第25話 美術顧問の金井先生
男子部員の入部と聞いて興奮した大川部長は、僕のことを相当気に入ったらしく知り合って間もないのに美術部の愚痴を聞かされた。
『部活後の後片付けはすべて自分がやってる』とか、『美術部員の勉強のために美術館見学をすれば、見学後にお茶をご馳走するように後輩の女子部員たちに強要される』とか、『美術部の結束を高めるためにお菓子とジュースを備蓄する義務を部長に課すと決められた』とか、涙ながらに訴えている。
僕は、大川部長の話しよりもその頭の上のロウソクが気になった。部長のロウソクは、通常の円柱ではなく正三角柱の白いロウソクだった。
四角柱のロウソクを持つ人は、融通がきかなかったり変に几帳面だったりする人が多かったけど、正三角柱のロウソクを持つ人は僕の周りではあまり見かけなかった。いなかったわけじゃないけど、そのロウソクの形を持つ人と親しく付き合ったことがなかったので、どのような性格の持ち主かはハッキリとしない。
三角錐のロウソクを持つ人は少し攻撃的な性格だったので、もしかしたら同じような気質を内面に持っている可能性があるかもしれない。
(これは観察対象には持ってこいかもしれないな)
僕はそう思い、大川部長のロウソクに興味を惹かれ、改めて美術部に入部することを決めた。
しばらく大川部長の愚痴を聞いていたら、美術室に女子生徒3人に囲まれながら若い男性教諭が笑顔で現れた。
「やあ、君たちは新入部員かい。初めまして。僕は美術部顧問の金井聖(かないせい)です、よろしく」
金井聖と名乗った男性教諭は、僕とゆかりちゃんそれぞれに握手をした。
まだ20代後半に思えるこの先生は、長身の上、顔はちょっと日本人離れした彫りの深い顔立ちで、若手俳優と紹介されてもおかしくないほどのイケメンだった。さらに薄いブルーに白いワイドカラーのYシャツと臙脂のドット柄のネクタイ、グレーの千鳥格子柄のスラックスに長袖の白衣を引っ掛けた姿は、モデル並みの着こなしかたで周りの女子生徒がキャーキャー言うのもうなずけるくらい決まっている。
チラリと横を見たら、美術部のアイドル・朝霧先輩でさえ頭の上のロウソクがピンク色の炎を燃え上がらせていた。
少し日焼けした肌に真っ白な歯が印象的な人懐っこい笑顔を見せたら、どんな女だってイチコロかもしれない。でも僕は、この笑顔を振りまく男性教諭に好感を持たなかった。
決して女生徒の人気を嫉妬してとかいう理由じゃなくて、この教諭の頭の上のロウソクが生理的に受け付けないからだ。
まるで2匹の蛇が絡み合うようなロウソクで、色も錆びた鉄のようにくすんでいて、炎は笑顔でいるのに青白い冷たい色の炎を灯している。
僕は一目見て、
(こいつは信用しちゃいけない)
と思った。
生理的に受けつけないといっても、礼節を重んじるように育てられた僕は、金井先生にちゃんと挨拶をした。
「1年A組の山崎晶です。よろしくお願いします」
「同じく1年A組の青山ゆかりです」
僕に続いて挨拶するゆかりちゃんを見て、おや? と思った。他の女子みたいに炎をピンク色に染めているかと思っていたのに、オレンジ色の炎が時々赤く燃え上がらせることがあったからだ。
「いやぁ、顧問といっても僕には絵心がなくてね。絵のことに関しては、美術部の先輩たちに教えてもらってよ。――大川君、後輩たちの面倒をよろしくな」
「はい、わかりました」
金井先生は、笑いながら大川部長の肩を親しみを込めて叩いたけど、それとは対照的に部長の声は事務的な口調だった。
平静を装っているけど、大川部長の頭の上のロウソクが真っ赤に燃え上がっている。もしかしたら、金井先生に対して何か含むところがあるのかもしれない。
そんな部長のことなど気にも止めず、金井先生は周囲に笑顔を振りまいている。
「朝霧君、展覧会に出展する作品の仕上がりは順調かい?」
「はい。もう、ほとんど出来上がってます」
朝霧先輩のこぼれんばかりの笑みをもって話す姿は、誰が見ても金井先生に対して好意を抱いていることが伺えた。
「じゃ、見せてもらおうかな」
金井先生に続いて、皆が朝霧先輩の作品に注目した。
イーゼルに立て掛けられたキャンバスには、半裸の女性が果物を手にとって見つめている場面が描かれている。さらに、人の腕ほどの太さのあるヘビが果物のなる木に巻きついていて、口を開いて女性に話しかけているような様子も描かれていた。
絵に見入っていると、朝霧先輩がこの絵の説明をしてくれた。
「これは、旧約聖書にあるエデンの園のアダムとイブの話の中の一場面で、蛇に唆されて神から食べてはいけないと言われていた禁断の果実を食べてしまうイブを描いてみました」
宗教画としてはありきたりな題材なのかもしれないけど、さすが新鋭の画家として注目されることはある。素人目にしても桁違いに上手だ。
構図、色使い、描写の仕方、どれをとっても見る者の気をひきつけられる。描かれているヘビの表情などは、なんとなく悪知恵を働かせているような気にさせられる。
金井先生に引っ付いてきた女子たちも、絵を見て、『上手!』『すごい!』などと連呼していた。
「今回の作品は、『禁断の果実』という題で出展しようかと思ってます」
照れながら話す朝霧先輩の頭の上のロウソクが、ひときわ銀色に輝いた。
絵を眺めていると、自然と絵の寸評会になって各々がどこがどういいのか感想を述べあった。
しばらくそうしてると、突然金井先生が声を上げた。
「そうだ! 今朝、天才高校生画家の学校生活をテレビ局が取材したいと学校に連絡があったんだ。教頭が取材の日取りを決めたいと言ってたので、朝霧君、面倒かもしれないけど、これから職員室まで来て打ち合わせをしてくれるかな?」
「テレビ局の取材ですか…… はい、わかりました」
朝霧先輩は淡々とした口調で答えた。
多分、子供の頃から絵を出展してあらゆる賞を獲得しているみたいだから、取材とかもう慣れっこになってるのかもしれない。逆に部外者である金井先生の取り巻き美術部員の方が、『キャー! テレビの取材だって! すごーい!』『もしかしたら、私たちもテレビに映るかもしれないわよ!』と興奮して騒ぎ出しだ。
朝霧先輩は、興奮冷めやらぬ部員をよそに、何事もなかったように取材の打ち合わせのため金井先生と一緒に職員室へ行ってしまった。
残された取り巻き部員3人は、金井先生がいなくなると盛り上がった気分が一気に冷めたらしく、お互い顔を見合わせ、つまらなそうな表情を浮かべるとすぐに美術室を出て行った。
「彼女らは、2年の部員だよ。去年、入部者がいなくて困ってたときに、金井先生が勧誘してきた生徒なんだ。彼女らの雰囲気でわかる通り、彼女らの目的は金井先生であって美術部ではないよ。ま、部の体裁を保つために部員となってもらっているに過ぎないから、金井先生がいないと部活には来ないのが基本だね。随時あんな調子だから、部長の僕の言うことなんてまったく聞かないから大変だよ。背の高いのが三田、オカッパ頭が馬場、ぽっちゃりが鹿島っていう名前。僕は陰で3人の苗字の頭を取って『三馬鹿』って言ってるよ」
苦笑しながら話す大川部長だけれども、頭の上のロウソクは真っ赤というか赤黒く燃え上がっていて、3人に対する感情が怒りを通り越して怨念に近い憎しみで満ちているのがわかる。彼女らによっぽどの嫌がらせを受けたのだろう。そうでなければ、これほどの色のロウソクの炎を灯すことはないはずだ。そのうち火山が噴火するように、いままで溜まりに溜まった悪感情が一気に爆発するのではないかとちょっと心配だ。
僕の心配をよそに、大川部長は明るく話し続けた。
「僕と朝霧さんの他に、もうひとり3年に三輪さんっていう女子部員がいるんだけど、受験勉強に力を注ぎたいからあまり部活には来れないって言ってた。だから、部活動は基本的に僕と朝霧さんと君たち2人だけになると思う。このまま部員が増えないとしたらだけどね」
それを聞いて安心した。あの2年の取り巻き3人がほとんど部活に出てこないっていうのは、僕としては逆に嬉しいかぎりだ。ああいうミーハーなグループは生理的に受けつけないし、さっきの態度を見る限り、彼女らが僕らと好意的な関係を築く雰囲気ではないということはわかったからだ。
できれば僕の初めての部活動は、平穏で楽しいものであって欲しいので、美術部の問題児たちがいないに越したことはない。
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