第14話 転 ー肆ー
「わたしはキミに!この件には関わるな!と言っておいたはずだが!?」
法務本部長室に、怒号が落ちた。廣瀬の報告を聞くなり、少将は顔を真っ赤にし、少ない髪を逆立てるほどに激怒した。
「自分もまさか、少尉の死因を調査ついでに議長の不審を調べることで、このような疑惑を持つことになるとは思いませんでした」
直立姿勢で、鼓膜に痛い少将の怒鳴り声を耐える。
「しかし知ってしまった以上、無視することはできません。『テトラ・グラマ・トン』を小規模とはいえ再現しようとしたとなると、国際問題になりかねない重大事由です」
「そんなことはわかっとる!だが、そんなものを復活させて、このご時世に何をやるというのだね!」
少将の怒りは治まらない。聞かされたのは軍の醜聞だ。心中穏やかではいられない。
「おそらく、低賃金労働者として流入してきている在皇半島人の排斥…つまり半島自体の破壊かと」
淡々と、廣瀬は自分たちの辿り着いた見解を述べた。『テトラ・グラマ・トン』ほどの威力を求めたからには、それ相応の目的があるといっていい。それを使って出来る最大の行為は、世界の中の一地域を消滅させることだ。連中の『テトラ・グラマ・トン』生成の動機と性格から推察するに、その目標地は皇国内のどこかではなく、連中が考える諸悪の根源“半島そのもの”だろう、というのが、廣瀬たちがたどり着いた結論だった。
「移民法は、国家が決めた方針だ」
少将の語気は、まだ荒い。廣瀬はつとめて冷静に、報告を続ける。
「そうです。そのため、経済的な理由もありますが、皇国内の治安の悪化や、文化の違いからくるモラルの低下など、ご存知のように現在、一部過激な純血主義者たちには我慢ならない事態になっています」
「それは、先の大戦の結果、我々が受け入れなければならないものだ」
「その通りです。平和条約の履行は、各国の最優先事項でした。しかし戦後30年、ボクたち戦争を知らない世代にとっては、色々と受け入れ難い、納得いかないことがあるのも、また事実です」
机に前のめりで廣瀬を睨みつけていた少将が、一呼吸をした。そしてゆっくりイスの背もたれに寄りかかり、深く腰を沈める。
「……いいか、大尉。もしキミの描くファンタジーが議長の耳に入れば、軍にとって死活問題になるんだぞ?」
「存じております」
「キミの予測の信憑性は、どれくらいだ?」
「決定的な証拠、というにはまだ足りませんが、状況を客観的に推察するに、かなりの確率で危険な事態が迫っていることは確信できます。とりあえず今、坂本准尉に連中の足取りが残ってないか調べさせています」
「う~む…」と、少将は腕を組み、唸った。
(ほぼクリアしたな)
考え込む少将を見つめ、廣瀬は一安心した。こういった場合、この提案は少将が考慮するに値するということだ。どうしようもないものならば、少将は一喝して怒るだけだが、本当に重要な事はきっちりと把握し、それが多少職務権限から逸脱していても、様々に手を回して対処してくれる。例えばどうしても必要なことながら、こちらから言い出しにくいことなどは、先に察っして口にしてくれたりするのだ。
それが、激しい気性ながら冷静さも持つ、少将の少将たる所以だった。
そして部下である廣瀬にも、この案件の重要性の理解と、調査を遂行する自信があった。一言命じてもらえさえすれば、確たる証拠を押さえてみせる。
廣瀬には、自分が法務科で最も優れている、という自負がある。難しい任務であればあるほど、少将は間違いなく、自分に調査を命じるだろう。
「……で、どういう方法で調べるつもりだ?」
決断の前に、少将は廣瀬の方針を問うた。事が重大すぎるだけに、慎重な判断を求める。廣瀬はシンプルに答えた。
「魔巣窟を調査しに行きます」
「キミは…っ!」
少将が顔色を変えた。
「キミは嵯峨中尉が魔巣窟近くまで行くと言ったとき、危険だからと強く反対したと記憶しているが、違ったかね!?」
廣瀬の顔を指差し、キツく叱るように問いただしてくる。
「その通りです」
「では改めて、キミがそこに行くメリットがあるのか?!危険さは、嵯峨中尉が行こうがキミが行こうが変わらない!確たる証拠も無しに、憶測だけで部下を送り込めるものか!」
「その、確たる証拠を押さえに行くのです。または、あそこを押さえてしまうか何もないという確信が持てれば、つまりはテトラ・グラマ・トンの悪夢が杞憂に終わるということです。それに、事が事だけに、他の部署へ協力を求めるわけにもいきません。それこそ確たる証拠も無しに、協力要請など出来ないでしょう」
そのこともわかりすぎている少将は、喉の奥で出かけた言葉を飲み込み、
「……中尉たちが戻ってくるまで、待てないか?」
「一刻を争う緊急事態です。第一、嵯峨中尉も危険に曝されているかもしれません」
事実だった。廣瀬の予想では現場と危険地域にそれなりの距離があると思うものの、危ないことには変わりない。それについても、少将は素早い手を打ちたい。
「……ふーっ、確実な証拠は無いが、確信はある、か」
少将は老眼鏡を机に投げ出し、唸るようにつぶやいた。
しばらくの沈黙が漂う。
廣瀬も、殊勝な顔つきで直立し続ける。急ぎたいが、急がすわけにもいかない。それくらい、難しい判断なのだ。
と、しばらくシーンと静まっていた本部長室に、廣瀬の端末が呼び出し音を響かせた。
「し…、失礼いたしました」
慌てて、端末の電源を切ろうとする。それを少将はおさえた。
「構わんよ。出たまえ」
考えてる邪魔をするな、とばかりに手をひらひらさせる。
(まずったなぁ…)
廣瀬は冷や汗をかいた。しかし、少将がああ仰る以上、接続を切って知らん顔もできない。慌てて本部長室を出、端末をつなげた。かけてきたのは、坂本だった。
「何かわかったか?」
なるべく抑えた声で尋ねる。端末の声には、多少のノイズが入っていた。
『当たりでした。大尉の言った通り、船着き場の管理人の帳面に、三週間ほど前に連中がまとめて船に乗った記録があります。スイープ隊の手も、ここまで廻らなかったんでしょう。リスト全員ではありませんが、二回に分けて、大部分が港を出ていますね』
向こうも聞き取りにくいのか、怒鳴るように大声を出していた。
「向かったのは、魔巣窟か?」
『そこまではわかりません。しかし、半島や帝国方面ではなかったようです』
廣瀬は心中で頷いた。坂本は明言まではできなかったが、しかし連中の向かった先をほぼ限定してくれた。
「よくやった。気をつけて戻れ」
議長に行方不明といわれ、軍からは異動したとされた連中は、何らかの意志を持ってグループとして行動している。
確信を持って、端末を閉じようとした。が、それを坂本が慌てて止めた。
『あ、待ってください!もうひとつ、重大なことがあったんです!』
「?何だ?」
これ以上重要なことがあるのか?
『それが、リストグループの出た数日後に、もうひとつ、魔巣窟に向かったと思われる部隊がありました』
今度は、坂本は明言した。彼の調査した管理人の覚え書きには、他の旅行者のような帝国や半島ではない方面に漕ぎ出した船が、もう一隻だけあったというのだ。
『それが……五藤大佐の、沿岸特殊警備隊なんです』
「なんだと!?」
『管理人が言うには、港を出た警備隊の特別挺はその日だけ、いつもの沿岸線を伝って魔巣窟近海の訓練域に行くのではなく、直接魔巣窟方面に向けて出航したそうです。そしてそれ以降、二十日ほど船を出していないとか。不思議に思って、よく覚えているそうです』
「……っ!!」
廣瀬には、言葉も無かった。それが事実なら、五藤隊は訓練事故を起こしたという海域にはいなかったことになる。
皇国から半島へのU字型の海岸線に沿うことで、特殊警備隊の訓練海域に着くことができる。無差別爆撃地帯のそばとはいえ、彼らは皇国側の海域で訓練を行っていたはずだ。だからこそ、嵯峨たちはそちらに調査へ行った。
が、直接魔巣窟を目指したとなると、皇国から見れば裏側の海岸線、つまり、魔巣窟を挟んだ向こう側に着くことになる。無数の魔族や険しい山脈がそれを隔てている以上、誤差で済む距離ではない。
(嘘つきは、軍の一部だけではないってことか…)
爪をカリッと噛んだ。また頭が痛くなる。
五藤大佐が特殊警備隊の訓練に皇国領海外の魔巣窟近辺を選んだとしたら、現役隊員以外をそこに連れて行った判断ミスは重い。不慣れで危険な訓練を強要したとなると、職務怠慢は言い逃れできないだろう。さらに偽装をした上、予備審問で訓練海域を偽ったとしたなら、
(嵯峨は不利になるな…)
小さく舌打ちをし、廣瀬は額から頬まで、ズルリと顔を拭った。
「わかった。嵯峨には連絡がついたか?」
顎を撫で、もうひとつの懸案を尋ねる。前述の通り、魔巣窟と嵯峨たちの調査地点は近いとはいえ、離れている。危険な連中と鉢合わせすることはないだろうと思うものの、心配は拭えなかった。
『すみません、それはまだ繋がらなくて…。もう少し試してみます』
坂本も苦しそうに言った。もし自分が、嵯峨たちに危険を知らせることができなかったら。彼女の身に何か起きたなら、小心な坂本はいたたまれなくなるだろう。
「いや、もういい。ご苦労だったな。あとはボクがやるから、帰ってきていいぞ」
言い、廣瀬は端末を切った。一度大きくため息をつき、本部長室のドアをノックする。
「失礼いたしました、少将。ご報告したいことが」
「ん、つづけたまえ」
少将は何やら書類に書いていた。その手を止め、廣瀬の方を向いて先を促す。
「先ほどの、坂本准尉からの連絡ですが、議長から預かったリストメンバーのほとんどが、三週間前に魔巣窟へ向けて出航したことが、港の管理人の記録から確認できました」
「そうか…」
口元を撫で、少将は眉をしかめた。
「それともうひとつ…」
と言いそうになり、廣瀬は慌てて口をつぐんだ。
「なんだ?」不審がる少将。
「いえ、嵯峨への連絡がまだ取れません。もう戻ってきているはずなので、心配ないとは思いますが」
「そうだな」
同じく部下の身を案じている少将に、廣瀬は申し訳なく思いながらもごまかした。
(警備隊の偽証は重大だが、まずは嵯峨に教えてから報告させた方がいいな。なにせ裁判に関わることなんだから)
報告を終えた廣瀬に、今度は少将が自分の見解を口にした。
「さっきわたしの方でも、参謀本部に問い合わせてみた。『テトラ・グラマ・トン』生成の危険性を報告するためにな。だが…」
「無視された?」
「…キミはその、ひとの言葉を遮るクセを無くしたまえ」
苦い顔での説教。しかしすぐに、手元の書類へ捺印し、
「許可しよう。だがキミが推察した通り、軍は我々に何かを隠している。他の部署からは協力は求められん。なるべく早く、軍を動かせるだけの証拠を持ち帰れ」
全権を与えるとの命令書を廣瀬に渡し、少将は強い口調で命じた。
「アイアイサー!」
ガッとかかとを鳴らし、廣瀬は海軍式で敬礼した。
「大丈夫ですかぁ?」
川上少尉の気遣いの言葉には、思わずこもってしまった笑みが滲んでいた。目の前の光景に、なんともいえぬおかしみを感じてのことだ。
「もう少し、だから…なんとか……」
元々の出身が陸軍の空挺部隊のため、嵯峨は乗り物には強いつもりでいた。遊園地の絶叫マシンなどは大好きな方だ。しかし、無差別砲撃地帯の激しい嵐からは幾分か穏やかになったハズの、ゆったりとした大きな海面のうねりには、魔巣窟近くから障気を吸ってきたこともあって、嵯峨はその顔面を真っ青にして小さくうずくまるしかない。
脳みそはシャンとしている。裁判に臨む素晴らしい手掛かりも得た。気分は悪くないはずだった。
だけれども、小柄ではないが男たちと比べればいくぶん華奢な嵯峨の肉体は、自然界の酷使に対してヘロヘロに弱らされてしまっていた。
「本当にあと少しですから、希望を失わずに。まぁ、横になって休んでてください」
頑張って強がりを言う嵯峨へ、川上はニッコリ笑いかけながら軽々と船を駆った。
「まるで別の人種のようだね」
嵯峨の隣りで、同じように憔悴しきっている柳沢少佐が、やや呆れ気味につぶやいた。彼は嵯峨と違い、「寝ていると余計に脳を揺らされて酔ってしまう」と座った姿勢で耐えている。そのくせ、もう胃液しか出ない嘔吐物を、嵯峨よりも多く海へと捨てていた。
柳沢も海兵の出だが、ここまで小さなボートで無力な木の葉のように翻弄される船は、経験が少ない。いや、中型船でもっと激しい嵐なら耐性がある。こういうゆったりと上下の落差が大きいのは、意外に厳しいのだ。沿岸特殊警備隊との力の差を見せつけられる気分だ。
「そんなに長く乗るわけではありませんから、頑張って」
軽く言ってくれる。川上少尉は洒脱な雰囲気があるだけに、グロッキー状態でうんうん唸るふたりがおかしくて仕方ないらしい。
もっともそのからかいには、ふたりに対する敬意と好意が含まれているため、誰かさんの見下したような皮肉と違って、言われる方もムカッ腹を立てるようなことはない。しかし、胸から喉にこみ上げてくる気持ち悪さは、どうにもたまらなかった。
そうして「ウッぷっ」と5度目のえずきで嵯峨が顔を蒼白にした頃に、港の遠景が朧気に見えてきだした。
(助かった…)
蘇生する気分だ。陸にさえ上がれれば、船酔いは楽になる。
行きもそうだったが、本当に短時間で助かった。これ以上揺られていれば、脱水症状も引き起こしかねないだろう。
(やっぱ沿岸警備隊は凄いわ…)
専門なのだから当たり前なのだが、やはり感心してしまう。嵯峨は魔巣窟近くから無事に帰ってこられたことと、安息の陸地が見えたことで、ドッと緊張の糸を緩めてしまった。
(芦原少尉も、陸で死にたかったろうな…)
とりとめないことを思って、そのまま昏倒した。
(坂本の“発見”の意味するところは、何だ?)
沿岸特殊警備隊のことだ。
オフィスに戻って地図を広げ、地名を指でなぞりながら、廣瀬は頭をひねった。
警備隊の巡視艇が大きく迂回したといっても、時期的に見て、天候が荒れて波が高くなりだしていたため、とも思える。軍はいろんな状況に合わせて展開する。が、避けられる危険は、極力回避しておくものだからだ。
普通、嵐の中はどの兵科も避けて通る。作戦は出来うる限り、不確定要素を排除して立てるものだ。
沿岸特殊警備隊が予定の場所で訓練していたことは、予備審問の報告にも明記されていた。軍の保証のある、検証不要の大前提だ。例え不可解なほど遠回りな別のルートを使ったとしても、その程度で揺らぐものではない。
それに、警備隊の指揮官は五藤大佐だ。理由の無いことをするひとではなかった。
(どっちにしたって、嵯峨たちが帰ってくればわかることだ)
ずっと気になっている芦原少尉の死の真相も、仮定が進むのは調査する嵯峨が帰ってきてからのこと。憶測はいくらでもできるが、証拠に勝るものはない。
その嵯峨たちは、そろそろ帰路についている頃のはずだった。無事に戻ってこれるまではやはり心配だが、なんだかんだいって柳沢がついている。腹は立つが、何かあれば救援を呼ぶくらいはできるだろう。
後ろ髪が引かれる感じはあるものの、廣瀬にはそれよりもっと、優先してやるべきことがあった。
━━失踪した集団の尻尾を掴む。
確実な証拠を押さえて早く手を打たないと、取り返しのつかないことになるだろう。
今のところ、清掃班長の部屋に仕掛けた盗聴器からは、特に何も得られることはなかった。何やら清掃班内で鑑識機材業者との癒着があるらしいが、廣瀬の調査には関係ない。その他は二度ほど、現場処理の任務が入って出て行ったくらいで、清掃班長は黙々と、ほぼ公務時間の全てを自室で書類整理するだけに使っていた。
(ハズレか…)
廣瀬の威力偵察に反応があるかと思ったが、無関係なら拘る必要はない。
(となると…)
廣瀬は準備が出来次第、魔巣窟に向かうべきである。しかし確信を持って魔巣窟を調べに行くとはいえ、確証を掴むまでには手間取るかもしれない。上手くやる自信はあるが、往って帰ってすれば、自らの師の裁判には間に合わないだろう。さすがに師の危機に、傍聴すらしないのは心苦しい。
(一言あいさつくらいしていきたいんだが…)
立場上、そういうわけにもいかない。藤原からも、証人として指名されてしまっている。
師弟が袂を分かって以来、お互いに会いに行こうとすることは無かったが、廣瀬は柄にもなく殊勝な気持ちになっていた。訓練生時代の様々な思い出のある魔巣窟へ向かう、ということも作用したのだろう。五藤の居る方向に向けて、心の中でペコリと頭を下げた。
(そういえば、藤原との約束も反故にしてしまうな)
惜しい。
と、思えるだけ、まだ廣瀬は余裕があるようだ。
(仕方ない。あっちは土居に頼むか)
藤原の濡れた唇と芳香を脳内で再生し、廣瀬は顔をくしゃっと歪めてオフィスのドアを閉じた。
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