第38話 プール 4
「じゃあ晶君、これ膨らませて」
屋外の流れるプールのところにまで来ると、ゆかりちゃんが僕に浮き輪を手渡した。
僕が必死になって膨らませている間に、ゆかりちゃんは、2人の荷物をまとめて近くの出し入れ自由のコインロッカーにしまいに行った。
戻ってきたゆかりちゃんが、僕をしみじみ見て言った。
「ずっとプールに行けなかったんだから、晶君の水着も新しく買ったんでしょ? デザインはともかく、もうちょっと明るい色の水着を買えばよかったのに」
ゆかりちゃんが言う通り、僕が買った海水パンツは濃紺の地味な色で、膝下まである裾の長いデザインは、ぱっと見た目が七分丈のズボンのようだ。
「僕もね、明るいデザインの海パンが欲しかったんだけど、この裾の長めのデザインはこの色しか売ってなかったんだよ」
僕はそう言って海パンの裾をめくって見せると、ゆかりちゃんが息を呑んだ。ゆかりちゃんの頭の上のロウソクの炎が、一瞬真っ黄色に燃え上がった。
右足は足先から腿の付け根まで、まるでひび割れたガラスのような傷跡が生々しく残っている。特に膝の周辺は、事故の傷と手術の跡がクモの巣状になっていて、自分でも見ていて気持ち悪くなる。
「この傷を隠すのにどうしても裾の長い海パンが欲しかったんだ」
「……ごめんね。晶君の気持ちも考えないで勝手なこと言って。もしかして、プールに来ること自体が嫌だった?」
ゆかりちゃんが急に泣きそうな顔をするものだから、僕は慌てて慰めた。
「ぜーんぜん気にしなくていいよ! この傷跡も慣れっこだし、今日のプールだってゆかりちゃんの水着姿を見れて嬉しいし、誘ってくれてホントにありがとうだよ!」
「ホント……?」
「ホント、ホント。だから、泳ごうよ!」
僕は、ゆかりちゃんの手を優しく握って、流れるプールに誘った。
「うん……ありがと……」
ゆかりちゃんの頭の上のロウソクの炎が、暗いブルーからあたたか味のあるオレンジ色に変化したのを確認して僕はほっとした。
久しぶりのプールは、強い陽射しにさらされていたこともあって冷たくて気持ちよかった。内心ではおっかなびっくりでプールに入っていたんだけど、それをゆかりちゃんに悟られまいとポーカーフェイスを保つのにちょっと苦労した。
流れるプールでは、浮き輪に腰を落としてプカプカ浮かぶゆかりちゃんを、僕が後ろから押しながら回った。全長650メートルの流れるプール1周するころには、ゆかりちゃんの機嫌もすっかり元に戻っていて、鼻歌交じりでプールを満喫していた。
流れるプールを3周ほど回ったあと、屋内の波のプールや足に負担が少なそうなウォータースライダーなどのアトラクションを片っ端からやっていった。
4、5人が乗れるくらいの丸いボートを使ったウォータースライダーで絶叫しまっくったあと、一段落して休憩を取ることにした。
「ゆかりちゃん、お昼の時間になったから何か食べない?」
ここへ来る途中にファーストフードのお店でしっかり食べたはずなのに、プールで動き回っていい運動になったらしく、僕の胃袋にあった朝食は完全に消化してしまったようだ。
「食べる、食べるー! さっき食べたのに、結構お腹空いてきちゃった!」
預けてあるお金を取りに行ったあと、2人でプール内にあるレストランを見て回ったけど、昼時とあってどこもかしこも人だらけで満席だった。
仕方なくカレーと飲み物を買って屋外の有料席で食事をすることにした。僕らは、ウッドフェンスで仕切られたスペースに、パラソルのついたテーブルとイス、それとサマーベッドが置かれてある有料席を選んでつくろいだ。
「プールがこんなに楽しいって思っても見なかった! 晶君、わざわざ遠いところにあるプールを選んでよかったねー!」
ゆかりちゃんが、本当に楽しそうに話している。
「地元の市民プールじゃ、こんなに楽しめなかったかもしれないね。あそこは50メートルプールしかないから、混雑してたら水に浸かってはい終わりって感じになってたかもね」
食事しながら2人して他愛のない話で盛り上がって、食事後もサマーベッドでくつろぎながら午後の予定を決めていった。
午後は、残りのアトラクションを制覇して、最後にもう1回だけ流れるプールを回ってから遊園地の方へ移動することにした。
荷物をまとめて有料席を出ようとした時、僕は何気なく隣の有料席に目を向けた。
隣には、40前後のおじさんが顔にタオルを掛けて寝ている。横のテーブルには、飲み干したビールのカップがいくつも置いてある。酔っ払って寝てしまったのかもしれない。先程まで奥さんと小学校低学年の娘がいたけど、ずっと寝ているお父さんを置いてどこかに出かけてしまったみたいだ。
僕は、おじさんの頭の上のロウソクを見て驚いた。
(ロウソクの炎の色がない!)
もう一度よく確認するために、僕はウッドフェンスから身を乗り出すようにして見た。
「晶君、どうしたの?」
僕の奇妙な行動に、ゆかりちゃんが不思議そうな顔をした。
僕は荷物を放り出して、隣の有料席に入って行った。
「ちょ、ちょっと! 晶君、勝手に入っちゃダメでしょ!」
ゆかりちゃんが注意してきたけど、僕はそれを無視して、おじさんのそばに寄って顔に掛けてあったタオルを取った。
(顔が真っ赤だ!)
顔を近づけて見ると、呼吸が浅いのがわかった。それに、日陰にいるにもかかわらず、大量の汗をかいている。
「ゆかりちゃん、係員の人をすぐに呼んできて! この人、意識がない!」
僕の真剣な表情を見て、ゆかちゃんは何も言わずにすっ飛んで行った。
「おじさん、大丈夫ですかー? おじさーん?」
軽く揺り動かしてみたけど、起きる素振りがまったくなかった。医者の真似事して脈を調べたら、脈拍が異常に速い。
「ちょっとあなた、何をしてるんですか!」
険を含む言い方で声をかけられたので振り向くと、出かけていた奥さんと娘が戻ってきた。
「おばさん、おじさんの意識がないですよ。もしかしたら熱中症じゃないんですか?」
「えっ……!?」
僕の言葉に驚いたおばさんは、おじさんに駆け寄り『パパ! パパ!』と叫ぶように連呼した。
そうこうしているうちに、ゆかりちゃんが係員を連れて来て、すぐに救急車が呼ばれることになった。おじさんが救急車に運ばれるころには、周囲に野次馬の人だかりで大変だった。
結局、僕たちは、救急車騒ぎでプールで遊ぶ気分じゃなくなって、そのまま着替えて遊園地に向かうことにした。
その途中で、ゆかりちゃんが尋ねてきた。
「晶君、よくあのおじさんの意識がないっていうことがわかったね。わたしビックリしちゃったよ。ホント凄かった!」
少し興奮気味で話すゆかりちゃん。
「あれはね、頭の上のロウソクの炎の色のおかげだよ」
「色?」
「そう、色。普通、寝ているときは薄いグレーっぽい色をしてるんだよ。夢を見てるときは、その夢の内容によって色がころころ変わったりするけど、基本薄いグレーだね。でも、あの時のおじさんは、無色だったんだ。大体、無色の時は気を失ってることが多いんだよ。まぁ、中には無我の境地っていうやつを体現して炎の色が無色になるケースもあるけど、それは稀だね」
そういえば、昔、おじいちゃんの葬式でお経を唱えていたお坊さんは、炎の色が無色だったのを思い出した。
「そうなんだ…… それにしても、晶君は、凄いね。なんでもわかっちゃうんだから」
ゆかりちゃんに尊敬の眼差しで見られるのもなかなかこそばゆい。
「なんでもっていうわけじゃないけどね」
そう答えながら、僕は、ゆかりちゃんの淡いピンク色の炎を見つめていた。
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