第15話 親切なお姉さん

 次の日になって、また鈴木に因縁をつけられたら嫌だなぁと思いながら登校したら、さすがに昨日の出来事は問題になったらしく、鈴木と常山は特別室が設けられ、1週間先生の監視下でそれぞれ個別で授業を受けることになった。


 昨日は、問題を起こした2人の親も呼び出され、夜遅くまで教師たちと話し合いが行われたらしい。その話し合いの場で常山の両親が、鈴木がいきなり息子に殴りかかってきたことに対して腹を立てていたらしいが、鈴木が殴らなかったら代わりに僕が常山に殴られていたわけだから、常山の両親の親バカぶりにちょっと呆れた。


 でも、この状況は僕にとって願ったり叶ったりで、2人の問題児が特別室に隔離されたことで1週間は平和な毎日が過ごせることになった。




 放課後、クラスのみんなが新しく入った部活に喜び勇んで行く姿を横目で見ながら、僕は足のリハビリのために病院へ向かった。


 入院してた時は、病院内のリハビリテーション科でリハビリを行っていたけど、退院後は医療器具の充実した郊外にあるリハビリ専門の病院を紹介され、今はずっとそこへ通っている。


 いつもはお母さんが送ってくれるんだけど、今日はどうしても外せない用事があるみたいなので、僕は1人でバスに乗って病院に行くことになっていた。


 中学校のすぐそばを走っているバス通りに向かって僕は松葉杖でぎこちなく歩いていき、蕎麦屋前のバス停でバスを待った。


 時刻表に合わせて学校を出たおかげで、ほとんど待たずにバスがやってきた。


 バスの昇降口のドアが開いて中に入ると、満員ではないけど座席は皆埋まっているほどの込み具合だった。


 僕がバスの中ほどまで進むと、僕の松葉杖姿を見兼ねたのか、座席に座って本を読んでいた女性が立ち上がって声をかけてきた。


「お兄さん、どうぞここへ座って」


 声をかけてくれたのは、紺のスーツでビシッと決めた30代前後の女性だった。


 髪をアップにまとめ、薄化粧に縁なしの黒眼鏡姿。背筋もシャンと伸びてて、見るからに仕事のできる女性って感じだった。


「ありがとうございます」


 その人は、僕の腕をやさしく持って座席に座るのを手伝ってくれた。


 僕は頭を下げて、素直に譲ってもらった座席に腰を下ろした。さすがにボロボロの足で目的地までの40分ほどの道のりを立ったままでいるは辛かったので本当に助かった。


 女性は僕の感謝に笑顔で会釈を返してくれて、そのまま僕の座席の前のつり革につかまりながら再び本を読みだした。


(世の中には、親切な人がいるものだなぁ……)


 と、僕は感心しながら、そんな親切な人はどんなロウソクをしているんだろうと興味を持った。


 不躾にならないように、横目でチラリと女性の頭の上のロウソクを見た。


(白い長方形のロウソクで、落ち着いたオレンジ色の炎が灯っている。角ばったロウソクをしているということは、几帳面な性格という反面、頑固で融通の利かないところがあるかもしれない)


 などと考えながら、もっとよくロウソクを観察した。


(あ!)


 僕は思わず声を上げそうになって、口元を手で押さえた。


(ロウソクの溶け方が異常に早い! これは、ゆかりちゃんの時と同じだ!)


 通常ならじんわりと流れるロウソクの蝋が、ちゃんと閉めていない蛇口のようにポタポタポタポタと滴が垂れるように流れ出ている。


 僕は偶然知ってしまったこの事実に戸惑い、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。


(この人、何かの病気にかかっているのかも……でも、もしかしたらすでに病気になっていることを知っていて、人知れずに病気と闘っているのかしれない……それにゆかりちゃんの時と同じといっても、病気とは限らないし……)


 僕は、この人に体調について聞こうかどうか迷った。いきなり「あなたは何かの病気になってますよ」と話しかけても、頭のおかしい子と思われるのがオチだ。


 正直に「僕はあなたの頭の上にロウソクが見えて、それであなたが何かの病気になっていることが見える」なんて言ったら、中学生を使った新手の宗教勧誘なのかと思われて余計不審の目で見られるだろう。それに、すでに病気であることを知っていたら、余計なお世話としか言いようがない。


 迷っている間に、5分経ち……10分経ち……20分が経とうした時、その女性がバスの降車ボタンを押した。


 ビーッ! という無機質な音を発し、次の停留所で止まることを知らせた。次のバスの停車地は私鉄の駅で、多分、この女性はそこから電車に乗ってどこかへ出かけると思われた。


(今、この機会を逃したら、もう2度とこの人と会うことはないかもしれない……)


 と、思っていても、小心者の僕は女性に声をかけるのをためらった。


 バスは駅前バス停に止まり、乗降口の扉が開き、乗客が次々と降りていく。そんな中、その女性が見知らぬ老婆の腕をそっと支えながら一緒にバスを降りていく。親切心の塊みたいな女性だった。


 僕は、女性の後ろ姿を見送っていると、ふと亡くなったおじいちゃんが言っていた言葉を思いだした。


「晶よ、立派な大人になりなさい」


 僕は、おじいちゃんに「立派な大人って、偉くなるってこと?」と聞いたら、「ワシが言う立派な大人っていうのは、何かで成功して有名になった人のことではなくてな、誰にでも分け隔てなく親切にできる普通の人のことじゃよ。もちろん親切の押し売りではなく、自分のして欲しいと思うことを他の人にやってあげれる人間が立派な大人なんじゃよ。なかなか簡単にできるもんじゃないがな」とおじいちゃんが笑って言っていたのを思い出した。


 立派な大人とは、僕に席をゆずってくれたり、見知らぬ老婆の手を引いてバスを一緒に降りてあげられる女性のことだ。おじいちゃんは、僕にこの女性のような親切な人間になれって言ってたんだ。


 でも、こんな親切な女性の命がこのままでは長くないことを僕は知っている。知っているのに教えないのは見殺しにするに等しい……もし、本人が自分の体調のことを知っているならばそれでいい、あとは僕の気持ち次第なんだ。おじいちゃんが言ったように、僕がして欲しいと思ったように、相手にしてあげればいいんだ。――僕だったら教えて欲しい!


 そう思うといてもたってもいられず、


「すいません! 降ります!」


 バスの運転手さんに大声で伝えて、乗降口のドアを閉めるのを待ってもらった。


 僕は松葉杖を必死に動かして女性を追いかけた。


「お姉さん、待って!」


 お姉さんという程若くはないかもしれないけど、おばさんと呼ぶのにはためらう年齢。その女性も『お姉さん』と呼ばれても、すぐに自分であることに気づかなかったみたいだ。


 僕が追いついて、もう一度呼び止めると、女性はふり返り僕の顔を不思議そうに見た。


「お兄さん? 何か用?」


「突然、呼び止めてすいません。僕は、立花中学1年の山崎晶といいます。――お姉さん、最近体調が悪いこととかありませんか?」


 不審がられると思ってちゃんと学校名とフルネームを述べたが、やはり突然の質問で不審に思ったようだ。さきほどの席をゆずってくれた時の柔和な顔ではなく、眉根を寄せた僕を警戒する表情を見せている。


「いきなり君は何を言っているの?」


 女性は半歩下がって、僕との距離を置いた。


「本当に変なことを聞いてごめんなさい。僕は……あの……その人が健康かどうかがわかるんです。お姉さん、最近体調が悪かったりしませんか?」


「ごめんなさいね。わたし、急いでいるから」


 女性は、僕の話しに耳を傾けようともせず、気味悪がってその場から離れようとした。


 それでも僕は、真剣な表情で女性に訴えた。


「お姉さん、もし自分の体の異変に気づいていないなら病院で検査してください。それも、すぐにです! 多分、お姉さんの体は命の危険がある病気にかかってます。――親切にしてくれた人だから、どうしても僕は放っておけなくて……」


 一瞬、女性は立ち去る足を止めたが、結局、逃げるようにして改札口の中へと去って行った。


 僕は、上手に説明ができなかったことが悔しくて仕方なかった。後から考えたら、この場で説明しなくても、バスの中で手紙を書いて渡すだけでも話しが通じたかもしれない。


 自分の無能さに腹が立ったけど、でも女性に体の異常について伝えられたことで、僕は無理やり自分を納得させた。それが僕ができる範囲の親切だと思ったからだ。


 世の中、病気にかかっていても気づかない人がごまんといる。その人すべてに救いの手を差し伸べようなんて、神様じゃなければ到底無理なんだ。助けられるのは、僕の救いの手の届く範囲だけなのだと改めて気づかされた。


 しかし、この出来事の結末を、ずーっと後になって知らされるとは僕は思ってもみなかった。

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