No.02

食事を終えて、部屋に戻る。

戻って、デスクトップを見る。

まだ見慣れないアイコンが確かにある。本当にダウンロードしたのだ、そのこと夢のように曖昧に認識しながら、俺はようやくクリックをした。


画面の中央に凝ったデザインの施されたソフト名が表示され、直後画面全体が白く染まった。

少し前に、同じような音楽ソフトをダウンロードしたことがある。これもフリーだからという理由で選んだのだが、ダウンロードしたその後、ソフトを起動させるとピアノの鍵盤のようなものやメニュー画面など複数出てきて、何も分らないまま結局使っていない。今回もそうだったら、無知な俺には使いこなせない。


そんなことを思い出しているうちに、画面に変化が現れた。


前のソフトのようにごちゃとした画面を背景に、『彼女』はそこにいた。

テレビなんかでよく見るアイドルグループのライブ衣装のような凝ったデザインの服。髪は目に少し被るぐらいの前髪と、顔の脇は肩下ほどの長さで、後ろに行くほど短くなっていく。そのデザインは配信前と変わっていないようだ。小さな体に合わずやたらと大きめにデザインされた靴も変わっていない。


閉じていた目を開けると、明るい色をした瞳が現れた。

小さな口が弧を描いた気がした。そして開く。


まるで人が喋っているかのような滑らかさで、彼女は言う。


「ハロー。マイマスター」


芯のあるけれどふわふわとした可愛らしい声だった。

ボーカル音源であることを売りにしているからなのか、耳になじむ。


これが俺と彼女の初めて出会いだった。


「ダウンロードしてすぐに開けてくださるかと思いきや、結構放置なさりましたね」


わざとらしく片方の頬を膨らませる。


「ちゃんと挨拶しなきゃって意気込んでたのに、なんていうか拍子抜けです!」


ふい、と横を向く。

……はて。俺は好感度重視のギャルゲーでもダウンロードしたのだったっけ?


「てなわけで、初めまして、マイマスター。このたびは私めをダウンロードしていただきありがとうございます。本ソフトは音声ソフトとなっております。詳細は説明書をご一読ください」


そう言って彼女は画面の左下の方を指さす。そこには『?』の小さなアイコンがある。多分それだ。


「まぁ、そんなこと言ったって最近の人は説明書なんて読みませんよね?」


彼女は画面のこちら側を見て、まるで同意を求めるかのように首をかしげる。


「……もしもし?マスター?聞こえてます?」


彼女はこちらにむかって、まるで反応を求めるかのように手を振る。


「あれ、スピーカー無音?って、23%じゃないですか!もしもーし!」


タスクバーのスピーカーにカーソルを合わせると、23%と表示された。

ハァ、と彼女は腰に手を当てて呆れたようにため息をつく。


「……本ソフトはPC内蔵のマイク及びカメラと連動しております。マスターに口があるの確認済みです。1回だって口を開けようとしてないのも確認できてますからね?」


確かに画面の上部分にカメラとマイクがある。使ったことはないけれど。


「……もしかして、声の出ない方でいらっしゃいますか?」


やっちまった、と言わんばかりに顔面を蒼白させる彼女の顔に思わず笑う。


「絶対今私の顔見て笑いましたよね!?ムカつく!」


そう言って地団駄を踏み、ビシッとこちらを指さした。


「いいですよ別に!私からだってマスターのアホ面見えてますから!」

「誰がアホやねん」

「しゃべれるんじゃないですか!もしかしたら失礼なこと言っちゃった!?って内心テンパってた私の心配返してください!」


ごめんごめん、と試しに謝ると「その顔、反省してませんね」と軽く睨まれたが顔の造形のせいなのか全く怖さは感じない。


「何の話してたか忘れちゃったじゃないですか。せっかく進行役頑張ろうと張り切ってたのになんてこと。仕方ない、カンペ、カモン」


彼女が手を招くと、どこからともなく白い紙のようなものが現れて彼女の手に収まった。


「あぁ、説明書のくだりですね。で、マスター、説明書は読む派ですか?読まない派ですか?」

「分らないことがあったら読むぐらいかな」

「なるほどなるほど。まぁ説明書を読むのが一番かもしれませんが、私に言ってくだされば答えますし、必要に応じたページを開きます」


というか会話が成立するということはAIだかなんだかも搭載されているのだろうか。そこら辺は機械に詳しくないので一切分らないが。


「しばらくお話してみましたが、どうです?」


彼女がぺっと紙をすてると、その紙は消えていった。


「何が?」

「私の個性です。残念ながらマスターの元に配布された私の性格は変更できませんけれど、一度消してダウンロードし直せば別個性の私に会えるかもしれません」

「いくつか個性があるってこと?」

「そう聞いてます。他には真面目と天然とお調子者とツンデレとクーデレとヤンデレがあります。まともじゃありませんね」


後半は完全に遊んでると思われる。


「ちなみに今の個性は?」

「勝ち気です」

「個性以外に何か性能とかに違いがあるとか?」

「ソフトの性能と私の個性に関連はありません。真面目だからより緻密なことができるとか、お調子者だからおおざっぱなことしか出来ない、なんてことはありません」

「基本的には同じってこと?」

「そうです。強いて言えば、私の配色がことなります。可愛らしいこの赤い目と赤い髪、お気に召しませんか?」

「召しません、っていったらどうなるの?」

「どうということはありません。ただただマスターを嫌いになります」

「お気に召しました」


気づけばそんなことを言っていた。何でか分らないけれど、主導権を握られた気分だ。おかしい。

というか、何故音声ソフトの音声に個性を与えてしまったのか。そういうところを含めて『試作品』なのだろうけれど。


「マスターは本ソフトをどういった目的でご使用の予定ですか?」

「どういったって……音声を使おうと」

「この信号の意味は何ですかと聞いたのに色を答えられた気分です。アホですか。それくらいは分ってますよ。さてはアホ面と言ったことを根に持ってますね?」


若干勝ち気というのも間違っている気がする。毒舌の方が近いんじゃないか?なんてことはさておき。俺は彼女の質問の意味を尋ねた。

彼女は合点がいったと言わんばかりに、手のひらに拳を打ち付ける。


「今のご時世、誰でも気軽に動画を投稿できます。歌ってみたとか、ゲームを実況してみたとか、ちょっと実写動画とってみたとか、なんでも。その際に肉声ではなく私みたいな機械を使用なさる方もいらっしゃるそうです。マスターにお聞きしたのはそう言う意味です。マスターは私を喋らせることをメインにお考えですか?それともボーカル音源としてお考えですか?」


俺は呆気にとられた。口は良くないかもしれないけれど、聞いたことにはしっかり答えてくれるし、なにやら迷走している部分を覗かせてはいたがフリーのわりには凝っている。


「……どっちかというと、後者、です」

「なるほどなるほど。マスターは私に歌わせてくださるんですね」


彼女は数回頷くと、「期待してます!」とにこりと笑ってこちらを見た。


「でしたら、その内容を含んだ自己紹介をさせていただきます」


彼女はぺこりと頭を下げる。


「何度目か分かりませんが初めまして。個体名として『ルーシィ』という名を授かりました。起動時にその名を呼んでくださるだけでも起動いたします。身長は約15センチ。重さは容量と同じです。得意音域はC3からB5と少し低めですが得意と言うだけでA5あたりまでは平気で出ます。得意テンポは95から180BPMですがバラードでも早口でもドンと来いです。ところでマスター、アホ面に拍車がかかってますがどうなさいました?」


きょとんとした彼女を見て、俺は苦笑いをする。

「なんなりとお申し付けください」と彼女は胸を張るが、言っていいものかと煮え切らない俺は、最終的に「おっしゃってくれないと爆音で叫びますがよろしいですか?」と脅されていた。


「俺知識ゼロでさ」

「なるほどなるほど。C3とか言われても『はてなんのこっちゃ?』状態なわけですね」


彼女は食い気味にそう言った。

ピンポイントで言い当てられ、面食らった俺の顔が可笑しいのか、彼女は口に手を当ててくすくす笑う。


「アルトとかソプラノならおわかりいただけます?」


俺は頷く。


「アルトあたりが得意ですが、ソプラノも出ます」

「逆に何が出ないの?」

「バスとかテノールとか求められたら逆ギレしかねません」


個性が勝ち気だからなのか、彼女は首元に手を当てて低音の発声練習を始めだした。女声の割には十分低い声だがそれが限界らしく、悔しそうに地団駄を踏み始めた。女の子なら足を閉じなさい。

俺の笑い声が聞こえたのか、それとも顔が確認できたのか、彼女は不機嫌を顔に貼り付けじとりと俺を見る。


「ごめんごめん」

「物事ごめんで片付いたら警察は廃業確定です」

「悪かったって、反省」

「沢山歌わせてくれたらチャラにします」

「……善処します」


こうして彼女との生活が3ヶ月限定で始まった。

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