廃砦殲滅戦

 下卑た笑い声が響く廃砦を女が歩いている。軍属を示す群青のローブは、殆ど役に立たないような装備を纏う男たちの中では異様の一言に尽きるが、男たちはその違和感に気づくことも──否、そもそも酒を煽り、肉に食らいついて騒いでいる。その様子を見て、女は誰へともなく深い溜息を吐き出した。

 その溜息は或いは呆れであり、同時に哀れみでもある。何しろこの廃砦に屯するこの連中こそが今回女に下された命令におけるところの掃討対象──先頃の戦の敗残兵が徒党を組んだ野党紛いなのだから。嘗ては愛国心や義心に燃えた誉れ高き兵士であったろうに、堕ちるときは堕ちるものだ。視線の先で凌辱され、無残に刻まれた女の屍を見付け、その醜悪な光景に眉を寄せる。

 そもそもこの任務がなぜ女に──正確には──下されたかといえば、いわば上層部の尻拭いだ。貴族の子息の初陣だとかで、そのサポートに回るのに戦後処理が疎かになったのだというから救いようがない。しかも、始末の悪いことに敗残兵とは言え元は戦闘訓練を受けた屈強な戦士や魔法師だ。お飾りの騎士団相手では対応が出来る訳もなく、統括部から女の部隊へお鉢が回ってきたのであるから尚のこと、女の眉間の皺は深くなる。


《──隊長》


 ふと、女の耳に音を伴わない声が響く。伝心魔法を封じた魔法具から魔力を微かに感じるということから、彼女の部下からの報告であるのは推測に難くない。同じように魔法具に魔力を流し、彼女はその声に応じる。


《聞こえている。何か問題か?》

《いえ──此方は『猫』の準備が整いました。隊長が良ければいつでも殲滅にかかれます》

《ご苦労。ではタイミングは追って知らせる。残党狩りの用意をしておけよ、『光輝』》

《承知しました》


 ふつり、と魔力が掻き消えたところで女は足を止める。それは砦の中でも特に崩壊が酷い場所で、随分と開けているからかこの廃砦を塒にする野盗共のたまり場となっているらしい。丁度いい場所だ、女はにんまりと口元を歪めると、自身を覆う魔力の結界を解除して声を張り上げた。


「エヴリアン皇国、魔法師軍第十部隊、『ヘスペリス』隊長──『黄昏の賢者サージュ・クレスプキュル』ヴィクトリア=グレイユ=アメレールが告げる!命が惜しくば投降し拘束されるがいい!!」


 声を上げたことで初めて野盗たちは女──ヴィクトリアの存在に気付いたようだった。何もない空間からいきなり女が現れたように感じたのだろう、男たちに大きな動揺が波のように伝播していくのが手に取るように分かる。それもその筈だ、何しろヴィクトリアの使う魔法は自身の周辺の光を屈折させ誤認させる『光学迷彩魔法レフレクシオン・ディストーティド』。熟練の魔法師でも見破るのは困難と言われる光学結界なのだから。


「さ、サージュ・クレスプキュルだと……!?」

「黄昏の魔女がいつの間にこんなところに──」

「であえ!敵襲だ!!」


 混乱する男たちのがなり声が喧しく響くが、統率力の無い寄せ集めの連中の行動と言えば闇雲に斬りかかってくる数人と、パニックになって叫び続ける者、状況を理解できず奔り回る者という有様で見ていられない。仮にも軍人である以上、多少なり実践的な剣技とそれを補助する術を嗜むヴィクトリアには闇雲に斬りかかる雑兵共など相手にもならない。漸く少しは頭が回る者が出たのは、ヴィクトリアの前に優に十は死体が積まれてからだった。


「馬鹿野郎!軍人相手に接近戦を挑むな!相手が魔法師なら魔力切れを狙って魔法で畳みかけろ!!幸い今は黄昏の魔女一人だ!!数で押し通せ!!」


 その声を合図にあちらこちらから詠唱の声が漏れ聞こえ始める。魔力を帯びた不可視の光がちかちかと光るのが見える事から察するにどうやら囲まれたらしい──一つ一つの精度は兎も角、無数に構築されていく術式。敵は勝利を見たのか、にんまりと醜く口角を上げているのがヴィクトリアにも確認できた。だが、焦ることはない。いい加減彼女も頃合だろう。自身に向けて放たれる魔法を横目にヴィクトリアは声を張り上げて合図の光弾を放つ。


「リュシール!」

術式展開コードオープン──解析完了──術式変更オーダー


 その言葉に応じる様に何処からともなく詠唱が聞こえる。それはヴィクトリアの凛々しい声ではなく、何処か眠たそうな少女の物だ。その歌うような詠唱に呼応するように淡いグリーンに明滅する光がヴィクトリアを中心に陣を描き、展開した術式を構築していく。


「な、なんだありゃあ……」

「構うな!!撃て!!」


 男たちは困惑しながらも攻撃の意志を変えることはない。構築された術式から放たれる様々な魔法はまっすぐにヴィクトリアに向けて放たれる。だというのに、術式の中心にいるヴィクトリアは不敵な笑みを浮かべたまま動こうともしない。


「馬鹿め、どんな結界だろうとこの数の魔法を受けて無事ですむ筈が──」

「掌握完了──反転リフレクト


 敵のまとめ役らしい男が低く唸った言葉と最後の詠唱が重なったその時に、それは起きた。練り上げられた魔力によって煌々と煌めいていたの光線の数々が動きを止め──そして光が反射する様に急激に角度を変えて炸裂する。野盗の男それぞれの悲鳴が爆発音に紛れて響く中、場違いなほど呑気な声が頭上から降ってくる。


「うっわあ、惨状」

「反射術式を組んだお前が言うのか、それは?」


 やれやれ、と息を吐き出したヴィクトリアの目の前に、風魔法を纏いながらゆっくりと下降してきた亜麻色の髪の娘──リュシール。それが未だに続く爆発音を気にも留めずに大きく欠伸をかますものだから、彼女としても呆れるよりほかはない。時折指先をついついと空中に滑らせているところから見るに、制御下にある魔法を操り敵の残党を追い回して遊んでいるらしい。眠たげだった目がゆるりと細められ、獲物を甚振る猫のように愉しげな様子で「あは」と声を上げたところで漸くヴィクトリアは「遊ぶんじゃない」とリュシールを嗜めるように頭を叩いた。


「痛いなあ隊長。隊長の事を下卑た視線で見る莫迦にちょっと後悔の文字を刻みつけようとしただけなのにィ」

「半分くらいの割合で自分の玩具にしようとしていたくせに良く言う。そら、仕事だ」


 ぶーぶーと不平を垂れるリュシールをもう一度叩きながら、散々リュシールに弄ばれて虫の息となった男──よく見れば装備が少し豪華で、且つ野盗たちの指揮をとっていた男だ──へ歩み寄る。


「ひ、ぃぃぃ」

「ふむ、コレの首を持って帰れば任務完了の報告には十分だろう」


 覗き込む女の黒い眼差しと、興味なさげな金色の眼、それから鈍く光る剣の銀色。なに、苦しみはせんだろうよ、というその声とともに、ざんという聞き慣れた肉を断つ音が聞こえる頃には、爆発音も悲鳴も聞こえなくなっていた。どうやら今回の任務はこれで終いらしい。最早肉の塊でしかない胴を放り、討伐完了の首級を乱暴に麻袋に放り込みながらヴィクトリアは深く息を吐き出した。


「そもそも、何故反射にしたんだ。当初の予定では魔力の無効化だった筈だろう?」

「んやあ、莫迦が逃げ惑う姿はおもしろいので~」

「全く、恐ろしいよ、お前はな」


 ヴィクトリアの言葉に、猫の娘はにゃははと笑い声を返すだけだ。

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