第10話 承 ー捌ー

 正直な話、藤原中尉にとって二つの案件を同時に抱えることは、さほど負担のかかることではない。しかし協力関係という面において望ましく無い、とも考えていた。

「取り引きをしませんか?」

 いつも通り、藤原の出してくる要求は唐突だ。事務処理のためにペンを走らせていた土居大尉の前に手を突き、覗き込むようにしてニッコリ微笑む。

「取り引き?」

 本来持ちかける側の劣勢な立場にいる土居は、驚きながら手を止めて反問した。大体が、予備審問の段階で取り引きの余地は無い、と突っぱねたのは、彼女の方だったではないか。

「そう、大尉の言うとおり、こないだの爆発事故についてもう一度、調べ直してみます。調査期間延長の同意書類にも、サインしてあげますわ」

「それは助かるが…」

 言葉を飲んだ土居の向かいに座り、肘をつき、細い指を交わした両手の甲へ、美しく尖った顎を乗せる。

(顔が少し近すぎる…)

 土居はやや迷惑に思って、眉をひそめた。

 藤原独特の魅了魔法にかからない彼は、他の男性法務官のように、藤原の微笑みひとつだけでホイホイと簡単に了承したりはしない。冷たく拒否していたはずの藤原の心変わりが、不審でならない。「罠か?」とも思う。対立した法務官同士は、場合によって平気で騙し合いもするからだ。

 それでもこの取り引きは、土居にとってかなりありがたい提案ではあった。廣瀬から貰ったヒントを検証する時間が欲しい。

「見返りは何かな?」

 藤原の意図を探るように尋ねた。要求から、彼女の光が零れる笑顔の下の、その素顔を測ろうとする。

「少し恥ずかしいんだけれど……」

 クスリと微笑む。土居から見ても、キラキラと美しい。

「大尉のお友達を、何人か紹介してくれませんでしょうか?」

「わたしに男を紹介しろっていうのか?」

 素っ頓狂な声を、土居は上げた。仕事とはまるっきり無関係じゃないか。第一、法曹の仕事に対して不謹慎すぎる。

(廣瀬じゃあるまいし…)

 奴の場合、土居に女友達が多いことをいいことに、それをダシにして女性を食事に誘ったりする。「友達の誼だ」とか、都合の良いことを言う。

 結果、いつも迷惑を被るのは、土居の方ばかりだった。

(思い出したら、また腹が立ってきた)

 苦虫を噛む以上に、舌打ちして頬を歪めた。

 だが、いまはそんな事どうでもいい。

「そもそもキミは、言い寄ってくる男なんかに困ってないんじゃないのか?」

「ええ、そうですね」

 土居の皮肉に、藤原は悪びれもなく、あっさりと肯定した。

「でもなかなかと、『独り身で余ってて良い男』ってゆーのが、いないものなんですよね」

 やれやれと、嘆息するように笑う。そんな仕草も魅力的だ。

「あぁ、確かに」

 同じく『独り身で余ってて良い男』が少ないことを嘆いている土居も、共感して苦笑いをこぼした。これだけの規模の兵学校でも、条件に合う相手は貴重だ。笑いながら、土居はふと思い出して、言ってみた。

「それなら、廣瀬なんていいんじゃないか?いま丁度フリーだっていうし、何より手近で知らない仲じゃないし」

 見る間に、今度は藤原が顔を歪めた。

「独り身の、“良い男”がいいの」

 声までが、ヒヤリとするほど冷たくなる。

「……すまない、そこが抜けていた…」

 奴は才能もキャリアも申し分ないが、とても誉められた性格ではない。藤原も同僚だけに、よく知っているんだろう。

(まぁ、似た者同士の同族嫌悪だろうがね)

 土居からすれば、どちらも『嫌な奴』に違いない。

(この女性が、同性の女性陣にも人気があるというのが不思議だ)

 男女双方の視点から藤原を見れる土居には、彼女は要領よく立ち回る八方美人にしか映らない。その上、自分の美貌を最大限に利用する、廣瀬とよく似た“嫌な奴”だ。決っして無邪気で無垢なほんわか娘なんかじゃない。

「そうだ、それじゃあ彼なんかいいんじゃないのかな?」

 名誉挽回に、土居は自前のいい男リスト上位から見繕ってみた。

「ほら、司令部の隠岐参謀官だ。少し年上だが、申し分ない男だぞ」

「ぶー。話にならないですね」

 藤原はあっさりと首を振る。今度は廣瀬のときのような全否定ではなく、明るい含み笑いの入ったものだった。しかし、お気に入りを否定された土居は、少しムッとした。

「なぜだ?彼はハンサムだし……それに、賢くて旅行好きで、ワイルドかつ洗練されたファッションセンスもある、ボディビルの学園代表選手だ」

「……だからぁ…、つまりは“ゲイ”ってことでしょ?」

「……」

 ジトッと頬杖ついて、芝居がかった顔で睨む藤原。土居は斜め上の宙に視線を逸らせ、

「あ~、うん」

 そそくさと、広げていた書類を片付けた。

「……ちょっと用事を思い出した…」

 書類を小脇にかかえ、出て行こうとする。

 その制服の端を、藤原が摘んだ。

「デートに誘う電話をかけに行くんなら、その前に彼の部下の両沢企画参謀補佐の連絡先を、ここに書いて行って下さいね」

 土居が逃げるのを制止し、ひらひらと、メモとペンを揺らしてニッコリ笑う。

「両沢?」

 気持ちの焦る土居が、身体を捻っただけで素っ頓狂な声を裏返した。噂好きなゲイの裏情報では、両沢補佐官の評判は廣瀬とは別のタイプで、芳しくないのだ。

「おいおい、言っちゃあ悪いが、彼はあまり良い人間じゃないぞ?おべっかを使うし付け届けもするから、庶民出身者のわりに上官の受けは良いが、同僚には不当に偉そうにするし、狭量で妬み根性も酷い。とてもキミに紹介してやれるような人間ではないよ」

 思わず忠告する。つまり、彼も土居の趣味には合わない人間なのだ。それなのに、

「うん、知ってる」

 にっこりと、藤原は光を綻ばせて微笑んだ。

「権力に弱くて弱者にはとことん強い。陰険で残忍で嫌らしい目つきでいつも舌なめずりをしてる、典型的な小人物ですよね」

 相手の人間性を完全に無視するような差別的発言を、屈託なく明るく言い放つ。それを見た土居が、怪訝に眉間をしわ寄せた。そこまで知っていて、何故接近しようとするんだ?と不思議でならない。

 そんなことはお構いなしに、藤原はメモに殴り書きされた土居のボーイフレンドの部下である両沢補佐官のIDを、さっさと自分の端末に打ち込んでしまった。

「実にあたし好みの男性ね。お会いするのが楽しみだなぁ」

 光溢れる天使の微笑みが、一体どういう腹積もりでいるのだろうか?土居には全くわからなかった。





 後方支援の処理班といっても、参謀本部付きともなると、良い部屋をあてがってもらえるそうだ。本来の仕事は事故調査の鑑識などが主の、地味ながら軍の運営には重要な仕事であるから、当然だが。

「我々が担当したのはたまたま偶然だろう。他の班だって、別の日には稼働している」

 日を改めての早朝すぐ、重厚なオフィスで廣瀬と対峙した清掃処理班長の城島大尉は、最初から喧嘩腰だった。

「他班の処理したものを集めても、何か共通点があるかもしれないだろ?そんなこと我々が知るわけない。それに、守秘義務もある。処理した部屋については何も話せないさ」

 廣瀬の質問を最後まで聞こうともせず、城島処理班長は拒絶と否定の言葉を並べた。彼にしてみれば、どちらかといえば後方支援の、用がない限り前線の花形兵科たちからはあまり重要視されない清掃処理の仕事に、エリートの法務部がケチをつけてきてるも同然なのだろう。妬みでひねくれてるというより、自分の仕事にプライドを持ってやっているからこそ、よそ者が口を挟んでくるのを不快に思うのだ。

「捜査をしている。協力して欲しいんだが?」

 廣瀬も、(ただの“雑用”科が粋がってやがる)という多少のあざける思いがある。もちろん、表情には出さないが。

「捜査?何の?明確な理由を教えて欲しいもんだな。だいたいちゃんとした捜査なら、ちゃんとした手続きを踏んでから来てくれ」

 城島は頑なに協力を拒んだ。確かに一理ある。事情聴取をするというなら、それなりの手続きはしないといけない。これは廣瀬にとって不利な話だった。

 廣瀬は行方不明の生徒たちの現在に疑問を持ってはいるが、案件として上がってきてるわけではない。軍の警察というべき監察部の人間でもない。つまり、そもそも廣瀬に捜査権というものが無いのだ。

 紹介状も持たずにアポ無しで会いに来た廣瀬を、処理班長が不審がるのも当然だった。

 だからこそ余計に、廣瀬は高圧的に処理班長を問い詰めてしまう。我ながら不味いなとは思うが、捜査の強制力をちらつかせられないだけに仕方ない。

「それはキミたちには必要ないことだ。訊いたことだけに答えてくれればいい」

「こちらも同じだ。お前に話すことは無い」

「では、処理活動した日も秘密なのか?」

 まるで検察官が厳しく尋問するかのような口調で、廣瀬は城島大尉の硬い守りをえぐった。

「マナを調べたら、キミらがいつ作業したのかがわかったよ。近場から仕事をしているな。行方不明や退役になった者たちの時期はバラバラなのに、処理の順番は、キミらの部室のある階の、上から順に整っている」

「……」

 目の前にバサッと広げる、何枚もの書類。それぞれの部屋の、生活痕跡が消された以降の日数を、分かり易く表にしたものだ。廣瀬が坂本と調べて得た証拠に、城島の表情が強張り、ついで強く睨みつけてきた。

「手っ取り早く済ませようと楽をしたのか?それとも、処理清掃を依頼されただけで、生徒たちが居なくなった時期とかまでは知らされなかったのか?」

 それ以上に厳しい眼光で、廣瀬は城島の視線をはねつける。

「……何の権限があって、それを調べている?違法じゃないのか?」

「この部屋なんか、軍をやめる日の3日前に、キミたちに清掃されているぞ?もしかしてこの清掃作業を始めた日には、すでに全ての生徒が、何らかの形で居なくなった後だったんじゃないのか?」

 処理班長の非難を無視し、廣瀬は表を人差し指で叩いて、事実を詳細にたたみかける。

「知らん」

 後手に回らされた城島大尉は、言葉短くなった。

「それは何も知らされていないという意味か?それとも、知っていても言えないってことか?まぁ本当のことを知らされていなければ、箝口令も効かないよなぁ?何を言っちゃダメなのかわからないんだからな」

 挑発するような、小馬鹿にしたような廣瀬の物言い。

「……」

 それにも、城島大尉は沈黙した。憎たらしい廣瀬の暴言に反論はしたいが、どこまで言ってもいいものか、自分の知っていることがどれくらい重要であるのか、計りかねているような複雑な表情だった。

「それは肯定と捉えていいんだな?」

 廣瀬がしつこく確認する。

「知らん」

 苦々しく、城島大尉は吐き捨てた。葛藤したが、最後はやはり守秘義務を貫いた。

 しかし廣瀬には、それだけで十分だった。ぶっちゃけて言えば、処理班長から証言を取るつもりなど、ハナから無い。

 代わりに、坂本と調べて集めた証拠の確実性を得ることが出来た。

(連中がまとめて消えたのは3週間前…。それ以前のもそれ以後のも、全部嘘の記録だ。そこに一体何があるのか…)

 坂本には図書資料室へ行って、軍務記録簿を調べるように言ってある。それらとも突き合わせてあぶり出してやろう。

「何か話したくなったら連絡してくれ」

 名刺を渡したが、おそらく何も話しはしないだろう。代わりに廣瀬は、そこへ軽い盗聴用の調査魔法を仕込んでおいた。もちろん違法だ。しかし、この後に処理班長が誰に連絡をとるのか、この件を誰が仕切っているのか、廣瀬は確認しておく必要があった。

(相手がわかれば、あとはどうとでもなる)

 五藤大佐に仕込まれた偵察員としての技術を、廣瀬は惜しげもなく応用し尽くしていた。





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