第2話 交通事故
――その日、僕が通っていた小学校では、一学期の終業式が学校の校庭で行われていた。
「夏休みだからといって毎日だらだらと過ごしていてはいけません。一日一日を目標持って生活し、与えられた夏休みの宿題を計画的に果たすとともに、朝のラジオ体操に参加したり、あまった時間には家の手伝いをするなどして、頭も体も心も鍛えることを忘れないようにしてください――」
明日から始まる夏休みに向けて、禿頭で狸顔の校長が長々と訓示を垂れていた。
ただでさえ炎天下の中で突っ立ったまま話しを聞いているのは辛いのに、同じことをくどくどと繰り返し話し続ける校長の長話しのせいで、僕は貧血を起こして倒れるかと思った。実際、幾人かの生徒は、校長の長話に耐えられず座り込み、先生たちが慌てて駆け寄っていた。
禿頭に汗を垂らしながら熱弁をふるう校長に対して、全校生徒約700人分の『早く終われ!』との願いと恨みこもった視線を向けたけど、その視線を自分の話しを真剣に聴いていると勘違いした校長は、気分が高揚してかここぞとばかりに過去の自分の夏休み経験談まで話し始めた。
(まだ校長の話しが終わりそうにないなぁ……)
うんざりした気分でいたところ、僕の真後ろにいた少年が話しかけてきた。
「おい、晶。今日の午後、俺の家に来いよ」
少年の名前は、高木誠。あだ名はマコ。小学校入学当時からの親友だ。
「わかった。お昼ご飯食べたら、すぐマコの家に行くよ」
僕が首を後ろに傾けて小声で返事をすると、マコがニヤリと意味ありげに笑っていた。
「晶、驚くなよ。昨日、父ちゃんが『人生ゲーム・究極版』のソフトを買ってきてくれたんだ」
胸を反らし気味に話すマコに対して、僕は興奮して勢いよく振り向いた。
「うそ! もう手に入ったの! すごいや!」
思わず大声を出してしまってから、周囲の視線を集めてしまったのに気がついた。慌てて前に向き直ると、列の最前で立つ担任の田代先生が僕のことを睨んでいた。
僕は、田代先生の鋭い視線を避けるために、目の前に立つクラスメートの背中に隠ながら、マコにゲームのことを聞いた。
「おじさんがゲームを買ってきてくれるなんて珍しいね。いつもなら『ゲームばっかりやってないで、勉強しろ!』って怒ってなかったっけ?」
小声で話す僕に近寄りながら、マコが教えてくれた。
「なんかさ、父ちゃんも子供のころに死んだ爺ちゃんから人生ゲームを買ってもらって、すごく嬉しかった思い出があるんだってさ。たまたま立ち寄った電器量販店で『人生ゲーム・究極版』を見かけて、懐かしさで思わず買ったとか言ってた。――ま、父ちゃんがやったのは、ゲームソフトじゃなくてボードゲームだったらしいけどな」
今回マコが買ってもらった『人生ゲーム・究極版』は、昔からある人生ゲームの集大成で、それをさらに進化させて土地や建物を購入できたり、ちょっと大人向けに株式や為替の取引ができたり、様々なイベントやハプニング機能が備わっていて、ゲーム雑誌では多人数ゲームとして前評判が高かったゲームソフトのことだ。
「昨日、さっそく父ちゃんと弟たちでやってみたんだ。メチャクチャ面白いぞ」
マコの弾んだ声から、ホントに面白いゲームなんだと感じた。
もう僕の頭の中は、『人生ゲーム・究極版』で遊ぶことでいっぱいになっていて、校長の話す夏休みの注意事項など右の耳から左の耳へと素通りしていった。
炎天下での校長の長話しと同時に終業式も終わり、教室へ戻ると一学期最後の掃除が行われた。
いつもは適当にやる教室の窓拭きも念入りに行われ、普段はやらない教室と廊下のワックス掛けもやった。うちのクラスは、今回特別に校舎の屋上の掃除も割り当てられ、1班6人だけが掃除のため屋上に行けることになった。
普段は、事故防止のために屋上に出ることが禁止になっているということもあって、クラスのみんなが屋上に行きたがり教室が騒然とした。
収拾がつかない状況になったため、担任の田代先生の提案で6つある班の班長によるジャンケン勝負で決めることになった。みんなやる気マンマンで、ジャンケン大会がちょとしたイベントになった。
結果は、班長だったマコの勝利によって、6班が屋上行きに決定した。
マコたちがほうきと塵取りを手に取り、意気揚々と屋上へ向かう姿を残ったクラスメートたちが恨めしそうに見ていたのを僕は覚えている。
掃除が終わると、田代先生から夏休みの宿題のプリントと一緒に通知表が返された。
僕は、どっさり出された宿題のプリントを脇にどけて通知表の中を見ると、3段階評価で○がほとんどで◎は体育と国語の二つだけ、△はなかった。
(これなら、お母さんもマコの家にゲームをしてくるって言っても怒らないな)
僕は心の中でガッツポーズをした。
通知表が配り終わると、担任の田代先生から夏休み中の学校プールの使用の約束事などが伝えられ、最後に『皆さん、夏休みを楽しく元気で過ごしてください』という言葉で締めくくられた。
クラス全員が先生に礼をして終えると、僕はすぐに荷物をまとめて席を立った。
「晶、飯食ったらすぐに来いよ! オギと森本も誘ったからな!」
クラスメートのオギこと荻原と森本からも『またあとでなー!』と声をかけられ、僕は『うん! またあとで!』と元気よく返事をして急いで家に帰った。
いつもなら1時間以上もかけて、学校近くの公園や通学路途中にある古ぼけた駄菓子屋で道草を食いながら帰るところ、道具箱や置きっぱなしの体操着や何やらでパンパンになった手さげカバンを脇に抱え、上履き入れの袋を振り回しながら駆け足で帰った。そうしたら15分もかからず家に着いたのには自分でもびっくりした。
「ただいま! お母さん、すぐにお昼作って! お昼食べたら、マコの家に遊びに行くから!」
キッチンで水仕事をしていたお母さんにそう言うと、テーブルに持ち帰った荷物をドカッと置いた。
「まず帰ったら、うがいと手洗いでしょ! 荷物はここじゃなくて部屋に置いてきなさい。洗濯物があったら、洗濯機の横のカゴに入れる。上履きは、お風呂場に置いといて」
と、お母さんがちょっと怒った口調で言った。
僕は、カバンから通知表と保護者へのお知らせのプリントを抜き出してテーブルに置き、言われた通りにした。
カバンを部屋に置き、体操着は洗濯機横のカゴの中へ、上履きは袋から出してお風呂場に置いた。多分、上履きはお風呂の残り湯でお母さんが洗ってくれるはずだ。最近、節約っていう言葉が口癖になっていたから。
僕が手洗い・うがいを済ませてキッチンに戻ってくると、お母さんはすでにお昼の準備に取りかかっていた。トントントントンとまな板で食材を切っている軽快な音がキッチンに響いていた。
お母さんは、小言が多いけど基本的に優しくて料理上手。虫と爬虫類が大嫌いで、買ってきたキャベツにイモムシがへばりついていると、節約節約と呪文のように唱えていてもキャベツを丸ごと捨てるくらい虫が嫌い。爬虫類も同じくらい嫌いで、以前庭で捕まえたトカゲをお母さんの鼻先に突きつけたら、トカゲと一緒に外に放り出されて暗くなるまで家に入れてもらえなかったことがあった。
そんな虫と爬虫類が大嫌いなお母さんの料理する後ろ姿をテーブルから眺めながら、僕は『人生ゲーム・究極版』のことを考えていた。
ゲームを持っていないわけじゃないけど、というより他の子よりもいっぱい持っているけど、僕はひとりっ子なので大人数でできるゲームは1つも持ってない。
マコの家みたいに弟が3人もいる賑やかなというよりうるさいくらいの兄弟だと、『人生ゲーム・究極版』みたいな大人数でやるゲームは特に楽しいだろうなぁと思った。
しばらくゲームのことをあれこれ考えていたら、
「はい、お待たせ」
お母さんが手早く調理して、炒飯とスープを作ってくれた。
「いただきまーす!」
僕は炒飯をかっ込もうとしたのだけど、スプーンで炒飯の山を崩した瞬間、手が止まった。
お母さんが作ってくれたのは、いつも作ってくれるひき肉と卵の炒飯だった。いつも入っていないかまぼこが入っているのはいいけど、僕が嫌いな人参とピーマンが細かくきざんで入っていた。
手の止まった僕を見てお母さんが、
「ちゃんと野菜も取らないとね。全部残さず食べないと遊びに行っちゃダメだからね。わかった?」
と、念を押すように言った。
いつもなら細かくきざんだ野菜でも、職人技のようにお皿の端へと寄せて残すところだけど、さすがに時間もないし残したら本当に遊びに行かせてもらえないかもしれないので、僕は意を決して人参とピーマン入りの炒飯をもの凄い勢いでかき込み、一緒に出された中華スープで炒飯を流し込んだ。
僕は、ただただ1秒でも早く『人生ゲーム・究極版』がしたいがために、この時ばかりは嫌いな人参とピーマンを克服できた。
「ごちそうさま!」
ピーマン臭さで涙目になりながら、僕は逃げるように玄関に向かう。
「外は暑いから帽子をかぶっていきなさいよ。それから車には気をつけるのよ」
お母さんの声に生返事をして、僕はお父さんが買ってきたニューヨーク・ヤンキースの野球帽をかぶって外へ出た。
玄関前にとめてあるマウンテン・バイクに跨って、いざマコの家へ!
僕の家は高台にある一軒家。周囲は古い一戸建ての多い閑静な住宅地だ。ここからマコの住むマンションまで自転車で5分たらず。
僕はバイクレーサー顔負けのコーナーリングで、細い坂道を颯爽と下りていく。
この時、僕は出かけしなに掛けられたお母さんの言葉に、もっと注意を払って聞いていればよかったと後悔するとは思ってもみなかった。
坂を下りると大通りを横切り、そのまま直進する。住宅街にある幼稚園の前を過ぎてから右折してしばらく走ると、目的地のマンションが左前方に見えてきた。
マコの家は、1階がスーパーになっている10階建てのマンションの8階にある。周囲は低い建物ばかりなので、マコの家からの景色はすごぶるいい。
マコの家のマンションが見えてきたこともあって、僕は自転車の速度をさらに上げた。
鼻歌交じりで軽快に走る僕の自転車が、マコのマンションのすぐ下の交差点に差しかかっとき、不意に右側から車が現れた。
「あっ!」
僕は、思わず大声を上げた。
信号のない交差点だけど、こちらが優先道路のはずなのに相手の車は一時停止もせず、スピードも緩めずに突っ込んできた。
僕の耳には、衝撃と一緒にドン! という車がぶつかった音と、ガシャンッ! という自転車が叩きつけられる音が聞こえてきた。
僕は跳ね飛ばされている最中に、「ああ、『人生ゲーム・究極版』なら、ハプニング機能の発動だなぁ」などと場違いなことを思いながら気を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます