第10話 別れ

 その日、いつもなら面会時間ギリギリにやってくるゆかりちゃんの両親が、ゆかりちゃんが治療室に入って1時間も経たないうちにやってきた。


 僕は、その現場にいなかったので詳しいことはわからなかったけど、ナース・ステーションでたむろするお姉さんたちの話しで大まかのことを知った。


 まず今回のゆかりちゃんの事件は、三雲の奴が1週間かけて投与する抗がん剤の量を一度に、それも2回も行ったためにショック症状をおこしたものだった。これは、完全な医療ミスだった。


 今回医療ミスをした三雲っていう奴は、前にいた東京にある同系列の病院でも医療ミスによって患者を殺しているということだった。それでも医学長の親類ということで病院を首にならずに、こっちの病院に回されてきたらしい。


 事実を知ったゆかりちゃんの両親は、『警察を呼べ!』とか『訴えてやる!』と相当激怒したそうだ。


 結局、病院側が事を公にすることはイメージダウンにつながるということで、お金で解決することになったらしい。金額はわからないけど…… でも医療ミスを起こした病院には大切な娘を預けられないということで、すぐにゆかりちゃんは他の大学病院に移されることになった。


 次の日、ゆかりちゃんのお母さんが、ベッドの周囲にあるゆかりちゃんの物を取りに来たとき、僕に話しかけた。


「晶ちゃん、本当にありがとうね。草野先生が『晶くんが必死になってゆかりの様態がおかしいことを訴えてくれたおかげで大事には至らなかった』と教えてくれたのよ。感謝してもしきれないわ。ゆかりも晶ちゃんにお礼も言えずにお別れになったので、もうずっと泣きっぱなしなのよ。一言、『ありがとう』って言いたかったって。――そうそう、ゆかりがこれを晶ちゃんに渡してって」


 そう言って、ゆかりちゃんのお母さんが小さな包みを僕に手渡した。


 白い無地の小さな紙袋に手を突っ込むと、中にあったのは、ゆかりちゃんが愛用していたのと同じ新品の黄色いひまわり柄のバンダナだった。


 ゆかりちゃんのお母さんが帰ったあと、僕はその黄色いひまわり柄のバンダナで目から溢れ出る涙をそっと拭いた。



 ゆかりちゃんが病院を去ってからの僕の入院生活は、本当に味気ないものになった。あれほど楽しみだった日課の朝の散歩も行かなくなって、ただ病院内で静かに過ごす毎日だった。


 ゆかりちゃんがいなくなったベッドを見て感傷に浸る間もなく、待ってましたと言わんばかりに次の入院患者が入ってきた。僕と同じくらいの歳の少年が入院してきたけど、挨拶を交わしただけでそれ以上親しくなろうとは思わなかった。僕は、もう友達との別れに耐えられなかったからだ。


 でも僕の沈んだ気持とは裏腹に、ケガの具合は日を追うごとに良くなっていった。


 入院から102日目にして、僕の足にガッチリ巻かれていたギブスが取れた。久しぶりの右足のご対面だったけど、僕の右足はふやけた牛蒡みたいに細く浅黒く、何よりも臭かった。


 検査後にお風呂に入れてもらい足をキレイにしてもらった。102日分の垢がごっそりと落ちると、さらに僕の足が細くなったような気がした。


 キレイになったことで僕の右足の手術跡がはっきり見えるようになった。その傷跡から僕の事故がいかに凄まじかったのを伺い知れた。僕は、つぎはぎだらけの自分の右足をそっと撫で、『頑張ったね』と心の中で褒めてあげた。


 でも、本当に頑張らなければいけないのはギブスが取れた後のことで、歩けるようになるためのリハビリは想像を絶する痛みとの戦いだった。


 次の日からリハビリテーション科に毎日行くことになった。


 曲げられなくなった膝や股間節を元通りにするための関節可動域訓練や、衰えた足の筋力を回復させるための筋力強化運動に、歩行練習がリハビリのメニューだった。

 運動以外では、温熱療法や電気療法やマッサージが行われた。


 僕は、悲鳴を上げながらも歯を食いしばってリハビリのメニューをこなしていった。


 そして入院から130日目。僕の右足を診察する先生から、待望のお言葉を頂戴した。


「えっ!! 明日、退院できるの!? 先生、本当!?」


 半信半疑だった僕は、先生にもう一度聞き返した。


「ああ、本当だよ。頭のケガも左腕も完治したし、右足も松葉杖がないと無理かもしれないが、日常生活を送る分には何も問題はないからね。――それにしても本当に信じられないな。あれほどの大ケガにあって後遺症がないなんてなぁ……。普通だったら良くて半身不随、悪かったら一生植物人間だったかもしれない。それに右足だって、担ぎこまれたのがこの病院じゃなかったら右足を切断してたかもしれなかったからなぁ……」


 怖いことをさらっという先生の言葉よりも、僕は退院できるという言葉に飛び上がらんばかりに喜んだ。実際は、治りかけの足では飛び上がって喜ぶことはできなかったけど、そのかわりに診察に付き添っていたお母さんが目を潤ませ、奇声を上げて喜んだ。


 そりゃあ自分のひとり息子が事故で生死の境を彷徨った挙句に、命を取りとめてもまともな生活を送れないとまで言われて、心痛の絶えない日々を送っていたのだから当然の喜びようなんだけど、あまりの嬉しさに我を忘れて、病院の診察室にいるにもかかわらず、その場で僕の退院の知らせをお父さんに伝えようと携帯電話を使おうとするもんだから、先生に『お母さん、院内の携帯電話の使用は禁止ですよ』と笑いながら注意されていた。注意されたお母さんよりも僕の方が恥ずかしくなった。

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