第11話 転 ー壱ー

 処理班長室から出て、トイレで用を足す。廣瀬は洗った手を白いハンカチで丹念に拭き、ついでに一昨日応接室から失敬してきた高級葉巻の一本へ、火を着けた。窓の外は、ようやく晴れ間が見え出してきていた。

(やはりこうじゃないとな)

 煙をくゆらすのも、気分が良い。

 と、士官図書室で調べ物をしていた坂本から、端末を通じての連絡が届いた。廣瀬は、(相変わらずタイミングの悪い)と苦笑いしながら、火を着けたばかりの葉巻から灰を落とし、それを懐にねじ込むと「すぐそっちへ向かう」と元来た道を引っ返した。

 士官用図書室は、蔵書の数では、学園に四つある図書室の中で一番だ。昼前だからまだまばらだが、真面目に自習で利用している院生たちの姿がいくつか見える。

 その中を、坂本が少しはしゃぎすぎる感じで、入ってきた廣瀬に向かって手招きをしていた。

「見てください。曹長が借りたっていう本を履歴から調べたら、こんなにダークなものばっかり出てきましたよ。本当に危ない思想に走っていたようです」

 やや興奮気味に、坂本は“発見”した事実をまくし立てた。確かに坂本が言うように、その指で示す端末画面の先には偏った思想の書物名が並んでいた。

 しかし、周りの迷惑まで気が回らないのか、いらぬ感想まで付けてくるのには困った。

「黒魔術でも蘇らせたか?」

 廣瀬はその坂本をからかうように、先回りして言ってやった。こんな場合、話を飛躍させて皮肉っぽく言ってしまうのが、廣瀬の悪い癖だった。単に会話のリズムのつもりなだけなのだが、やられた方は馬鹿にされていると感じるらしく、土居にも嵯峨にもよく嫌がられる。

 が、坂本は意にも介せず、まるで気づいていないのか“発見”でそれどころじゃないのか、興奮したままの早口で続けた。

「で、思ったんです。みんなどんな本を読んでいたのだろう?って。曹長とつるんでいた人物のです。それで貸し出しカードを検索してみると…」

「繋がりはこれか…!」 次ぎの端末画面を見せられた廣瀬も、周りの白い目を忘れて声を上げてしまった。それぞれのグループの連中の名が、あれもこれも呼応するように貸し出しカードに並んでいる。

「ね?マナまで消去していった処理も、ここまでは手がまわっていなかったようです」

 得意気に自慢する坂本。廣瀬も認めざるを得ない。これは、良い仕事だ。坂本の出した画面上に並んだ、一癖も二癖もありそうな書籍の数々。思想的には反政府、反社会ととらえられかねないタイトルばかりだ。一部東欧の独裁者が著した思想書や、犯罪者の心理分析をしたものまであるが、全体で言えるのは、“左翼思想的”書物群だ。

 軍としても研究用として所蔵していたのだろうが、こういうものばかりを好んで読まれるのは歓迎できないだろう。

 即座に、廣瀬は曹長の借りた書物の一冊を手にとり、貸し出しカードに目を通した。そこにも見事なほど、行方不明の士官たちの名前が並んでいたのだ。

 坂本が嬉しそうに続けた。

「曹長が読んでいたこの本の貸し出しカードも、こっちの貸し出しカードも、ほとんど借りた人間の名前が共通してます。議長のリストに載ってる名前が占有している率は、実に80%を超えているんですよ。そして、こっちの連中が読んでたのがこの本で…」

 と、順次端末画面にアップして、色マーカーを付けていく。鮮やかにカラフルで、少し目に痛かった。

「……熱心な読書家ばかりのようだな。まるで仲間内で丹念に回し読みしているようだ。しかし借りているのが“自由”“平等”“差別主義撤廃”に“闘争論”と“古代魔術書”関連か…」

「曹長が傾倒していた思想ですか?」

「同室の奴らの話だと、自由平等とは正反対の皇民純血主義者だったはずだがな。これじゃあまるで反体制派だよ。……まぁどちらにせよ、皇国軍人が特定の思想に盲信するのは良いことじゃないが」

 廣瀬はまた、あれこれと思考を回転させた。

 もう一度、今度はこの思想派でくくって調べてみようか。なにせ他の行方不明者である少佐や軍曹なんかのキャリアの全く違う名前も、図書貸し出しカードに並んであるのだ。まるでこの本たちを読んだ者から行方不明になったかのような、異様なまでの符合っぷりだ。

 これは、すでに話を聞いた生徒たちからも、当てる角度を変えれば新しい証言を引き出せるかもしれない。

 廣瀬自身も、改めて行方不明者の部屋を調べてみる価値があると思った。実際、これだけの人数分の痕跡を、参謀本部付きの一班だけで完璧に消し去るのは困難なはずだ。その作業の労力、時間を考えただけで、廣瀬などはうんざりする。

(取りこぼした何かがあっても、不思議じゃない)

 むしろ完全などが不可能な以上、あってしかるべきだった。

 ただ、この読書家たちの輪の中には、芦原少尉の名前は見当たらなかった。

 集団雲隠れの連中とつながりがあったか、と思いだしていた矢先だけに、多少ひっかかる。もっとも、最初から少尉の身辺調査では、行方不明の一部の男たちと親交があったものの、他の行方不明者たちの中では繋がりが希薄そうではあったが。

(芦原議長のおかげで、自分の把握できていなかった軍内部の流行りを掴めそうだな)

 廣瀬にも、依頼とは別の好奇心が芽生え出していた。

「また一から調べ直すんですかぁ!?」

 坂本が、うんざりしたような落胆の声をあげた。

「おいおい、面倒くさがってばかりじゃ、法務官なんて務まらないぜ?」

「あ、いえ、違いますよ。ただ夕方から藤原中尉に呼ばれていて、こちらのお手伝いができなくなるんです」

「それで?」

「せっかくここまで調べたのに、肝心の真相がわからないままだと気になって気になって…」

 心底、残念そうにいう。二度手間を踏むよりも、さっさと真相に切り込んで欲しいというのだ。

 坂本は、思ったよりせっかちな男のようだった。

「なんだかもやもやが残ってしまいますよ」

「なるほどね。……アハっ、お前、スポーツの試合が録画して後から観れるとわかっていても、先に結果を知りたいってタイプだろ?」

「?……なんですかそれ?えぇ、まぁ…そうですが」

「話にはさっさと結論を言って欲しいタイプ?」

「えぇ、そうです。…何が言いたいんですか?」

「オチを求める?」

「えぇ。だから何なんですか!?」

 坂本は怪訝さ余って不機嫌に答えた。

「結論、お前は女にモテない」

 ニカッと笑った廣瀬に、坂本はさらなる不機嫌さに顔をしかめた。

(大きなお世話だ)

 まったくこの先輩はひとを馬鹿にしている、という不満が、あからさまに坂本の顔に出ていた。本当、いじっておちょくるには丁度いい奴だ。

「しかしお前に手伝ってもらえないとなると、土居に頼むか…。奴は細々した作業も得意だからな」

 ボクは学生寮の上の階から順番に調べているから、土居を呼んできてくれないか?と廣瀬は坂本に頼んだ。みるみるうちに、坂本は明らかに不安そうな顔になった。

「?どうした?」

「いえ、土居大尉と話しするのは、少し苦手で…」

 その表情に、廣瀬はまた笑ってしまった。

「自意識過剰」

 指を差してからかう。

「あいつは理想が高いし選り好みもするから、お前じゃあお眼鏡にかなわねぇよ」

「そうですか」

 それはそれで、不服そうにつぶやく。

 坂本は、実にからかいがいがあった。馬鹿にされてると感じている当人には、楽しくもないだろうが。

「さぁ土居を呼んできてくれ。頼んだぞ。わかったことがあれば教えてやるからさ」

 そう言って、しぶしぶ学科棟に向かう坂本を送り出し、廣瀬はリストの頭から洗い直す作業に取りかかった。

 廣瀬の目算通りであるなら、スイープ隊の仕事の破片が、微かでも残っているはずだった。

(最初らへんは頑張ってきっちりとやってても、人間である以上これだけの数だ、中だるみだってあるだろう。しかも一つの班で無茶なスケジュールの処理をしている。いくら城島の班でも、雑な仕事になってて不思議じゃない)

 事実、図書館の貸し出し本にまで手が回っていなかった━━

 そう考えて、処理順番が最初でもなく最後付近でもないある軍曹の部屋に狙いを定め、机の下に潜ったりベッドの下を覗き込んだりしてマナ反応の痕跡を地道に探しだした。

 天井の隅をなぞり、棚の後ろを覗き、机の下にもぐる。しばらくそうやってうずくまる仕事をしていると、

「どうだい?何か見つかったか?」

 手伝いに来てくれた土居が、開けっ放しのドアへもたれるような姿で言った。

「いいや、まだ何も」

 廣瀬はそちらを見ずに答える。

「まったく、仕事が無いと、学園一の法務官さまはこんなことして遊ぶんだな」

 土居は皮肉めかして笑った。ある程度の事情を坂本から聞いてくれたのだろう、突き出したままひょこひょこ動く廣瀬の尻に、少し呆れた感じだった。

「とりあえずそっちの棚の裏とかから痕跡を探してみてくれないか?」

 と、廣瀬の尻が言う。失礼なのはいつものことだ。

「私だって、暇じゃないんだぞ?」

 言いつつも、土居は親切に言われる通りの作業を手伝い始めた。

「たいしたもんだ、本当に綺麗に消えてるな、何もかもがサッパリ」

 土居は覗き込むなり、第一声で既にわかってることを言った。それが廣瀬たちの苦労してる理由なのだが、(この感覚のズレを説明するのは必要だが、面倒くさいな)と廣瀬は思った。さっきまで手伝ってくれていた坂本とは共有していた問題点だが、また土居に実感としてわからせるため、意志の疎通を微調整させていかなきゃならない。

「担当したのが城島大尉の隊だからな、仕事は確実にしてやがる」

「ほぅ、彼の仕事か?そりゃあ完璧だろう。なるほどね、綺麗にマナが消えてるわけだ」

「あぁ、奴は関係を解消するのも得意だからな」

 やたら嬉しそうに言ってた土居を、また廣瀬の冗談が不愉快にさせた。

「む…っ、私たちは前向きに別れたんだ。それぞれの心の中に、思い出だってちゃんと残っている」

「その代わり、キミの音楽デッキを持っていっただろ?自転車も。キミの部屋からスッカラカンに消えた。あれ、ボクも狙ってたのに」

「……ソファーは残してくれた」

「あんな革の伸びたダルダルのやつなんて、誰が要るもんかよ。あれで寝てると、まるでおじいちゃんに抱かれてる気分になる」

 うへっ、という感じで舌を出した。廣瀬の皮肉は、嫌みとさほど変わらない。が、土居も慣れたものだ。あっさりと切り返した。

「それはロマンスグレイの老紳士か?うん、今晩さっそく、試してみよう」

「……」

(よく友達付き合いしてるなぁ)

 入り口の外に突っ立っていた坂本は、奇妙なことで感心した。法務課に来てから、ずっと不思議で仕方ない。なぜ、廣瀬という先輩が、なんだかんだ言って取り巻きがいるのか理解できない。法務課の他の先輩方は、つくづく寛容な出来た先輩達だと思う。坂本自身は、いまでも廣瀬と居るのは息が詰まるのだ。

「あ…あのぅ…」

 今も、躊躇いがちに声をかけた。

「ボクは、もう行ってもいいですか?」

「?なんだ、まだいたのか。行ってこい。藤原中尉によろしくな」

 むしろ廣瀬が、きょとんとした顔で呆れて言った。

「ん?准尉は藤原中尉のとこに帰るのかい?私も取り引きの件で用事があるんだ」

 土居が、部屋の奥から首だけを伸ばして言う。用事があったからといって、廣瀬のように坂本へついでがてら頼もうというわけではない。

「なんだ、爆発事件は結局、取り引きすることになったのか?」

「いや、ちょっと再調査をしてくれることになってな。あっちもマナが異常でね」

 困り気味に言った。廣瀬にとっては興味の無い案件だが、自分の仮定の正否にはちょっと関心がある。

「被してあった偽装をひっぺ返したのか?」

 へっへっと笑う。が、土居は眉に渋いシワを溜めて首を振った。

「いや、お前が言ったような上書きとかは、残念ながら無かったよ。また一から調査し直しだ」

「今、何て言った?」

「?別にお前の予想が外れたからって、非難しているわけじゃない。気にするなよ」

 土居は憐れむように手をかざし、芝居がかって言った。しかし廣瀬はすぐに、それをつっぱねた。

「そんなことは言ってねぇ!ぐわぁ、なんて間抜けだ!そうだよ!そんな簡単な手があったじゃないか!自分で言っておきながら、なんて間抜けだ!」

 坂本が目を丸くしておどおどする。いったい何事なのか?直接関係ないのに、小心に心臓をバクバクさせた。

「ど、どういうことでしょう?」

 その坂本へ、廣瀬の命令が怒鳴りつけるように落ちた。

「坂本、バッチを貸せ!」

「え?は、はぁ…」

 と、階級章を外し、差し出された廣瀬の手のひらに置く。廣瀬はそのバッチから安全ピンを出すと、「あっ!」と坂本が止める間も無く、部屋の壁紙を縦に裂いた。

「うわぁぁ!何するんですか!」

 慌てる坂本を片手で抑え込み、廣瀬は小さく舌打ちして、また壁紙を掻き切る。小さい針のため、一回では裂ききれない。そのまま何回かジャリッ、ジャリッと引っ掻くと、わずかに切れた紙の端がめくれた。

 その下に、薄いマナの膜が敷かれていた。

「これは…」

「土居、こいつを消したら、何が隠れてると思う?」

 ピンの曲がったバッチを涙目の坂本へ投げ返し、廣瀬は大げさに、土居へ向けてマナの膜をコツコツと叩いた。

「ずいぶんキッチリと貼り付けてあるな」

 爪の先で擦り、土居は喉の奥で唸った。わずかに膜の端が剥がれたところを、人差し指と親指の爪でピンセットのようにしてつまむ。

「いけそうか?」

「まだ…待ってろ…ちょっと…集中……」

 微妙な魔力を指先へ送り、マナの粘着を中和しながらピリリと剥がしていく。そこから、悪意が漏れ出した。

 色でいうなら、黒。それに濁った茶色をマーブル状に混ぜ込んだような、なんともいえぬ不快な意識が、剥がされた膜の裏からドロリとこぼれる。

 それを嗅いでしまった坂本が、たまらず嘔吐した。

 気持ち悪いえずきと悪寒。かろうじて我慢した廣瀬も、鼻と口を手で抑えて目を赤くする。

 眉間にシワを寄せ、鼻をつまんだ土居が、

「こんな濁ったマナ、嗅いだことが無い」

 文字通りに吐き捨てた。普段のスタイリッシュな立ち姿を保てず、ゴホゴホと、涙と鼻水を垂らして咳き込む。

「これ、何だと思う?」

 目元を拭ったハンカチを土居にも差し出しながら、廣瀬が意見を求めた。

「わからない。良くないことだけは、確かだが」

 受け取って、荒れた鼻の粘膜をかみとる。来たばかりで、廣瀬たちの調べている事柄には何の疑問も持っていなかった土居だったが、「これは容易ならない事が起きている」と思わざるを得ない。それくらいに、強烈な悪意だった。廣瀬などは、怒りにも似た苛立ちと共に、ますます疑惑を深めた。

「何なんだ、いったいこの部屋の連中と、司令部が隠したいと考えてることってのは!?」

「とりあえず、他の部屋も調べた方がいいんじゃないか?ここは一度蓋をしておいて」

 涙と鼻水でジュルジュルの顔を歪め、土居は壁紙を抑えながら新品の額縁で封をした。そして澱のように足元へ溜まる悪意のマナを足蹴にして中和しながら、ジバンシーの芳香を満たしていった。廣瀬と坂本が、ようやく息をつく。

「そうか、わざわざ新品の調度品を揃え直したのは、偽装ではなく、被せたマナを固定させる釘の役目だったのか…」

 また自分自身の鈍さに情けなくなりながら、深呼吸した廣瀬は資料を繰った。連中がよく集まっていた部屋、そして新しい調度品が多く揃えられていた部屋…。

 そこに鬼がいるか蛇が出るか、何であっても暴いてやる、と廣瀬は爪を噛んだ。

「坂本、すまないがもう少し手伝ってくれ。中尉にはボクから謝っておく。人手が欲しい」

「は…はい!」

 尋常でない状況の悪化に、嘔吐物を片付けていた坂本も、神妙な顔で頷いた。





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