第2話 マキナ
マキナは微笑んだまま「なぜ? どうして」と言った。
「あいつらはね、人間であることを捨てた、捨てる身分にあった、捨てたい気持ちに逃げた、最低のクズなのよ。臆病者のくせに、私達を見下ろして、馬鹿にすることを囁いているの。人の話を聞かないあいつらの汚物は全部私達に降り注ぐのに、彼らは内心であざ笑っている。多分……いや、絶対そうに決まってる! 翼の生えた動物に成り果てた人は、マキナを汚すことしか考えないよ。関心を持っちゃダメ」
「そう……」
私が「失せろ!」と、叫ぶと、翼の民は階段の上空から離れて、王宮の屋根を越え、森の向こうにある巨大な塔の方へ去って行った。
私はマキナの手を握って、引っ張った。額と額をくっつけて、「あなたは……マキナ……誰にも渡さない……」と小さく呟いた。
マキナは「はーい」とおおらかに笑った。
階段で幾度も振り返りながら、私は下界の都市へと働きに出かけた。
そして、陽が暮れた頃に帰ってきたら、マキナの姿は消えていた。
蓮の池はなぜか涸れていた。セキュリティがめちゃくちゃに壊されていたが、マキナを守るために作動した形跡はなかった。名も知らぬ枯れ木だけは名も知らぬ赤い花をつけて満開になっていた。「綺麗……」と思って近付くと私達が座っていた所に大量の糞尿が落ちていた。その糞は、下界に続く階段へではなく、反対の方向に落ちていっていた。
森の中へと点々と続き、その先の塔へ……。
「おい! おい!」
私に臭い息を吹きかけながら、上司のマクロは灰色にくすんだ顔を近づけてきた。デコボコの皮膚に、飛び出しそうな眼が乗っかっている。
「聞こえてんのか。この。平民なのに、まだ王族気取りか?」
マクロが私の髪を掴んだ。
「いえ、決して。ここでは労働者です」
私は直立不動で答えた。
「いつ滅んだと思ってやがんだ。庶民の娘がよ」
「ずいぶん前ですね」
私は機械的に返答した。
「他人事みてーに言うな。俺らの祖先がお前ら支配者を滅ぼしてだな……痛快だ」
私は黙ったままだった。
「王宮じゃ、暮らしているのはお前だけだってなぁ。王族ってのは、長生きするっていうが、その分、こき使われる人生が待ってるぞ。資料整理だけで食っていけると思ったら大間違いだぞ。職を転々として、長い、長い時間、苦しんでくれよ」
マクロは私の頭から手を放した。岩みたいに荒れた皮膚に私の髪が何本も引っかかって下がっていた。
私は黙ったまま、頭を掻いた。脳がマキナとつながりたがっていた。仕事どころじゃない。なんとかしてマキナを取り戻さねばならなかった。
塔、マキナ、私。
塔、マキナ、私。
あまりに困難な問題だった。かといってあきらめて絶望することはできなかった。
「中毒だな、お前は。あんな神かなんか知らんが、永久機関のおもちゃと一緒にいて。王がいなくなったんだから、必要ないだろう。歌や遊び、そんなもんで政治していたんだからなあ、馬鹿みてえだ」
「…………」
ガリガリガリと私は頭を掻く。
「現実ってもんが分かってないんだ、お前は。失ったことを受け入れられてないな。なあ、あきらめろよ。お前は愛想尽かされたんだよ」
「はい……」
ガリガリガリガリガリガリ。
「資料整理の仕事にも身が入ってないし、効率も悪くなっている。俺がやってた頃と比べてひでえもんだ。お前にはもう、任せることなんかない。さっさと仕事を辞めてもらう」
マクロはそう言うと机の上に退職届の紙を出した。
「ここにサインしろ」
「……」
「もうやめちまえ。いくらでも代わりがいるんだ」
私は生きなければならなかった。食べて、暮らして、マキナとつながらなければならなかった。マキナとつながっていなければ生きている甲斐がなかった。
マキナとのつながり。それは、いつも私の心を穏やかにした。マキナと共に、この国を支配する夢を見ること。とても静かな気持ちになれた。なのに。
「ここに、一身上の都合により云々を書くんだよ、馬鹿」
王族である私がもし再びこの地を統治したのであれば、まず、皆が心豊かに、安らかに暮らせるようにする。誰が味方で、誰が敵かを、考えない世界にする。この目の前にいるマクロが、人を人として認める世の中にする。王族が上に立つ事で、人びとの貧富の差をなくし、みんなが自分のやりたい事が出来て、嫌なことをみんなが進んで行い、誰かが誰をも馬鹿にしない。心を病んだりしない。頑張りすぎない。毎日、外へ出るのも、部屋にいるのも楽しい国にする。そこに私が君臨する。
マキナの笑みは、いつも私の願いを受け入れ、復権までの道筋を明らかにしてくれた。ある時は北の果てから、死んでしまったパパの先祖の血族が再びやってくる。いなくなったママの家系の一団が、下界の平民資本家達を打ち倒し、王宮の上で高らかに民を愛する歌をうたい、民は王族を慕う歌をうたう。
「そう、そこにお前の名前を書くんだ。あとで職業安定所の奴らがうるさいからな。お前、このあとどうするんだ? お前さんみたいな、呆けた女を雇うところなんてないだろう。どうだ? 娼婦になって体を売るってのは。ベッドに寝っ転がって、機械みたいに声をあげるだけでいいからな。金は、今の仕事の二倍は固いぞ。歴史書を整理せず、読みふけって生きている、誇大妄想ばかり言ってるお前も、もう少し現実という奴を知るだろうさ。勉強にもなる。一石二鳥だ」
目の前の退職届に、いよいよ日付を書くところで、私はペンを止めた。
「どうした? さっさと書け」
「塔……」
「は?」
「塔に行く。塔に行かせてください」
マクロは顔を顰めて「塔ってお前……」と戸惑った。
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