第12話 転 ー弐ー

「…で、准尉にも手伝わせたいっていうのですか?」

 困ったような表情を作りながら、藤原中尉は可愛らしく首を傾げ、頬に指を当てた。

「いったい何を調べているのですか?それはわたしが抱えている案件より重要なのかなぁ?どうしてもっていうなら、考えないこともないですけれど…?」

 痛いところを突かれても、廣瀬は反論をするのが難しい。少将の命令ではない独断の調査だし、何より事の重大性を漏らしていいものか、判断に迷うところがある。特に、藤原中尉相手では。

「ボクだけの手には余るもんでね」

「あら、大尉からそんな言葉が出るなんてビックリ!何々?興味あるなぁ~、わたしにも教えてくださいませんか?」

 にっこり笑う。が、その笑顔の裏で何か嗅ぎつけたような光が、キラリと瞳を輝かせた。

(まずいな…。この人だけは油断出来ない…)

 屈託無さそうな無邪気さに、鋭い知性を隠している。ぱっと見の印象に惑わされがちだが、この美女の本性を法務科の人間の多くが、既に大なり小なり痛い目を見て知っている。

長く交渉して腹を探られるのは、どう考えても得策じゃなかった。

「いや、単に芦原議長のご意向に沿える対応をするのに、人手が欲しいだけだよ。偉い人の相手は骨が折れるからね」

 藤原中尉に負けじと、廣瀬も満面の笑みを浮かべた。机を挟んで笑顔合戦をする。お互い騙し合い誤魔化し合いだ。

「わかりました。じゃあわたしの方は、土居大尉に手伝ってもらいますから」

 にっこり笑う。

「いや、土居にもこっちを手伝ってもらうつもりなんだ」

「それはさすがに、ずるいんじゃありません?准尉だけじゃなく大尉もそっちだなんて、不公平ですよ」

 プーッとほっぺたをふくらまして、拗ねる様子も可愛らしい。

(化粧ひとつで、年齢をいくつ操るんだ?)

 今日は徹夜明けのせいなのか、スッピンのままの藤原中尉は、いつもの妖艶さとは違うやけに子供っぽい無邪気さで攻めてくる。思わず、廣瀬の心もぐらりと揺れた。

「ねぇ?土居大尉はこちらに譲ってくださらない?」

 頬杖ついて上目使いに廣瀬を覗き込む。ぐっと息を飲み、廣瀬は藤原の視線を振り払うようにして、

「いや、譲れない。こっちを手伝ってもらう」

 なんとか言った。

「あら、大尉はきっと、わたしの方を手伝いたいと思ってるはずですよ?ねぇ、大尉?」

 朗らかに、藤原は廣瀬の後ろに付いてきていた土居へ声をかけた。

「ん?あぁ、まぁ」

 頬を掻いての生返事。

「いや、残念ながらこちらが先だ。土居も、長年の親友のボクを手伝いたがっている」

「ん?あぁ、まぁ」

 廣瀬の主張にも、土居は困った笑いを洩らした。

「いくら大尉の希望でも、納得いきません。それに、土居大尉もわたしと打ち合わせしなきゃいけないこともありますしね」

「こっちも土居は必要だ。細かい仕事をするのに、こいつ以上の適任はいない」

 相変わらずの身勝手な廣瀬の意見に、

「それは大尉だけの都合でしょ?わたしは今回の主任法務官ですよ」

 コロコロと笑う。(この笑顔で全て解決できると思ってるんだろうか?)あぁその通り。普段なら間違いなく、藤原に譲ることだろう。しかも綺麗にリボンのラッピングまで付けて。

 だが今回ばかりは、そうはいかない。

「ボクは先任法務士官だ」

「私は特級大尉だ」

 廣瀬に続いて無意味に階級を張り合った土居を、廣瀬がジロリと恨めしそうに睨みつけ、土居は「なんだ、てっきり階級を言い合ってるのかと思った」と苦笑して肩をすくめた。

「命令、ってことですか?」

 藤原が妙に明るく引き継ぐ。

「そうは言いたくない。頼んでいる」

「じゃあ……、イ・ヤ・です♪」

 今までで一番最高の笑顔を作り、ニッコリ顔を輝かせた。

(こ…この女ぁあっ!)

「待った待った!ふたりとも、争うのはやめろ」

 険悪にヒートアップしていくふたりの間に、あわてて土居が割って入った。

「私を取り合いして喧嘩なんかしないでくれ。ふたりとも仲間じゃないか。優秀な私を必要としてるのはよ~くわかるがね」

 大人が子供を諭すように言う。そして、両手のひらをふたりの前に広げた。

「どうせなら、贈り物で勝負してくれ」

 無言で力一杯、廣瀬がその手のひらをバチンッとはたく。土居はニヤニヤと笑った。

「冗談だよ。好きだろ?こういうの」

 ウインクしてみせる。

(うるせぇよ!)

 廣瀬も友人の機転に苦笑いしか出ない。

「中尉、どうだろう?ここは一度廣瀬に譲っては?私はそんなに時間はかからないと思っている。終わったら、その後3人で中尉を手伝おう」

「3人っていうと、廣瀬大尉もですか?」

「もちろん。いいだろ?」

 コロコロ笑う藤原と対照的に、廣瀬は渋面を作って頷いた。

「よし、交渉成立だ。もしそれで足りなかったら、好きなだけ廣瀬をショッピングの荷物持ちに使ってくれ」





「話しがついた。こっちを手伝ってくれ。めぼしい部屋は見つかったか?」

 交渉成立して早速、今度は廣瀬の方から端末で坂本に連絡をとった。

『よく集まっていたのは、どうも3つくらいですね。士官の個人部屋ばかりです』

 端末画面上で、学園棟の見取り図に数個の印が光った。

「で、今はどれに居るんだ?」

『士官棟4階の一番端です』

 廣瀬たちが今居る学棟の、まるっきり反対側の光が大きくなる。遠いなぁ、と廣瀬は思った。

「なぜそこを選んだ?」

『新しい調度品はそこそこでしたが、ここなら調べてみて、もし何か嫌なマナが出てきても、他の部屋からは離れているので被害が少ないですから。備品倉庫も近いですしね』

「そうか」

 確かにひとつだけ離れた感じだ。

 坂本が目を付けた部屋は龍騎兵隊のエリート少佐の個室だった。兵科の性質上、彼らエリート龍騎兵たちには広い個人室が与えられている。軍隊生活でありながら、プライベートの時間空間も多い。

「良い判断だ。ついでだから、万一に備えて中和マスクも用意しといてくれ」

『もうしてあります。あとは先輩方が来てくださるだけですよ』

「そうか」

 廣瀬は笑みをこぼした。やはり坂本は小才が利く。場の空気が読めないのが不思議なくらいだ。勉強をすれば、いずれ良い法務官になるだろう。

(便利使いされる器用貧乏にもなるかもしれないが)

 それも本人の心掛け次第だ。もう少し、自信を持っていい。

 思いつつ、廣瀬は将来的に坂本が自分にとっての脅威になるなどとは、微塵も考えていなかった。せいぜい“いい法務官”になるだろう。

「…で、お前は何か気づいたことがあるか?」

 端末をたたんでポケットに入れ、廣瀬は土居を見た。

「さぁて、ねぇ?何か気づいてると思うかい?」

 と、土居は渋い顔をする。まるで人生の苦悩を前に拗ねているようだ。

 もっとも、こういう時の土居は答えを持っていたりする。むしろ、言いたくてうずうずしてる場合が多い。

 案の定、「じゃあいいよ」と廣瀬があっさり引くと、みるみる焦った表情になった。やはり、喋りたくて仕方ないらしい。

「暗黒魔法の、歴史だ」

 声がデカい。

「知っているか?最初に発見したのは、神に近付こうと模索した過去の魔術師たちだ」

 喋りだすと、弁舌も軽やかだ。廣瀬は(しまった)と思った。廣瀬にとって、魔術などは道具にすぎない。彼自身、人並み以上の知識を持っていると自負はあるが、あくまでその歴史なんていうものは、テストで点数を取れれば十分というものだった。

 新しい魔法学の始まりがどんな面白い偶然から生まれたものかなんて、どうでもいい。その人物の名前と魔法体系の内容、著した書物の題名さえわかればいいんだ。

 が、歴史マニアは細かい雑学で悦に入る。

「有名なところでは、プルーシアン系の発見がある。ある日、ディースバッハは錬金の材料が足りなくなり、知り合いの魔術師に材料を分けてもらって精製した。このときの色素虫が腐ってたんだな。錬成すると、予定と全く違う物が出来てしまった。失敗作だと思ったディースバッハは、それを廃棄しようと水に溶かした。すると途端に水性に激しい反応を起こし、かなりの高温だったんだろう、その物質は彼の手の皮を灼いた。そうして生まれたのが、水獣類に抜群に効くシアン系物質、プルーシアンだ。いまでもシアン系を得意とする魔術師に『腕』にまつわる異名をつけるのは、この名残だよ」

「ふ~ん」

 としか、廣瀬は返事のしようが無い。学術的に必要なのは、シアン系を汎用性のあるものにまとめた近代の魔術師ウッドワードの方だ。ディースバッハのひととなり、ましてや負傷した手が右か左かを知っていたところで、定期テストで1点にもなりはしない。

 移動する間中、土居は気持ち良く喋りつづける。無理やり手伝わせようとしている立場ながら、廣瀬は思わず怒鳴りつけたくなった。

「そういった試行錯誤の過程で、様々な黒魔術が生まれた」

 土居も廣瀬も、選りすぐりの法務官であるだけに魔術知識は豊富だ。が、

「しかしあの部屋で臭ってきたマナは、どの係属とも違っていたな。現在知られているものとは、別個のものに思える」

 もったいぶった言い方だった。何かを隠して焦らしている、というより、どちらかといえば口にするのを憚っている感じの様子だ。その理由が、廣瀬にもわかっていた。

「やっぱり、その可能性はあるか?」

 先回りして、廣瀬が聞いた。

「あぁ」

 ゆっくりと、土居が頷く。廣瀬は「はあぁぁぁ…」と深く深く、溜め息をついた。

「ボクたちが扱ったことのない種類の係属で、しかもあんな風な邪悪なものといえば、種類は限られてくるわな」

 眉間に深くシワを寄せ、かざした手で眼を覆った。

 ふたりの頭には、

『 神 聖 四 文 字 』

 という言葉が浮かんでいた。

「最悪だな。国際問題になりかねない。もし我々の想像が当たっていれば、ね」

「…国際問題どころじゃない。最悪の場合、国家の存亡に関わるぞ」

 うんざりしたように、廣瀬は大げさなことを吐き捨てた。

「これは大げさじゃない。もし本当に『神聖四文字』を再現しようとしただなんて諸外国に知れたら、皇国の国際的立場は崩壊だ。また世界大戦の戦火に巻き込まれる。しかも今度は、世界中が敵に回るだろう。そんな体力、いまの皇国には無いぞ?」

 荒唐無稽ともいえる廣瀬の予測だが、しかし土居も同じ危機感を持って息を飲んだ。


『 神 聖 四 文 字 』


 テトラ・グラマ・トンと呼ばれるこの巨大なマナ係属は、本来中東地域の国々が深く信仰する神の名前だ。

 いや、正確には“名前”ではない。彼らの神は唯一絶対のものであり、畏れ敬い、姿を見るどころか欠片でもその存在を、人間の目に触れさせることは許されない存在だった。敬虔な信者である中東国家の人々は、その神の名を口にすることも憚って、直接ではなく隠語をもって神を表そうとした。

 『神聖四文字』とは、神の本当の名前の頭文字ではないか、と言われている。“ないか”というのは、長く神聖四文字で神を表していたため、本来の神の名が既に失われてしまったためだ。

 その神聖四文字でさえ、現代の彼らの中では、口にすることを畏れられていた。

 ━━過去、その神を呼び出そうとした大馬鹿者がいた。

 古代から、錬金術は神に近づくことを目的としている。魔術発展のため、という名目はあるが、その一環として、その男は他の宗教を信じる人々への敬意を一切考慮に入れることなく、彼らの神を錬成しようとした。

 欧州の錬金術の歴史上では、珍しい試みではない。皇国でも、古代から八百万の神々に触れる祈祷はあった。

 が、その神への愛が無い大馬鹿者の行為は、数百万の人々を殺した古代世界未曽有の大惨事の上で、神の出来損ない、つまり魔の眷属を大量に生み出しただけの結果に終わった。魔巣窟も魔獣も、その時の産物であり、人間界が地獄の坩堝となった暗黒時代を生み出したきっかけとも言われている。

「つまり魔界と人間界を繋げたのは、過去の偉大な馬鹿野郎のせいってわけだ」

 廣瀬の顔は、いつになく神妙なものだった。

「ほとんどオカルトの類いだな」

 土居が、それでもどこか他人事のように言った。

「でも実際に、消えたっていう彼らが『神聖四文字』を復活させようとしてたと思うかい?」

 軍での研究にするとしては、必要性の無さから理由がわからない。規模が大きすぎて資料を集めるだけでも、学生の手に余るのは明らかだ。国家規模の魔術研究機関で、数年分の国家予算をつぎ込んだなら成功の一端を掴めるかもしれない、というくらいの代物だ。成功した例が無いのだから、それもあくまで研究者の楽観的希望観測にすぎない。

 第一、神を創造するなど、いまさら意味の無い研究じゃないか。

「……いや、無い話じゃないな」

 しかし廣瀬は、沈鬱な表情のまま言葉をつないだ。

「先の大戦で、東欧のある独裁国が、巨大魔砲機に『テトラ・グラマ・トン』と付けたことがあっただろ?連合国側からヒステリックに糾弾されて、連合国の結束を固めることになってしまった」

「あぁ、知ってる。でもあれは、神の名前には似つかわしくない、ただの強力な爆弾だっただけだ」

「そう。あれは威力が大きいだけの無属性の爆弾だ。でも、その地下で、本物の『神聖四文字』が研究されていた、ってのは知ってるか?」

「まさか。それこそがオカルト的噂の範疇だ。そんな荒唐無稽な研究が出来る資金が有ったなら、あの国は大戦で敗戦国なんかにならないだろ?」

「だから、それにつぎ込んでしまったから、疲弊したんだよ」

「はっはっはっ、歴史のifかい?興味深いねぇ」

 土居は子供の話に合わせる大人のような明るさで、からりと笑った。かまわず、廣瀬は“子供の話”を続けた。

「独裁者の側近だった錬金術師がこう言ってる。『我々の最終目的が“神”を降臨させるのではなく、“神”の力を借りる事だとしていたならば、あるいは…』」

「そいつの言った言葉が、神を創ろうとしていた証拠だと?」

「あぁ、そして失敗して悔やんでいる証言だ。そこで出てきたのが、魔砲『テトラ・グラマ・トン』の本来の目的は、降臨した“神”を乗せて飛ばすためのものだったんじゃないか、って話だ。確かに『テトラ・グラマ・トン』の爆散の仕方は、広域を破壊するってよりも遠くまで到達する、という系列に属してる兵器だ」

「まぁ、確かに」

 理論上、帝国の首都近郊まで射程圏内に入っていたはずだ。テトラ・グラマ・トンなんて名前を付けずに戦略兵器として幾つか備えていたならば、勝たないまでも戦況は多少違っていたかもしれない。

 『神聖四文字』とは、そういう存在だった。

「しかし廣瀬、君がそんなオカルト的裏話を知ってるとは意外だな」

 土居が半ばからかうように感心した。歴史好きの土居でさえ、あまり聞いたことのない話だから、余計におかしい。しかもなかなかの説得力がある。

「まぁ…ね」

 廣瀬は言葉を濁した。

(噂の類と思ってやがる。まぁその方が良いんだろうが)

 特殊偵察情報部員時代に、五藤大佐の命令で実地に潜入して得た知識を脳の中にしまい込み、廣瀬は微妙な苦笑いを浮かべた。

(もし完全なる神を降臨させるつもりでなく、ハナから“破滅魔砲”としてのみの効力で精製するつもりだったなら…?)

 心配しすぎ、とも思えない。

(『神の力を借りる』という言葉……破壊力だけに特化して錬成していれば、成功の可能性があったのか…?)

「オカルト的かもしれないが、少なくとも国際法の最も古い条文のひとつに、神聖四文字の再現を禁止する一文があるのも、また事実だ」

 廣瀬は悪い想像を横に置き、現状だけをつぶやいてみた。

「ふむ…」

 今では平時においても戦時においても、神聖四文字を再現しようとする行為は神に対する最大の冒涜として非難されることになる。実際、先の大戦で大量破壊兵器に『テトラ・グラマ・トン』と名付けた国は、それだけで各国から非難の対象とされて袋叩きに遭ったのだ。皇国と違い、その国の民衆は未だ立ち直れていない。

 もし、馬鹿な士官がひとりでも暴走して、テトラ・グラマ・トンを再現しようとしていたなんて噂が洩れれば、皇国も同じ道を歩むことになるだろう。

「で、あの連中の残したマナが、『テトラ・グラマ・トン(神聖四文字)』である可能性は?」

「それをいまから調べるのさ」

 噴水のある中庭を横目に、渡り廊下を通って4階までの長い階段を登った。坂本の待つ竜騎少佐の部屋のノブを回す。



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