解き明かすこと」


 唸るような声で紡がれるそれは独り言、だろうか。判断がつかない間は相槌を打つでもなく彼女の独白を拾う。実際リュシールも返答を求めている訳ではないのだろう、言葉はゆっくりと続いている。


「────その道を永遠に閉ざすなんて、赦せるはずがないでしょう」


 耳朶を打つ低い声が其処で切られた。まるで水が乾いた地面に沁み込むように二人だけの静かな空間にじわりと解けていくような錯覚。けれどそれも騒々しいドアの音によってあっという間に霧散する。自然と視線の集める開け放たれた扉の先できょとんとする双子。その姿に毒気を抜かれたか、リュシールは深い溜息を吐き、ヴィクトリアは苦笑だけを零した。



 任務での遠出というのはそう珍しい事ではない。だが潜入任務となると少々勝手が違う。常に纏う群青のローブや銀の軽鎧は『目立つから』という理由であっさりと取り上げられ、良く言えば少々年季の入った(有体に言えばぼろぼろになった)マントと皮の胸当て、皮と麻布の簡素な服装に着替えさせられた。

 慣れぬ服装に戸惑う五人。面々に集合をかけたアリエノールは彼らのそんな姿を見て「よく似合ってるよ」と笑う。


「向こうでの君らの身分は旅の冒険者、ってところかな。実際旅そのものには慣れているだろうし、土壇場での立ち回りにも問題はないでしょう」


 うんうん、とひとり納得したように頷くアリエノール。そういうことだからその設定でお願いね、と述べる彼女にエドワールが控えめに挙手をしながら問いかけた。


「あのう、冒険者ってギルドとかに登録をするのでは……?」

「うん?冒険者ギルドなんて物語の中の設定じゃないか。何を言って──ああ、いや。皇国ここだと冒険者のシステムになじみがないものね。うん、それじゃあ簡単に説明しておこうか」



 ──まあ、時間もないし歩きながらの説明にしようか。それにしても、うーん……何から話したものかな。まずはそうだね、というところからかな。より正確に言うと、物語なんかで出てくるような『』としての冒険者ギルドは、ということになるけれど。

 ああ、そんなに混乱しないでほしい。要は冒険者たちは国が管理する『冒険者組合』から依頼を受けることになっているんだ。要は国家規模の傭兵ってこと。

 ほら、皇国うちだと軍がしっかり整ってるでしょ?魔獣の討伐やら盗賊の処理やらは軍に任せてしまった方がコストがかからないから、この国だとそういった組合は地方の小さなところに小規模でしか存在しない。けれどこれから行くテンブルクではそうじゃない。国家規模が小さく産業に乏しい彼の国では軍隊を整えるために大金を貯めて時間をかけるよりも、こまめに冒険者を雇って都度都度に対処していく方が都合がいい。

 そういう、国ごとに違った事情に合わせるには同一組織だと『横の連携』っていう余計な手間が増えてしまう──それにほら、もっと本音の方の話をするとさ、冒険者という『』を大量に抱えた『』の存在なんて、各国の権力者にとっては邪魔でしょう?国によっては実質的な支配権をギルドに奪われる、なんてことになりかねないし、大きい国だって人材の流出は問題だ。いずれにしても今、そういった組織を立ち上げて国家に利益はないんだ。


「──だからそういった組織は今まで誕生していないってわけ……一息に話しちゃったけれど、ここまではいいかな?」

「あ、はい!」

「そう。それならよかった。ちょうど目的地にも着いたからね」


 頷いたエドワールの姿に満足げに頷いたアリエノールは、詰め所の奥まったところにある広間にある門の形をした魔道具の前に立つ。『位相接続門』──通称『ポルタ』。各地の砦と詰所を異界で接続し、遠距離移動を可能とするそれは、常ならば閉じている門扉を大きく開け放っている。

 その向こう側……夜空色の曖昧な空間が渦巻く異界を尻目に、アリエノールは緩んでいた表情を鋭く引き締めて声を紡いだ。


「こちらの『ポルタ』は、既にテンブルクとの国境にほど近い『ファルガの砦』に繋がっています。砦から最も近い小さな街にて先遣部隊と合流し、彼らの指揮下に入ってください──ことは皇国とテンブルクの問題にとどまらない可能性もあることを視野に入れ、情報の収集だけでなく場合によっては事態の収束にも動いてもらいます。宜しいですね? 」


 その問いかけに『へスペリス』の隊員が敬礼で応える。寸分狂わぬその動きにふ、と表情を緩めた少女は柔らかい声で「よろしい」と続けた。


「あなた方のご武運をお祈りします」

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