第13話 転 ー参ー

「あ、お疲れさまです」

 抑揚のあまり無い声を廣瀬たちにかけ、坂本はその少佐の部屋をせっせと片付けていた。

 また雲が出てきたためか、太陽を遮られた部屋は、窓から入ってくる光も少なく、薄暗い。

「電気くらい点けろよ」

 軽く呆れ、廣瀬は坂本が段ボール箱にまとめて片付けた部屋の小物類を外に出した。用意されたガスマスクを、全員で着ける。

「土居、一気にひっ剥がしてくれ」

 どれほどのものが、壁紙で蓋をされているのかわからない。廣瀬は坂本とマナの絶縁処置を施しながら、不測の事態に備えた。

 坂本が緊張している。危険なことはないか?という心配と、自分が怪しいと睨んだ選択が正しいかの答え合わせにドキドキなのだろう。

「いくぞ」

 ナイフをスパッと、壁紙の合わせ目に差し込む。

 ドロリと、どす黒いマナがナイフの刃を伝って、垂れた。

「思ったより出てこないな」

 先の少佐の部屋ほどの勢いは無く、深く粘りのある沈殿形態をしている。計器を見てみたが、表面からはあまり臭気を出していない。が、ゲル状のそれ本体の悪意は、差し込んだ計器の針を見る限り、先の物より遥かに高い値を示していた。

 廣瀬はそれを、ペンの尻で掬い上げた。ぬちゃりと、嫌な手応えが腕から背筋に響いた。

「これは良い報告が出来そうにないな…。坂本、この臭いに覚えはあるか?」

 まず自分でマスクを外して嗅いだあと、少量付けたままのペン先を、坂本にも嗅がせる。「むっ…」と、表情を歪めた。

「これです。来賓室で臭ってきたのは」

「決まりだな。連中のやっていたことは、完全な“アウト”だ」

 状況をまだよく把握できていない坂本が、不思議そうに目を丸くする。

「しかしこれはテトラ・グラマ・トンというにはとてものこと不完全だろ?」

「なんですって!?」

 土居の疑問に、坂本がヒステリックな声をあげた。

「この気色悪いのがテトラ・グラマ・トンだっていうんですか?!そんな恐ろしいこと、なんでこんなとこにあるの!?一体何なんです!?廣瀬大尉は知ってたんですか?!こんな…、いったい誰が何の目的で…!?」

 興奮して唾を飛ばす坂本に、もう一度マスクをつける。嫌悪すべき対象だ。仕方ない。廣瀬は坂本の抗議を無視して、土居に最悪の観測を告げた。

「確かにこれは不完全だな。あくまで設計図の段階だし、何よりこれを基に魔力を増幅させたところで、神でも魔でもなく、ただの破壊魔法にしかならないだろう」

 飴細工のように、ペンの尻でゲルをこねくり回す。込められた悪意のマナを中和、ないし封印できないかと考える。

(清掃処理班の連中は、上手いことやったもんだ)

 感銘は受けないが感心はする。

「だけど“破壊”という面だけに特化したならば、これは最凶の存在になる。過去には独裁国家の研究者が挑戦したものだ。三十年経ち、軍学校とはいえ、その理論を学生が精製しようとできるまでに技術力が上がったのかと思うと、ちょっと感動的だな」

 併せて、軍学校の頭脳たちが集まってこんなことをやっていたのかと思うと、ちょっと情けなくなる。

「それは…不謹慎すぎます」

 坂本が「廣瀬の感動」に、チクリと苦情を言った。

「それに…これ、本当にあの『テトラ・グラマ・トン』なんでしょうか…?」

「その『一部』、だな」

 とても『神聖四文字』なんて言えた代物ではない。しかし、“破壊力”という面では、『神聖四文字』に近い威力を持つだろう。

「『神聖四文字』の全体像が人間だとしたら、こいつは足の裏の臭いくらいのもんだな」

「あっはっはっ、なるほど上手いことを言う!」

 妙なところで土居が笑った。廣瀬は変な顔に鼻面をしかめた。

「これは『テトラ・グラマ・トン』のパチモンだ。全体像には程遠い。……しかしこんなパチモンとはいえ、この規模の破壊魔法のエネルギーを充足させるには、国家規模の施設が要る。正式な研究ではないし、軍学校では不可能だろう」

 気づいた土居が、廣瀬の前に指を立てた。

「いや、一ヶ所だけあるぞ」

「最後まで言わせろ。このグロテスクなマナを完成させるには、それ相応の魔力の噴出する場所、つまり…」

 うんざりと、鼻から溜め息を漏らした。

「魔巣窟にでも行かなければダメだな」

 今まさに、嵯峨たちが調査に行っている場所だ。廣瀬の悪い予感だと、行方不明になった連中は悪意のマナの一番良いサンプルを抱え、その魔巣窟で不幸な実験に着手しているはずだ。

(嵯峨たちが危険に巻き込まれるかもしれない)

 事態は緊急を要することになった。

 魔巣窟の獣や嵐だけじゃなく、下手をすると邪悪な爆弾を抱えた集団と鉢合わせするかもしれない。そいつらが邪な考えに支配されていたとしたら、出遭った皇国軍士官をそのまま返すとは思えない。

「魔巣窟近辺の周波数っていくつだ?このことを嵯峨たちに教えてやらなければいけない」

 端末を取り出した廣瀬は、アンテナをいじって嵯峨の端末に繋がらないかとチューニングする。

 マナの波形というのは基本的に単純だが、魔巣窟のようにあちらこちらから噴出していれば、それぞれが複雑に絡み合い、時に幾何学的な紋様を描いたりする。そのパターンは数千にも及び、魔巣窟近辺専用のものではない廣瀬たちの軍支給端末だけでは、パターン解析が困難だった。

 ジジジ……

 機械能力の足らずを、廣瀬は手計算で補う。が、うまくいかない。ノイズが激しく、通信の基礎しか履修していない廣瀬の手に余った。もちろん坂本や土居にも、それを代わってやれる技術は無い。

「……通じないな」

 舌打ちする。

 何度か試してみたが、嵯峨に連絡をつけようとするも荒れ狂った魔巣窟のマナに遮られ、通信できない。

「仕方ない、自分で見に行くしかないか……」

 廣瀬の呟きに、坂本が悲鳴じみた声をあげた。

「本気ですか!?」

 魔巣窟など、素人が向かえる所ではない。

「当たり前だ。こうなった以上、放置できない問題だろ?皇国軍士官として、看過できるものじゃない」

 苦々しく吐き捨てた。廣瀬だって、こんなもの御免蒙りたい。しかし知ってしまった以上、最悪の事態を回避するために動く義務があった。

「まずは少将に報告して、打てる手は全て打たなければいけない。……正直、気が重いな」

 今回の少将のカミナリが、どれほどの轟きで落ちるのかを思うと気が滅入る。気は進まないが、伝えたくないことまで知らせなければいけないだろう。事後報告にしようと思っていた独断の調査を、少将の耳に入れなくてはいけないのだ。叱責は免れない。

「だが廣瀬、連中がわざわざ『テトラ・グラマ・トン』なんてものを精製しようとしてたとして、その動機は一体何なのかな?誰から褒められるわけでもない。自分たちのキャリアの面からも、メリットは無いだろう」

 土居が気難しく考えるように、腕を組んで眉をしかめた。

「確かにそうだな」

 と言いつつ、廣瀬には心当たりがあった。あまり喜ばしくないものだ。

「坂本、お前なら何か思いつくか?」

 話を振る。

「え?あぁ…えっと…」

 急なことに、どぎまぎしながら考える。今まで調べた情報から、この部屋に集まっていたグループの性格を前提にして、乏しい頭脳を搾り出す。

『テトラ・グラマ・トン』ほどの破壊力を求めた理由…

「クーデター…とかでしょうか…?」

 連中の読みあさっていた本の種類から、坂本は左寄りの集団という印象を受けていた。そいつらが破壊力の大きい兵器を手に入れたなら、皇国相手に反旗を翻すことも有り得るだろう。

「それも考えれるな」

「“も”?」

 土居が聞き咎めた。

「クーデター以外に不測の事態があるのか?」

「土居、お前ならどっちだと思う?行方不明になったうちの一部の同僚たちから、『そいつは皇国純血主義にハマった』と聞いた」

 廣瀬は両手の人差し指だけを立て、ワイパーのように左右へ弧を描く。

「一方で、不明グループが競って読みあさっていた書物は、平等主義や人権主義、移民法に関してのものだった」

「詳しくはわからないから、何とも言えないなぁ。研究熱心なだけじゃないか?」

「熱心すぎて、そいつらは『テトラ・グラマ・トン』なんてものを精製しようとしてる。何に使うつもりだ?」

 その問い掛けに、土居は益々顔をしかめる。

「坂本の言う、クーデターか?…わからないなぁ、ヒントが少なすぎる」

「じゃあもうひとつだ。行方不明になってるのは全員、『皇国純血の男子』だ」

「あぁ、だったら…」

 話は早い、とばかりに土居はあっさり頷いた。

「私は右の過激派説を推すね」

「なぜです?」

 即座に坂本が口を挟む。相変わらず他人の会話の邪魔だが、まぁ今回は合いの手として悪くない。

「右と左の典型的な特徴を知っているかい?」

「?いいえ」

「右は全体主義で左は個人主義だ。右は全体の利益のためには個人の我慢を必要とするし、左は個人の幸福が全体の幸せに通じると思っている。裏を返せば…」

 土居が、丁寧な説明を始めた。廣瀬は部屋の濁ったマナを山本に分析してもらうためにサンプル採取しながら、(あ~あ、また始まった)と苦笑した。

「右は全体に貢献できるのなら、誰かに認められることがなくとも、自らが犠牲になることに甘美な陶酔を得る。一方、一部の特別扱いには激烈な拒絶反応をする。出る杭を叩く典型だな。左は権力者を嫌う。全体の幸せを願う。しかしそれは、一部に利権や特別扱いがあるなら、自分たちもその恩恵を受けさせろ、むしろ社会は自分だけをちやほやしろ、という。個人利益の全体主義というべきかな?」

 ややクドい。

「棘のある言い方ですね」

「一般人には、どちらも迷惑な連中だよ」

 と結んだ土居の肩越しに、

「以上、ゲイの主張でした」

 廣瀬は皮肉じみたジョークを飛ばした。それをまともに相手にはせず、土居は廣瀬に指だけを差し、

「こういう奴を、右寄りの連中は嫌う」

 いつものことだ、とばかりに笑った。

「左、じゃないんですか?」

 坂本が再び納得いかない表情で疑問を口にした。それにも、土居は執拗に説明する。

「私の立場から見たなら、いくら左側の人間でマイノリティでも、同じゲイではなかったら何も抗議しやしないよ。自分の幸福には無関係だからね。言うのは、全体主義を揺るがすのを許せない右の連中の方だ。そして、その傾向は皇国の血統を重んじる連中に多い」

「なんだか自分勝手な人たちだ、と言ってるみたいですね」

「そうでもない。主義の違いなだけだ。どちらにも言い分はあるし、負の面もある。

 ……で、不明の連中は自分の利益になりそうにない違反行為に手を染めたんだろ?」

「自分たちどころか、皇国の利益にすらならない」

 廣瀬が答えた。

 それでも、それだからこそ、土居は皇国純血主義者であることを有力視した。

「だとしたら、どうしてあんな書物ばっかりを選んで読み込んでたんでしょう?」

 さらに坂本が疑問を重ねる。土居や廣瀬の見解には、不確定要素が多すぎやしないか?

「敵、と認識していたなら説明がつく。戦う敵の情報分析をするのは軍人のたしなみだからね」

「『敵を知り、己を知れば』ですか?」

 土居の説明にもまだ納得いけていない坂本に、廣瀬が続けた。

「この連中の動機として当たってるかどうかは確かにわからん。が、『テトラ・グラマ・トン』を手に入れたとしたら、何らかのリアクションを起こすことになる。それがもし皇国に対してのクーデターならば、軍は行動を起こして全力で鎮圧するだろう。実際、スイープ隊がここを処理しているのだから、『テトラ・グラマ・トン』には気づいているはずだ。しかし全軍にはもちろん、ボクたち法務科にもそういう通達は来ていない。つまり、上は連中を除隊なり行方不明なりもっともらしい理由をつけて隠そうとした。軍にとって、皇国にとって不名誉な要因がそこにあるということだ」

「クーデターも十分不名誉だと思いますが?」

「だが鎮圧するのに、秘密裏にする必要はない。例えクーデター軍が『テトラ・グラマ・トン』を装備しているとしてもな。むしろ強く叩くことの方が、皇国としては余計な非難を受けずに済むだろう?それでも軍をあげて内密に処理しようとした。それは奴らの目的が誉められたものじゃないからだ」

「……で、目的とは?」

 坂本の苛ついた声。それに、

「「半島移民の排斥」」

 廣瀬と土居の声が重なった。

「帝国戦争以降増えた皇国と半島政権の交流に、純血主義者たちは一番不快感を示している。去年決まった『移民法』に対しても、不穏な声明を発表したのが純血主義の団体だ。少数派にすぎないから無視されたがな」

 どちらかといえば他民族を見下している、というか自分以外を馬鹿にしている廣瀬が吐き捨てた。しかし坂本でも、その説明だけで十分だった。

「施行されてみると、不備だらけの法案でしたからね。同じ移民申請なのに、半島出身者だけはやけに優遇されてますし」

 特別知識も意見も無い坂本の感想が、現在の皇国民が持つ緩やかな不満だった。表立っての批判は出ていないが、微妙な違和感というか納得いかなさを感じている。

 実際、軍学校に編入する半島出身者も目に見えて増えてきていて、坂本も裁判の手伝いで何人かを担当したことがあるから、おぼろげながらわかっていた。

「その不満を、必要以上に敏感に感じとっているのが皇国純血主義者たちだ。まぁレイシストというより排他的な盲信者が多いが。問題は、その連中がわざわざ『テトラ・グラマ・トン』なんてものを研究して手に入れたとき、目的のためにためらいなく使うだろうってことだ」

 それが、目下の危機だった。そして『テトラ・グラマ・トン』をどこに向けて発射するのか……。

「でももし」

 坂本が最大の疑問を口にした。

「でももし、この変なマナの正体が『テトラ・グラマ・トン』だったとして、作ったものをまだ使わないのはなぜでしょうか?皇国純血主義者なら、あれば使うというのでしょう?でもまだ皇国も半島も平和なままです。例えば『テトラ・グラマ・トン』を使った脅迫要求とかがあるわけでもないですし…」

「その通りだ」

 廣瀬もそれは思う。おそらく、

「マナエネルギーの充填に手間取っているか、失敗したか、使いどころをうかがっているのか…」

 願わくば、『テトラ・グラマ・トン』の最終精製に失敗していて欲しい。だがそれでも、暴走した邪悪なマナによる被害は免れない。最も理想的なのは、連中の理性が思いとどまってくれることだ。

(全く期待はできないけどな…)

「なんにせよ、早く手を打つに越したことはない。第一、すでにボクたちは三週間の遅れをとっている。もはや一刻を争う事態になっていると思っていい」

 採取したマナを山本のラボ送りにし、廣瀬は毅然として言い放った。





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