第11話 退院

 次の日、僕は退院した。


 入院したのがうだるような暑さの中だったのに、退院した時は、厚着してても震えるくらい寒かった。いつの間にか季節が夏から秋を通り越して冬になっていた。外へ出て初めて、入院生活がいかに長かったのかを実感した時だった。


 退院できた喜びを噛みしめながら、131日ぶりに自宅に戻ってきた。築25年・木造2階建てのちょっとボロい一軒家だけど、病室での窮屈な生活が長かったせいで我が家がリゾート地に建つ豪邸に見えた。


「晶ちゃん、退院おめでとう!」


 家に到着すると親戚の伯父さん、伯母さん、従兄弟たち、それに田舎から出てきた父方のおじいちゃんとおばあちゃんが出迎えてくれた。


 みんなの頭の上のロウソクが興奮して黄色く燃え上がっている。そのロウソクの炎の色と大きさを見ただけで、みんなが僕の退院を心待ちにしていたことが分かる。僕は、感動してちょっと涙目になった。


 感動の最中、僕はおじいちゃんの頭の上のロウソクを見て愕然とした。


(えっ! おじいちゃんの頭の上にロウソクがない!)


 よく見るとロウソクがないわけではなかった。溶けたロウの上にちょこんとロウソクの芯が乗って小さな炎を灯しているだけだった。


 おじいちゃんのロウソクの状態を見てショックを受けている僕を、そんなことお構いなしで親戚のみんなは無理やり家に引き入れ、居間に通された。居間の上座には、ちゃんとケガをした足を伸ばせるように、革張りなのにふっかふかで肘置きが付いた立派な座椅子が用意されていた。


 僕が座椅子に座って腰を落ち着かせると、目の前のテーブルに今まで見たことのないネタがそろった高級寿司が次々と運ばれてきた。さらに、お母さんや伯母さんたちが、腕によりをかけて作った色々な料理が所狭しと並べられていった。


 皆が席に着くと、僕はジュースの入ったコップを持たされた。そして、紀之伯父さんの乾杯の音頭で、親戚一同総勢19人による僕の退院を祝う大宴会が始まった。


 初めは、事故のことや病院内の出来事で話しが持ちきりだったけど、もともと賑やかなことが大好きな親戚たちだ。すぐに主役の僕をほったらかして、各々で騒ぎ始めた。


 僕は親戚たちの質問攻めから開放されてホッと息をつくと、目の前の料理に箸を伸ばした。


 本来なら、まずい病院食から開放されて美味しい料理に舌鼓を打っているはずなのに、僕はおじいちゃんの頭の上のロウソクが気になって気になって、高級寿司の味が全く分からなかった。


 美味しそうにお寿司をつまみながら、冷の日本酒をクイって飲むお酒好きのおじいちゃん。みんなの輪の中でも一番楽しそうに大笑いして元気そうだった。


(もしかしたら気のせいかもしれない)


 ロウソクの長さと寿命が関係してるのは、僕が勝手に思ってることで誰かに教えてもらったわけじゃない。もちろんこんなことを教えられることのできる人なんていないと思うけど、ロウソクがぼんやり見えるようになってまだ4ヶ月ちょっと。絶対に正しいとは言い切れない。というか自分の考えが間違いなのだと納得することにした。


 お昼に始まった大宴会が夕方近くになると、おじいちゃんが胡坐をかいていた足をパンと叩いてから立ち上がって言った。


「よし! 晶も無事に退院できたし、元気な姿を見ることもできたから、そろそろ家に帰るとするかな。――おい、帰るぞ!」


 おじいちゃんは、台所でお母さんや伯母さんや従姉妹のお姉さんたち女性陣と楽しく話していたおばあちゃんに声をかけた。


「父さん、今日ぐらいは泊まっていけばいいじゃないか。酒も入ってることだしさ、今から帰ったら家につく頃は真っ暗だぞ」


「そうですよ、お義父さん。今日は泊まっていってください。晶だってお義父さんともっといたいはずですよ」


 お父さんとお母さんの言葉に僕も頷いて、おじいちゃんを引き止めた。


「おじいちゃん、泊まっていきなよ」


「馬鹿いっちゃいかん。明日の朝の豚の世話はどうする? 今日だって一仕事終えてからやってきたんだ。ほったらかして大事な豚に何かあったらどうするんじゃ。――お前らは、誰もワシの跡を継がんで勝手なこと言いよる。ワシしかやる者がいないじゃろうが。豚の世話は、毎日が勝負なんじゃ」


 おじいちゃんに言われて、お父さん、伯父さん、伯母さんがしゅんとして黙り込んだ。


 おじいちゃんは、田舎で養豚場をやっている。おじいちゃんの育てた豚は、豚肉の品評会で最優秀賞を受賞するくらい有名だ。だけど、おじいちゃんの子供たち3人(僕のお父さんと、お父さんのお兄さんとお姉さん)は、誰も家業の養豚業を継がなかった。


 前に、お父さんになんで養豚業をやらないのかと聞いたけど、豚舎の強烈な臭いを一生嗅ぎ続けるなんて俺には絶対無理だって言ってた。たしかに豚舎のあの臭さを毎日嗅ぎ続けるなんて僕も無理だと思った。


 おじいちゃんが帰ると言い出したおかげで、その場の雰囲気が少し気まずくなってしまった。


 結局、おばあちゃんは名残惜しそうにしていたけど、おじいちゃんが言い出したら聞かない性格なのを知っているからすぐに帰り支度をしていた。


 タクシーを呼んで、みんなでおじいちゃんとおばあちゃんを外まで見送った。


「おじいちゃん、元気でね……」


 おじいちゃんを見ていたら、僕はわんわんと号泣してしまった。


「晶、そんなに泣かなくてもいいじゃろ、今生の別れでもないんじゃから。――正月にはまた会いにくるからな」


 笑いながら僕の頭を撫でると、おじいちゃんとおばあちゃんはタクシーの乗って帰っていった。


 見送りながら、僕の涙は止まらなかった。


 別れ際、おじいちゃんの頭の上にあるロウソクの炎が手を振るかのように小さくゆらめき、本当の意味での最期の別れを伝えたように見えたからだ。




 それから2日後――


 おばあちゃんからの電話で、おじいちゃんが亡くなったと伝えられた。

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