第9話 承 ー漆ー
議長のリストによると、その伍長が訓練中に消息を絶って不明になったのは、二週間ちょっと前。母親側になされた説明では、不明発覚直後に行方捜査の部隊が入ったものの、結局は見つからなかったという。そのためか、伍長の所属していた訓練部隊の隊長が自主的に隊長職を辞任して、軍での処分は終了している、らしい。
「その件の、簡単な検証をしている。その時の様子を教えてくれないか?」
廣瀬たちは、適当な嘘をついて話しかけた。
「行方不明?伍長は他の基地に異動になったんですよ?」
伍長の同僚でルームメイトだった一等兵長の青年は、不思議そうに言った。
「あ…あぁ、そうだ。少しその手続きが上手くいってなくてね、書類上だと、伍長が行方不明にされてしまっているんだよ」
軽く笑いながら、とっさに口から出任せを並べる。一等兵長も、あぁそうなのか、と笑った。数千の学生兵を抱えているのだ。書類上のミスだって、極稀にだが起こり得る。
「異動したという基地、それがどこのだかわからないかい?」
和やかな様子で自分の顎を触り、廣瀬は質問を続けた。
(どうかな?と思っていたが、軍内部では問題を表面化させていないようだな。同じ部隊の人間にも知らせていない、か)
それも当然だ。問題のある事実を隠すなら、秘密に出来るところは秘密にしておくに越したことはない。何も知らなければ、何かを訊かれても「知らない」と言うだけで済むのだ。
そうなると、遺族への説明と軍内部での説明が違っているのなら、廣瀬たちは上手く両方に乗る必要があった。どちらかを親切に否定してやったところで、得る物は無いからだ。廣瀬が兵長の話をそのまま受け入れて先を促すと、
「えっと…、どこでしたか?前の隊長がミーティングで言ってましたから。でもそういう資料って、法務科のほうが集まってるんじゃないんですか?」
ごく自然に、一等兵長は言った。演技とかではなく、本当に何も関係なく、知らないようだった。廣瀬と坂本は顔を見合わし、頷いた。
「…じゃあその、異動するって前の、伍長の様子を教えてくれないか?新しい任地についてどうとか、言ったりはしてなかったかい?」
「さぁ?詳しくは…。同室でしたが、あまり親しくはなかったので」
兵長は申し訳なさそうに、ほほを掻いた。それを横で聞く坂本が、細かくメモをとっている。
(あまりあからさまにするなよ。質問されてる方が、無駄に警戒してしまうじゃないか)
書類の手続きと関係なさそうな質問をするんだ。兵長に不審に思われたくない。
少しイラッとしたが、廣瀬はなるべく気にしないように、軽く一等兵長に笑いかけた。和やかな雰囲気を作るのは、どうにも苦手だ。
「というと、伍長は社交的な方じゃなかったのかな?」
「いえ、むしろ友人知人は多かったですよ?よくこの部屋にも集まってましたから。中には院生の方もいて、どういうコネがあるのか、私には不思議なくらいでした」
心底不思議そうに、一等兵長は首を振って言った。彼自身は生真面目なのか、おとなしい感じで、友人もそう多くいそうなタイプではない。社交的だったという伍長の性格を羨ましがるより、自分とは違った、奇妙な種類の人間だと見ていたようだ。
「その友人たちが誰だか、わからないか?」
「どうでしょうか?私はいつも、部屋から追い出されていたので…。顔は知ってても、名前までは一人、二人しか…」
「聞いておきたいな。教えてくれ」
これはメモに取っておけよ、と調子の悪そうなペンをブンブン振って出ないインクと格闘していた坂本に、廣瀬は目も向けず自分のペンを手渡しながら、
「伍長の連絡先なんかを、知っているかもしれないからね」
にこやかに笑う。
「あぁ、そうですね。えっと…確か前に聞いたことがあるのは……アシハラ少尉と、ウエダ曹長だか言う方々ですね」
兵長の挙げたその名前に、廣瀬はピクリと眉を反応させた。どこかで聞いた名前だ。
(考えるまでも無い)
ひとりは既に調べた退役曹長で、もうひとりは確かに、皇国議会の議長の息子の名前だった。
(これはどういうことだ?)
驚きを抑えつつ兵長に如才なく笑いかけながら、腹の中で廣瀬は唸った。リストの名前たちに、無いと思っていた繋がり、友人関係があったというのか?それも、死んだ芦原少尉を含んで。
隣りでは、坂本も目を丸くして息を飲んでいた。が、さすがに不用意なことを、口走りはしない。法務官としての心得が身についてきているようだ。
廣瀬は苦い予感が、口の中で広がっていくのを感じた。
しかし廣瀬も、質問するときにそんなものはおくびにも出さない。腹芸は、嵯峨や土居が呆れるほどに得意なのだ。
廣瀬は個人端末機を素早く操作して、集めていたリスト情報から芦原少尉と上田曹長の顔を浮かび上がらせた。
「それはこの二人かな?覚えているかい?」
「……ええ、この方ですね。一番良く連れ立ってました」
「ほう、仲が良かったんだね?」
意外な関係がわかるもんだ、という驚きを抑え、廣瀬はリストに目を落とした。そして鼻の頭を掻きながら、さり気なく続けた。
「それで、彼らはよく集まっていたのかい?この部屋には」
「そうですね、よそでもちょくちょく集まっていたみたいでした。良くは知りませんが」
「最近集まっていたのは、いつ頃かな?」
「さぁ…?」
兵長は首を傾げて視線を漂わせる。思い出そうとしても、ちょっと難しいようだった。
「私よりも、その方たちに訊いていただいたほうがいいと思います。私は同室というだけで、グループの人間ではありませんでしたから」
もっともな提案だ。廣瀬も出来ればそうしたい。知らないことを適当に想像だけで答えてもらうより、直接当人たちに聞きに行く方が何倍も妥当だろう。
しかし困ったことに、
「それがちょっと難しくてね…。そのふたりとも、もう学園には居ないんだ」
「え、そうなんですか?いや、知りませんでした」
部署の異動は珍しいことではない。兵長も大して不思議に思った様子もなく、それなら自分が思い出さなければ、とまた頭をひねりだしてくれた。有り難くはあるが、あまり期待できそうにない。
「ある程度は顔を知っているといったね?他には、この中にいるかい?」
廣瀬は議長リストの顔写真をいくつか目の前でアップして見せ、ペンで軽く叩いた。まさか、とはまだ思っているが…
「え……と、この人とこの人…だったかな?この人も見たことある気がします」
こういう場合の約束事として、観覧してもらう情報には、目的とは無関係のランダムなものもまぜてある。しかし兵長が「見覚えある」と言った数人の顔は、議長リストの総記載名二十数人からすれば4人程度だが、的確に情報の中から射抜いていた。廣瀬は思わず、苦く顔をしかめて黙りこんだ。
メモをとる手を止めた坂本が、怪訝な目でその後頭部を注視した。彼の位置からは、兵長の指した“顔だけは見知っている生徒”というのが、誰だったかわからないのだ。
が、その法務官ふたりの様子に、兵長も何か気づくことがあったのだろう。
「…って、まさかこの人たちも行方不明ってなっちゃってるんですか?」
アハッと笑って、冗談めかして言った。なかなかと勘の良い青年のようだ。
「書類上はね」
廣瀬も合わせて、ニコニコ笑って言う。内心ギクリとしたが、嘘はついていない。
「部屋を、少し調べさせてもらっていいかな?簡単に済ませるよ」
「ええ、どうぞ」
廣瀬の申し出に、兵長は快く了承した。
部屋に入るなり、坂本がすぐに準備をし、残されているマナの痕跡を調べる。結果はあっさりと出た。
「やっぱりですね」
坂本の報告に、廣瀬も無言で頷いた。
行方不明となっている伍長のマナ痕跡は、無かった。
「やっぱり?」
事情を知らない兵長は、キョトンとした顔で不思議がっている。廣瀬はマナ抽出の検査数値を見つめたまま、その兵長に尋ねた。
「ここ最近、部屋で変わったことは無かったかい?気づいたこととか、不審な気配とか」
「いえ、全く…」
このことには、兵長の勘は働かなかったようだ。マナ消失の時間を調べると、3週間より以前が消えている。それ以降は、兵長ひとりの生活痕跡だけが残っていた。
「?伍長が異動したっていうのは、2週間ほど前だろう?」
背中越しに訊く。
「え?いや、もうちょっと前だったと思います」
「3週間?」
「あぁ、それくらいですね。天気が崩れ出す前でしたから」
“3週間前”……
廣瀬の中で、何かが気になりだしていた。それはまだハッキリしないが、重要な意味を持っていそうでいなさそうで、モヤモヤとした感覚だけが心に残った。
「いや、ありがとう。協力には感謝するよ」
「足で稼いでみるもんですね」
「そりゃあ、調査の常識だからな」
そう言いながら、廣瀬自身も、この成果は予想外に満足いくものだった。
議長から渡された霧のような情報から、おぼろげながら暗中模索の中で、目鼻立ちを認識できるところまできた。
リストに載っていた生徒の同室や同僚に話を聞くと、彼らは単なる異動で別の施設に行ったり、自主的に退役して故郷へ帰ったりしたことになっている。行方不明や消息不明など、議長側が嘆いていたような重大事案は、一切出てこない。訓練中に大きな事故があったとも、言われない。唯一は、死亡した芦原少尉のルームメイトだった樹軍曹から、それらしい話を聞いたくらいだ。まぁこれは当然だが。
そして生徒たちの異動時期が(つまり同僚たちが彼らの姿を見なくなった時期が)、議長リストと軍の人事異動リストでは一ヶ月程度の期間でバラバラだったのに対し、ルームメイトや友人知人たちの証言だと、ほぼ3週間前の3日間に集中しているのだ。加えて、それぞれがいくつかのグループになって連んでいたようだった。
一方では議長の持ってきたリストの信憑性に疑問が残り、一方では居なくなった軍生徒たちの動向に不信感がつきまとう。廣瀬はどちらに重きを置くか、まだ決めかねていた。
そんな廣瀬と坂本の即席コンビは、一ヶ月前に除隊したという、ある兵曹の6人部屋で、新たな手掛かりにたどり着くことになる。
「━━大学に進めそうになかったから、諦めて辞めたんでしょうね。結構過激な思想をしていましたから」
除隊兵曹の隣りのベッドだったという青年が、ヘラヘラと笑いながら言った。
「皇民純血主義ってやつですか?」
「まぁ差別主義者だったんです。だから人権研修とか受けさせられてて、それでも煮え切らなくて」
「最後は変な思想にはまってましたね。せっせと暗黒時代の歴史を調べてましたから。尉官クラスのゼミに質問にも行ってたり。あの熱心さを真面目に訓練だけに向けてれば良かったのに」
続けて、6人部屋の青年たちが口々に答えてくれた。少し馬鹿にしたような感じが滲んでいるが、廣瀬はもちろん、そんなことは無視している。
この兵曹も、同室の兵曹たちとはあまり親しくなく、他の部署の士官や下士官たちとばかりよく出かけていたらしい。
「その士官たちも、同じような思想で集まったグループなのか?」
「さぁ?変な連中だったのは確かみたいですが」
小馬鹿にしたようなひとりの言葉に、部屋の兵曹たちが揃って笑いあった。上官への礼儀に欠ける物言いに、廣瀬よりも坂本の方が不快に顔を歪ませる。
廣瀬ももちろん気に障ったが、わざわざ注意してやる気にはならない。まだ軍隊生活が一年にも満たない連中であるし、必要ならば、直接の上官や教官が糺すだろう。
例えそういう機会が無いまま進級したとしても、最終的にはこの青年たちの出世が叶わなくなくなるだけのことだ。廣瀬にとって、そんなことにはサラサラ興味が無かった。
それよりも、いまは目の前の疑惑解明が気になって仕方ない。
行方不明になった連中が、いったいどういう目的で軍を去ったのか?集まって何を企んでいたのか。何故軍は、それを臭いものに蓋とばかりに隠蔽して、痕跡を消そうとしたのか。
また頭の中でグルグルと仕入れた情報を回転させて整理しながら、廣瀬は自分のオフィスで端末を開いた。
少し怖い顔をしている廣瀬に、流れのままついて来た坂本が、おそるおそるご機嫌伺いをする。
「あのぉ…大尉、言われて調べた事のなんですけど…?」
その声をきっかけに、
「これは、何か嵌められているのか?!いったい何なんだ、こいつらの繋がりは!?」
背中を坂本に向けたままで、廣瀬が苛立ちまぎれに荒れた声をあげた。
同じ皇国の軍人として、何かスキャンダルがあるかもしれないなどと疑いたくはない。確かに問題事は起きるものだが、隠れているそれをわざわざ掘り返して暴こうなんて趣味は、廣瀬には無いのだ。ましてや、一番最初にその情報に触れるなんて、厄介事以外の何物でもない。
廣瀬たち法務官は、何かがどこかで起きてから現場へと乗り込んでいく。自ら問題を作り出すような役目じゃない。君子危うきに近寄らず、だ。
それなのに、軽い気持ちで始めたはずのものが、いまは廣瀬の悪い予感を散々に煽ってくる存在になっていた。
(嫌な予感は良く当たるとは、よく言ったもんだ)
不機嫌な額をペンの尻でコツコツと叩き、溜めていた息を鼻から出す。その廣瀬に合わせて神妙な顔つきになった坂本が、調べた書類を手に答えた。
「全ての部屋が、もう清掃処理されていましたね。何も残ってない状態です」
「状況だけだと、十分怪しすぎるな。まさか議長の言うような、軍に何らかの陰謀があったとまでは思いたくないが…」
椅子を半分回転させて坂本の方を向きつつも、思案するように視線は床に落としたまま、重く曇らせる。腕を組み、ギシリと背もたれに寄りかかった。きな臭さが鼻の奥にたまる。廣瀬はまた、それをまとめて深く吐き出した。
「それなんですが…」
嘆息する廣瀬に、坂本は最も重要なことを告げるため、声のトーンを落として囁いた。その性格的小心さの滲む言葉に、廣瀬は驚き、覚醒したように目を見開いた。
「……部屋の清掃処理をしたのが、全部同じ班だと?」
「下士官から佐官クラスの個室まで、全部です。何チームもあって交代制のはずなのに、こんな偶然って、有り得ますか?」
坂本の問いの答えは決まっている。
「無い」だ。
ちょっとそれを見せてくれ、と、廣瀬は坂本の手から、清掃班の担務表をむしり取る。疑惑を持つのに、十分だった。
ここ一ヶ月、ひとつの班の活動がやけに目立つ。そして、その処理した部屋の元所有者達は、議長リストの名前とほとんど一致していた。
高級士官から下士官まで、本来担当の違う部署までを、その一班が仕事している。
兵長の証言に続く、リストの共通名だ。
「……何か秘密にしたい理由が、あるってことか…」
そう思わざるを得ないほど、それは不自然だった。このメンバーには何かある、しかしその内容がわからない。
あからさますぎる感じもするから、当初予測した集団脱走という線も怪しい。それなら清掃班を複数個に担当させて、集団脱走の印象を薄めるだろう。
むしろ、なるべく秘密にしたいから関わる人間を少数に抑えたかったようだ。
誰が?
もちろん軍学校が。
しかし、それほどにする理由が、廣瀬には未だにわからない。
「芦原少尉も、このどれかのグループのひとりだったんでしょうか?」
名簿にある名前に気づいていた坂本が、それを指差しつつ疑問を口にした。
「まとめて居なくなったってだけで、まだこいつらが何かのグループだったとは判断できない。勝手な判断は良くない」
あくまで廣瀬は、慎重に事を考えようとした。思い込みへの自戒は、まだ生きている。だが、
「しかし、そういう仮定を立てるのも悪くはないはずだな」
坂本の方を向いて呟いた。何かを掴むには、最後には自分を信じて実行するしかない。
廣瀬の同意は坂本の自信になったのか、嬉しそうに口元をはにかませた。
「では、もうこの全員に、つながりがあると考えて問題ないでしょうか?」
「あぁそうだな。あくまで仮定としてだが、そのつもりで調べてみろ。また違ったものが見つかるかもしれない。
……だが今のところ、全員の共通点は“皇国民の男性”って以外は無い。何か別の繋がりを探す必要があるな」
「皇民純血主義、でしょうか?」
「いや、それではこの中の数人を区切るだけにしかなりそうにない」
聞き込みからの印象で、廣瀬は頭を掻いた。だいたいそれだけの理由で、軍を去る必要はないのだ。もう少し他に、これだけの人数が密かに除隊した原因があるはずだった。
「話を訊きに行きますか?」
坂本が、清掃処理班の書類をひらひらさせて言った。
「まぁ、素直に話してくれるとは思えないが…」
処理班に所属している隊員に心当たりのある廣瀬は、その口の固さを思い出して少し苦笑した。
(奴は意固地で融通が利かなかったな…)
どうも廣瀬の同期には、変わった奴が多すぎる。廣瀬自身も含めて、だが。
「まぁ続きは明日だ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます