例えば?

「そう言えば、見せて貰ってないよね」


 壁に貼られたポスターの前で、行信君が立ち止まります。


 ポスターには、リップブラシで口紅塗る女性が描かれていました。


 行信君は、隣で同じポスターを眺めている美姫さんの横顔を見ます。


「化粧した、美姫さん。」


「…」


「見たい!」


「─ そう言う機会が、あったらね。」


 固まった様に、ポスターから目を晒さない美姫さん。


 その不自然さに抗議する様に、行信君が、顔を近づけます。


「例えば?」


「特別なイベントが有る時とか…」


「それなら!」


 声に反応して、漸く自分の方を見た美姫さんに、行信君はニヤリとしました。


「近日中にあるでしょ?」


「?」


 行信君の人差し指が、自分の鼻に向けられます。


「た・ん・じょう・び」


「…そうだけど?」


「イベント…だよね?」


「─」


 目を逸らした美姫さんに行信君が迫ります


「姫様?」


 美姫が嫌がる顔を見たくて、行信君が勝手にしている<姫>呼ばわり。


 しかし世間は、そうは思ってくれない。


 だから美姫さんの口調は、反射的にきつくなります。


「人目がある所で、そう言う呼び方しないで。」


「姫!」


「声が大きい!」


 身を屈めて、伏せた美姫さんの顔を覗き込む行信君。


 視線から逃れようと、美姫さんは目を閉じます。


 沈黙の攻防。


 観念した美姫さんは顔を上げました。


 期待の視線を送る行信君に、唇を尖らせて 精一杯の不本意さを示します。


「…解ったから。次のデートの時に…して来てあげる。。。」


----------


「今日は、僕の方が…」


 先に待ち合わせ場所に居た、行信君の言葉が途切れました。


「…変?」


 滅多にしない化粧に、不安と違和感が拭えない美姫さん。


 行信君の反応に、怪訝な顔をします。


「美姫さん、可愛い!」


「─あ、ありがと。」


「可愛い!! 可愛い!!」


「こ、声が大きい!」


「可愛い!!! 可愛い!!! 可愛い!!!」


「は、恥ずかしいから、大声を出さないで!!」


----------


 いつもの店のいつもの席。


 2人は、向かい合わせに座ります。


 注文した品が運ばれ、顔見知りの店員の姿が消えるや否や。


 行信君は、スマホを取り出しました。


「何?」


「化粧した顔を…写真に残さないと!」


 やられっぱなしなのを、少し苦々しく思っていた美姫さん。


 ここぞとばかりに、反撃を試みます。


「写真を撮ったら、その後、化粧 落としても良い?」


「え…?」


 表情を曇らせた行信君に、美姫さんは してやったり顔で微笑みました。


「─ その条件なら…撮ってくれても良いけど?」


「判った。。。」


----------


「行信」


 向かい側の席に向かって、疲れた声で美姫さんが呟きます。


「ん?」


「もう…撮ってくれても良いよ? しゃ・し・ん。」


「そんな事したら、化粧、落としちゃうんでしょ?」


 行信君は、ひたすら視線を逸らさず、向かいに座る美姫さんの顔を見続けていました。


「目、疲れたでしょ?」


「─ 疲れないけど」


「もう30分以上は、そんな事してると思うんだけど。。。」


「…だって、見飽きないし♡」


 根負けした美姫さんが、思わず呻きます。


「自分の顔を鑑賞されるの、もう嫌なんだけど…」


「そう?」


「写真…撮って欲しいかな。」


「えー」


「と・っ・て、ほ・し・い・な!」


 流石に潮時だと判断した行信君。


 美姫さんの顔を見るのを止め、スマホに手を伸ばします


「承知致しました。ひ・め!」


「─ 姫って呼ぶな。」


----------


「あーあ 落としちゃった…」


 行信君は、化粧室から帰ってきた美姫さんに残念そうに見ました。


「…可愛く、なくなった?」


「化粧しなくても、美姫さんは可愛いですよ。」


「…そう言う恥ずかしい事、言うの止めてくれる?」


 照れ隠しで、怒ってみせる美姫さん。


 しばらく時間を置いてから、行信君が問い掛けます。


「次は…いつ、化粧してくれるの?」


「─ 来年の…行信の誕生日ぐらいかな」


「何で、1年後?」


「あんまり化粧すると…有り難みが無くなっちゃうし」


 不満の視線を送る行信君に、美姫さんは軽く勝ち誇って言いました。


「化粧しなくても、可愛いんだから…必要ないよね?」


「…」


「姫様の意向には、従わないと」


「─ 承知致しました。ひ・め。」


「『姫』って呼ぶ時は、小さな声で!」

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化粧して! 紀之介 @otnknsk

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