another one

枡田 欠片(ますだ かけら)

第1話

「今のがそうなんだ」

 不意に彼女が呟いたので、僕は我に返った。

「あー。ゴメン」

「別に怒ってないですよ」前にそんな事言ってたから。と彼女は笑顔で言った。

「そんな事?」僕は言いながら、前に彼女に話した、うわの空で話を聞いてしまい、よく人を怒らせてしまうと言う話を思い出していた。

「職場じゃ、そんな所見た事なかったから」

 彼女は言いながら、クルクルとパスタをスプーンの中で巻き、それを、ひょいと口に運んだ。

 人がうわの空であった事は、指摘しておきながら、深くは追求しない。それがチクリと胸に刺ささる。

「実はさ、」僕は取り繕うように話した。

 海の近くのカフェからは、港が一望できる。

「あそこにほら、カモメが沢山浮かんでてさぁ」そこまで話して、”だからどうした”と改めて思う。

「それを見てて・・・」

 これじゃあ、そんな事でうわの空だったのかと、かえって怒らせてしまう。

 しかし彼女は、またしても笑顔で「鳥が好きなの?」と聞いてきた。

「まあ、好きかな」群れがね。と心の中で加える。ああいう小動物が群れている姿を見るのが好きなのだ。僕にとっては重要な事だけど、あまり人には共感された事がない。説明するのも大変そうだから、僕は「魚も好きだよ」と付け足した。

「あっ。私も魚好きです」特に深海魚が。と、彼女は言った。そしてその後「でも、あまり人には共感されないんですよね」と付け加えたので僕は「その気持ちわかる」とニヤケ顔で応えた。

 彼女は僕が深海魚の方に共感したのだと思ったらしく、その後は熱心に深海魚の話をした。彼女はとても嬉しそうに話した。それは、とてと興味深かったけど、僕はそれよりも、そんな話を、パスタを食べるのも忘れて、一生懸命話している彼女自身に、より強く惹かれていた。

「聞いてます?今度は怒りますよ」彼女は、いたずらっぽく笑った

「ちゃんと聞いてるよ」僕も笑いながら答えた。どちらかと言うと、ちゃんと見ていたのだけれど。

 それから、互いに好きな物を言い合ったりしていた。

「あ、またうわの空ですね」

 パスタも残り少なくなってきた所で、また指摘されてしまった。

「いや、うわの空というより。ほら、見て」

 カモメが浮いていた港に、遊覧船が入ってきた。

 海面に浮かぶ白い点々に構う事なく、遊覧船は進む。

「あっ」彼女は、小さく声をあげたが、その声は直ぐに笑い声に変わった。

 カモメは、そのまま波にやられて二手に大きく別れていった。遊覧船はカモメをかき分けるようにしてゆっくりと港に入った。

「慣れてるなぁ」「ですね」僕らはちょっとしたショーでも見ているかのように、食事の手を止め、それを見ていた。


「また考えごと?」

 妻に言われて、我に返った。

「いや、別に。ボーッとしてただけだよ」

 少し慌ててしまったが、妻は特に何も言わずに、「そう」とだけ呟いてテレビに顔を戻した。

 

 僕はその時、あの日と同じような日差しの中で、あの日の事を思っていた。

 キラキラと輝くあの日の事を。

 そしてもしかしたら、あの日の僕が選んだいたかもしれない、もう一つの未来を、今でもこうして思っている。


 another one おわり

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