第6話 承 ー肆ー
「ようこそいらっしゃいました。ご足労いただき、ありがとうございます」
学園正門の大ホールで、廣瀬は公用車を出迎えた。軍士官らしいキビキビとした動作で、黒いドアをお開けする。
「挨拶は結構です。早速本題に入らさせていただけますか?」
シックでビシッとしたスーツ姿の芦原議長は、車を降りるなり即座に言った。胸元を、アクセントのキラキラしたブローチで決めている。中年のやり手キャリアウーマンといった感じだった。眼光が力強く、引き締まった口元は、彼女の頑固そうな性格をよく顕している。
その芦原議長につづいてもう一人、こちらは若い女性が静かに公用車を降りた。
清楚可憐というか、儚い透明感を持った女性だった。
「高嶺、麗華と申します」
と、廣瀬に丁寧すぎるほど、深々と頭を下げる。育ちの良さが見て取れる。それもそのはずだった。
「芦原健吾(少尉)さんの、許婚でございます」
名門高嶺家のご令嬢だという。
(それは厄介な…)
廣瀬も丁重に頭を下げた。ふたりに対し、悲しみを湛えつつお悔やみを口上しながら、廣瀬は内心で舌打ちしていた。
今回の事故について説明をしろと言われているものの、女性に感情的になられるのは苦手だ。それが死亡した少尉のフィアンセとなると、どう慰めたものかわからない。
(いつも通り、適当に煙に捲くかな?)
まともに相手するよりかは、その方が軍にとっても都合が良いだろう。
この面会には、少将からVIP専用来賓室の使用許可をもらっている。
皇国議会の議長さまを招くのだから当然だが、廣瀬自身が入ったこともない部屋なので、正直そちらの方が緊張気味になる。同僚には内緒にしているが、廣瀬はガラス工芸などの骨董趣味があった。皇国軍の最高級応接間の調度品となると、やはり興奮してしまうのだ。
今回の任務の、思わぬ役得だった。
(多少のめんどくささは、この際我慢するか。その価値はあるだろう)
そんなワクワクを秘めつつ、廣瀬はお二人をお連れする。廊下に出るドアを開け、階段を案内した。途中、ちょっとしたウイットをはさんだりするレディファーストを心得た廣瀬は、勅使河原少将の見込み通りに如才無い。高嶺嬢も、柔らかく表情を綻ばせてくれた。ゲイのセンスを持つ土居ほどでなくても、まぁ及第点の応対だろう。
少し距離のある迎賓館までの回廊を、ふたりに飽きさせることなく渡った廣瀬は、来賓室の前で敬礼する坂本に気づいて足を止めた。
少将に言われ、雑務の手伝いをしてくれるらしい。
「藤原中尉の方はいいのか?」
「ある程度の資料は集め終わりましたので、これから中尉が分析される間は、する事がありませんので」
照れくさそうに笑う。坂本自身、自信が無いのだろう。
しかし、法務官の地道な調査は、才能より場数だ。経験値を上げなければ上達は無い。
(遠慮せずに手を出した方が良いんだがな…)と廣瀬などは思う。
それに坂本は、藤原中尉からは書類を集めるだけの役立たずにされているみたいだが、廣瀬が見る限り、ひらめきは悪くない。
(あとはもう少し、空気を読めて馬鹿を演じられれば)
使いどころはありそうなもんだ。
「まぁいい。それならお二人にお茶を出してくれ。きっと高級なのがあるだろう。遠慮無く使ってな」
「はい」
再び敬礼し、坂本は重厚な木の扉を閉めた。
「どうぞお座り下さい」
と、廣瀬は議長と婚約者を室内のソファーに案内する。が、すぐに心は部屋のそこかしこに向かってしまった。
さすが軍学園で一番の応接間だ。掛けられている絵画は、アカデミックな女神像。現在はあまり評価されていないブーグロという画家だが、繊細なタッチは技術の確かさを持ったものだ。この高級感あふれる部屋には、相応しい画風といえた。
分厚い表紙の蔵書を並べた戸棚は、現在は伐採が制限されているマホガニーの木材で、木目が実に美しい。デザインはリートフェルトだろうか?斬新かつ機能的だ。
その上で華麗に咲く花は、一株で民間の平均月収の半分はする。これを、いつ使うかわからないこの部屋に毎日活けているのだろう。きめ細やかな心が行き届いているというよりも、その贅沢さに舌を巻く。
さらに廣瀬は、その花の活けられたガラス瓶に目を奪われた。
鮮やかな青色に、幾何学デザインのカットがされたガラス面。そこに細やかな筆遣いで美しい風景が彩色されていて、手間暇かかった上質な花瓶に仕上がっている。
(見た感じ、ドーム兄弟かな?)
手にとって愛でたい衝動に駆られる。廣瀬の本質は、有能な法務官になるよりも古美術商にでもなりたいのかもしれない。
そんな廣瀬を魅了するガラスのトップブランドの美しさは、差し込んだ外光で更に際立っていた。
こんな曇った天気なのに、不思議と室内はキラキラ明るい。見ると、光を採り込む窓ガラスは、乳白色に輝くラリックだ。まさにマジック。光を最大限利用し、ため息つく柔らかな輝きを生み出している。
ほかの調度品も、“コレ”とは廣瀬でも言い当てられなくとも、妥協の無い手の込んだ造りに高級なものばかりだとわかる。
しかもそれら全てが、うるさくない絶妙なバランスで空間を構成している。デザイナーのセンスの高さが良くわかる部屋だった。
(ここまでくると、ボクの目には毒だな)
いつかは廣瀬も、七宝焼きの小品をひとつは持ちたいと思っている。ぶっちゃけ気の乗らない仕事なんか放り出して、この美しい美術工芸品を存分に楽しみたい。
(もっとも、そういうわけにもいかないが)
振り返ると、芦原議長はソファーの長椅子に浅く腰をかけ、背筋をビシッと伸ばしていた。少尉の婚約者という高嶺嬢も、同じように緊張したおももちでいるから、ゆったりと座るような心理状況ではないのだろう。
そんなふたりを見て、上流階級も楽じゃないんだな、と取り留めない感想を浮かべた。
廣瀬とて、お金持ちには憧れる。かといって、これだけの良き物に囲まれているのに素直に感動する心が鈍るとしたら、それはちょっと遠慮したい。廣瀬はいつまでも、美を楽しむ心の余裕を持っておきたいのだ。
廣瀬が前に座るなり、芦原議長は思い詰めた顔で言葉を吐き出した。
「息子が死んだことで、軍全体を訴えようとしてる私を、あなたも親バカと思うでしょう?」
悲痛な響きを含んでいた。
「でも私は、こうするしか無かったのです」
悲痛さは自虐の笑みに変わり、議長の顔を歪めさせた。
「いえ。親としては当然なことですよ。大切なご子息を失い、平静でいられるひとなんていないのですから」
廣瀬はハンカチを取り出し、そっと芦原議長に手渡した。
「軍としても、出来得る限りの保障と、ご協力をお約束いたします」
これは本心だった。廣瀬も軍属であり、いつどこで死ぬかもわからない覚悟はある。しかし、だからこそ遺され者の悲しみを癒やしてやりたい、という衝動がある。議長だろうが貴族だろうが、それには差が無かった。
そんな廣瀬の心を感じとったのか、芦原議長は目元にハンカチをあてると、真っ直ぐに廣瀬を見つめて言った。
「その言葉に、甘えさせていただけますか?」
真剣な、そして微かに悲しみに震える声だった。
「今回の件は、何も親バカな感情だけで騒いでいるのではないのです。自分の息子の死に不信感を持ってはいますが、実は、軍で不審な行方不明者が幾人もいると、私の方に何件もの訴えがあったのです」
(え?!)
何を言い出すんだこの人は、と廣瀬は怪訝さに眉をしかめた。しかしすぐに、それを沈痛な同情のふりに変えて先を促す。議長の横で、高嶺嬢も肩を震わせていた。
「訴えてきたのは、行方不明とされた生徒の母親たちです。私も息子を亡くしたところだというので、協力を求めてきたのでしょう。話を聞けば、この十日ほどの間に、何の説明もなく連絡だけが来たそうです。中には、軍学校からの紙切れ一枚で、息子の不明通告を済まされたひともいるというのです」
話がとんでもない方向に行きそうだ。芦原少尉の死を慰めるだけでは、議長の要求は終わらないらしい。
「私も悲しみに打ちのめされていましたが、それ以上に、この異常な事態に怒りを覚え、議長としてするべきことを実行しなければいけない、と思って参らせていただきました。……そこで廣瀬大尉、あなたにお願いがあるのです」
嫌な予感は、更に拍車を増した。
「あなたのことは聞いております。とても優秀な法務官だとか。是非、息子や行方不明とされた他の士官たちの消息の原因を、いえ、中にはホントは、もっと重大なことがあったのでは?軍が何かを隠してるんじゃないか?と疑っている親御さんもいます。その真相を、調べて、教えていただきたいのです」
「わたくしも、健吾さんは本当は生きてるんじゃないかって思っています」
大人しく押し黙っていた高嶺嬢も、ついに廣瀬へ感情をぶつけてきた。
「亡くなった、と言われましたが、まだ健吾さんの遺体に会えていないのです。会わせてもらえないのです。事故だから検死があるとか何とか言って、健吾さんを引き取るどころか、面会すら許してもらっていないんです」
軍への不信感は、相当募ってきているようだ。育ちの良さで辛うじて耐えているが、高嶺嬢の語気は非難を含み、相当荒くなっていた。
(これは困ったなぁ)
真相など、廣瀬にはわからない。それを調べるために、今、嵯峨と柳沢が危険を冒して現地に向かっているのだ。
「ご希望に添えるよう、わたくしどもも最大限の努力をいたします。芦原少尉の遺体は…」
事故死とはいえ、検死はしなければいけない。裁判が終わるまでは少なくとも、軍病院の安置所で保管されることになるだろう。その裁判を起こしたのは、目の前のふたりではあるが。
「面会が出来るかどうか、いや、すぐに面会出来るように話を通しておきましょう」
廣瀬はとりあえず、それ位の決裁は約束できる。
「それより、軍の行方不明者という話を、もう少し聞かせていただけませんか?」
どうにも引っかかっていた。廣瀬にも納得いけていない。死亡者や行方不明者の最終除隊手続きは法務官の仕事になる。しかし廣瀬も、他の陸海空軍の法務部でも、芦原議長の言うような人数の書類を処理したなどという話は聞いていない。
“それより”という言葉に、高嶺嬢はわずかな不快感を見せたが、持参した名簿のコピーを廣瀬に示してくれた。
(なるほど…)
確かに多い。
パッと見たところ、二十数名の名前が並んでいた。
それぞれの除隊理由には、一律『訓練中における行方不明』となっており、この一ヶ月あまりでこれだけ大量の人数が軍学校での事故に遭ったというのは、言われる通りに奇妙だ。だいたいが、廣瀬たちの扱う今回の死亡事故自体が、久しぶりの重大案件なはずだ。訓練中の行方不明など、それだけで重大事故なのだが…。
一人、その芦原少尉の欄にだけは、訓練中に行方不明の後に、追加要項として“死亡”と記されていた。
「これで、全員ですか?」
廣瀬が書類に目を落としたままで言った。そんな非礼を咎めるわけでもなく、
「わかっているだけで、それだけです」
芦原議長は声のトーンを落とした。自分の息子の死が、何か不可解な事件に巻き込まれたものではないかと思ったならば、親なら解明したいと思って当然だろう。
反対に廣瀬は、たったこれだけの証拠で「はいそうですか」と動くわけにもいかない。軍には機密が沢山あり、中には偽装の死亡通知を特殊部隊員の家族に送ることもある。もしかしたらこのリストの中にも、諜報活動などに従事している者がいるかもしれない。全部が全部、不審なものとして調査するわけにはいかないだろう。
第一芦原少尉の死は事故によるものだ。これだけは予備審問でもハッキリしている。
その事故に何らかの過失、欠陥があるとしても、それはまた別の話だ。
「わかりました。この件も軍で預かっておきましょう」
廣瀬はコピーをたたみ、内ポケットへしまおうとした。
「そんなに簡単に、隅へやらないでください」
芦原議長は真剣な眼差しで廣瀬を射抜いた。
(若い頃は美人だったんだろうな)と容易に想像できるほど、切れ長で意志の強い眼光は鋭かった。
「大尉、あなたの協力に期待しているのです。もし軍が、私たち母親側の願いを尊重せずに事を済ませようとするのなら」
つまり、相手にしないか握り潰してしまう、というのなら、
「息子の裁判で裁かれるのは、五藤大佐だけでは済まなくなることを理解しておいてくださいね」
脅しをかけられるだけの権力を、議長は確かに持っている。廣瀬の態度次第では、本気で軍の解体縮小まで話を持っていきかねない。
廣瀬は「ふぅ…」とため息をつき、
「……わかりました。最大限努力いたしましょう」
と、議長の視線を真っ正面から受け止めた。安請け合いではない。廣瀬自身も、引っ掛かりを感じだしているのだ。
(なぜ演習も訓練不明者も、ボクたちをまったく通してないんだ?)
正式な手続きが一切取られていない。書類上は非合法、ということだ。つつかれれば泣きどころになるだろう。
何よりこれは、法務科の沽券に関わることでもあった。他の兵科に無視とも取れる敬遠をされて、気分のいいわけがない。
「調べてみましょう。その前に」
チカチカとグリーンの点滅をする端末画面をチラリと見て、廣瀬はふたりを促すように立ち上がった。
「芦原少尉との面会を、先にご案内いたします」
議長として来ていても、やはりそれが一番の気がかりだろう。婚約者だという高嶺嬢にとっても、事故の調査より最優先事項に違いない。芦原議長とともに少し安心し、そして悲しみを湛えさせた口元で、お互いの顔に頷きあっていた。
坂本に言っておいたもてなしのお茶は、まだ来ていなかった。
「はじめまして、沿岸特殊警備隊の川上智少尉です。今回のご案内をさせていただきます」
警備隊員にしては痩せた青年が、柳沢少佐と握手をかわした。頭髪がやや薄く縮れていて、見た目貧相ながらも洒脱な雰囲気がある。屈強な警備隊員には珍しいタイプだろう。
「尉官クラスに手間をとらせて申し訳ない」
「かまいません。大佐からも、最大限お手伝いするように言われていますので」
爽やかに笑う。聞くと、細身に似合わずなかなかのやり手で、沿岸警備隊の中でもエリートのひとりだという。ただ本性は荒いのか、
「だったら隠してることを全部話して欲しいものね」
と、つづいて握手した嵯峨の皮肉に、シニカルな表情を歪ませていた。
「さて、行きましょう。海に落ちてしまわないように、ちゃんとボートのヘリを掴んでいて下さい」
小雨の降る中、川上少尉の操るボートで乗り出した嵯峨たちは、途端に酷くうねる荒波でぐちゃぐちゃと揺らされた。
舳先が跳ね上がり、船体が宙に放り出される。息を飲む間に海面へ叩きつけられると、容赦なく横殴りの暴風雨が襲いくる。川の濁流できりもむ落ち葉のように、小舟は波の荒れ狂うままに翻弄されていた。
その中を川上は巧みにボートを操る。常に波に対して舳先を垂直に当て、この荒れ模様でも水しぶきを砕きつつ、グングンとボートを進めていった。
「じき、岬につきますよ」
余裕の表情で振り返った川上に、
「それはありがたい。けど、僕はそれまで保ちそうにないなぁ」
蒼白な顔で微笑した柳沢は、二度目の胃液を海面へと吐き出した。
「つくづく人間は、陸の生き物だと思い知らされるね」
「そうね」
こちらも強張った表情で目を充血させた嵯峨が、一点を病的に凝視してつぶやいた。少しでも動いたら我慢が利かなくなりそうだ。指の先が、圧迫で白くなるほどに船縁を強く握りしめて、筋肉の硬直で肩を縮こませていた。
(こんなとこ、廣瀬には見せられないな…)
鬼の首でも取ったみたいに、大喜びでこう言うだろう。
『船の揺れに耐えられないなんて情けない!さぁ、ベッドの上で揺れる特訓に付き合ってあげようか!』
その点、川上は憎らしいほど平気な顔だった。
「当日もこの位の波でした。いつも魔巣窟の妖気で荒れ模様ですから、見ての通り、我々にとってはさほどの障害ではありません」
慣れた手順で水の精霊を使役し、巨大な渦を読み切っている。なるほど、沿岸特殊警備隊の高い魔法力、それも専門的なものを見せつけてくれるものだ。嵯峨の疑問のひとつである江口軍曹から聞いた荒れた海も、川上少尉を始めとする警備隊員には、確かに通常のことらしい。
捜査のきっかけにするアテが外れたことも、嵯峨の気分を害しているひとつだった。
「さぁ、この海流に乗れば完璧です」
川上がボートをバウンドさせ、とたんに雷雨の咆哮から皇国帝国双方の無差別爆撃音と波濤が轟音となって、嵯峨たちの頭上に飛び交った。軍学校のエリートであるはずの嵯峨や柳沢でさえ身が竦むほどだ。文字通り、お腹の底から恐怖に響く爆音だった。
「このあたりは風の精霊が乱されています。意志の疎通は、なるべくテレパスを使ってやってください」
そんな川上の忠告も、もちろん聞こえるはずがない。
船酔いと騒音の嵐でヘロヘロになりながら、ようやっと海岸に着いた嵯峨たちは、ぐったりと腰のあたりから折れて砂浜に突っ伏した。
(当分、遊園地はおねだりしないでおこう…)
十年分は絶叫マシーンに乗ったみたいだ。デートコースの選択肢から、頭の中で消去しておく。
気持ち悪さにうっぷと喉を鳴らした嵯峨の脳裏には、憎たらしく笑う廣瀬の顔が映っていた。
「丁度、あの岩あたりから降下し、装備をつけて泳ぎます」
野営のテントを張れる場所を探しながら、川上は手を上げて指差した。
とぐろを巻くどす黒い雲。その重苦しい空気を引き裂いて、不気味な金切り声が反響した。
「魔獣の声です。あれはおそらく、ワイバーン。この辺りならまず大丈夫ですが、もし姿が見えたらすぐに隠れるようにしてください」
襲われれば、さすがの沿岸警備隊員でも敵わない、という。
「まだマナは残ってるかなぁ?残留思念を調べたいのだけど」
嵯峨がいくつもの渦巻きでかき回される海を見ながら、慣れないテレパス方式で川上に尋ねた。実際は必要ないのに、口も一緒に動かしてしまう。
「濃厚すぎるくらいあります。だから逆に、必要以外のノイズが入ってしまうと思いますが」
川上もわざと声を出しながらテレパスを使った。気を使ってくれたのか、馬鹿にされたのか。
「この位置からだと、海で起こった事故は少し小さくなってしまうな」
柳沢が、マナを算出しながらテレパスを飛ばした。口を閉じたまま計算をするから、無表情な能面に声がかぶさってるようで違和感がある。
「とりあえず全体の流れを見れるのなら良いんじゃないですか?細かいとこは…」
嵯峨はクスッと笑った。
「またボートに乗って近くまで見に行けばいいんだし」
「そいつは大変だ!」
柳沢も大袈裟に身震いするふりをして、海の見下ろせる丘の上に投影機を備え付けた。三脚にのせて高さを調整しているそれは、使用者の魔法力を展開してその場の残留マナを映像化する調査器具だ。
「あぁ、言ってくだされば、わたしがやりましたのに」
テントを張り終えた川上が、慌てて手伝いに走ってきた。雑務も全てやるよう言われてきたんだろう。事故当時の映像再現のために、自分の魔法力を展開しようとしていた。
だが嵯峨がそれを遮って言った。
「ごめんなさい。こちらで記録を取っておきたいんで、わたしがやります。それに、他の人に任せて大変な目に遭ったことがあるから」
思い出し笑いで顔を綻ばせる。大変な目、というわりには嫌な思い出ではないらしい。
「そいつは初耳だな。どんなことがあったんだい?」
柔和な表情で、柳沢が婚約者の微笑みを嬉しそうに見ていた。
「ずっと前だけど、廣瀬大尉と事故の共同調査で空港へ行ったとき、彼に残留思念を映してもらったの。そしたら事故状況とは別に、紐みたいなビキニの女性が現れてね、大尉が言うのよ。『大変だ!これは凄い爆弾が仕掛けられていたもんだ!こちらも負けていられない!さぁ対抗して、嵯峨中尉も脱いで!』って」
あっけらかんと話す嵯峨の横で、柳沢は微笑みを凍らしていた。
「水泳教練用の水着まで持ってきて言うんだから、まいっちゃうわ」
「そのビキニの女性っていうのは?」
「もちろん、廣瀬大尉の作った勝手な映像よ。ホント、しょうがない人だから」
初めての事故現場、そして損壊の激しいいくつもの遺体を前に緊張してたあたしに、そんな悪戯を仕掛けるんだから、と苦笑をこぼした嵯峨に、川上も肩をすくめた。
「私たちは映像を改竄なんてしませんが、まぁそういうことでしたらお任せいたします」
「ありがとう」
嵯峨は指で印を組んでマナを練った。そんな嵯峨の肩をこれ見よがしに抱き、
「僕も手伝うよ。さぁ手を添えて。呼吸を合わせよう。ほら1、2、ゆっくり吸って吐いて」
柳沢はお互いの体温を交換するようにほっぺたを付け、川上が呆れるほどふたりの身体を密着させた。嵯峨は嵯峨で、婚約者のあからさまで濃厚なスキンシップに少女のように照れまくり、逆にどぎまぎと集中出来なさそうだった。ここまで積極的なのは珍しく、危険な地帯の場違いさでも、嬉しさは変わらない。
嵯峨は普段より長い準備時間をかけて、丘の上から海に映像を投影した。
まず現れたのは、低空で海上にホバリングする飛空挺だった。沿岸特殊警備隊の穿孔突破挺だ。
そこから順番に、装備を付けた隊員が荒れた海へと着水していく。いわゆる“30フィート、30ノット”の『サーティー』降下訓練だ。
一糸乱れぬ軍隊行動。リズム良く立ち上がる水しぶきが、高練度で訓練されている機敏さを良く表していた。
嵯峨によって海上に展開されているマナの幻影は、モノクロで再現されるだけにむしろ機械的ともいえる順調さで、次々と機能的に上陸していく。嵐の影響など、警備隊員たちには欠片も障害ではなかったようだ。
「当日の訓練は、これで間違いない?」
過去に行われた訓練の再現映像を凝視しながら、嵯峨は川上に確認をとる。
「はい、一番重要な上陸強襲作戦の訓練ですから。しかし、さすが法務科の調査能力は素晴らしいですね。それぞれの隊員の特徴まで鮮明に判る」
嵯峨の魔法力の高さに、川上はしげしげと感嘆していた。嵯峨や柳沢からすれば驚きのサバイバル能力を見せつける警備隊のエリートも、専門外の技術を前に、素直な感動を口にした。確かにこの土地で、安定してマナを操っているだけでもたいしたものだった。
「まぁね。でも何か見つかっても、これだけでは物証が出ない限り証拠にはならないのよ。あくまで目安なんだけどね」
「あぁ、改変されてることもあるから、ですか?」
「そう。いきなり水着の美女がポーズをとったりね」
やがてモノクロの再現映像から、本当に唐突な原因不明の大波が現れ、海面に浮かんでいた数隻のボートを飲み込んだ。
「あ、あれは?」
「あれが少尉が観測に乗っていたボートです」
転覆したボートに他の警備隊員たちが群がり、的確な救助活動が展開される。
「見事なものだな」
映像を分析していた柳沢が、頭をかきつつ口笛を吹いた。まるで混乱という様子が見え無い。
「いえ、一時はパニックでした。大佐の指示で、なんとか立て直したくらいですよ」
川上が恥ずかしそうに言った。
「芦原少尉は、他の隊員を助けようとして溺れた、という証言があるんだけど?」
「私もそう聞いています。ほら、装備を付けていない隊員を海面に引き揚げては、また潜っている。あれが少尉ではありませんか?」
川上が指差した先、小さな兵士たちがうごめく中に、言われる通り行動しているひとりの姿があり、やがて見えなくなった。
「ここからじゃ、顔までは見えないわね」
映像のその場面を繰り返し再生しながら、嵯峨は目を凝らした。転覆したボートの位置は、丘からは遠い。ある程度拡大して見れるにせよ、写真でしか顔を知らない芦原少尉を正確に見分けるのは、少し無理があった。
「ボートで近づこうかしら?」
芦原少尉の痕跡近くで、もう一度再現させてみたい。
「いや、それは……。ちょっと海面が荒れだしてきていますし風も良くない。いまボートを出すのは危険です」
「あら?あなたたちにはそんなに変わらないんじゃないの?」
意外そうに嵯峨が表情を変えた。
「それとも、細かく調べられると不都合でもあるのかしら?」
まるで不正を暴く検察官のような言葉で、川上は戸惑って柳沢の方を見た。柳沢も入れ込みすぎている嵯峨を心配になったのだろう。
「そこまでは必要ないんじゃないかい?川上少尉も、あのボートに芦原少尉が乗っていたと言っているし、証言通りの行動を取っている人物もいるんだ。僕たちが調べるべきは、当日に大佐の過失があったかどうかだろ?」
それには全体を見渡せる丘の上からの方がいいんじゃないか?と、婚約者を優しくたしなめる。
「それも…そうかもしれないですね」
大人の落ち着いた雰囲気を持つ柳沢に、嵯峨は弱い。あっさりと自分の意見を下げて、再現映像を大波の起きたあたりから繰り返し調べ直す。
ザザザ…ッ
一瞬、エッジの利いたノイズが入った。
「何かしら?」と嵯峨が柳沢に話しかけたと同時に、
ズズズーーンッ!
鈍い唸りが、妖気ただようねっとりとした空気を震わせた。
「味方の大砲ですね。結界に阻まれて、少し手前に着弾したんでしょう」
川上が音の方向を探って、事も無げに言った。「たまにあるんですよ」
「それって、危なくない?大丈夫なの?」
「あの半島の付け根あたりの山、わかりますか?あの抉れた巨大な穴は、結界に弾かれてきた砲弾で吹き飛ばされた跡なんです。私たちが訓練している目の前でした」
「魔巣窟の結界を破れなかったというの?」
「はい。魔獣たちも命がけですからね、そういう事もあります。そんなに頻繁にではありませんが」
「それって……」
嵯峨は、神妙に眉を寄せてつぶやいた。
「どこに落ちてくるかはあなたたちに予測はできるのかしら?」
「さぁ?さすがにそこまでは。でも、いくら結界に弾かれるといっても、半島の海岸線までです。ここまでは飛んで来ませんよ」
その危険は無い、と川上は力説した。沿岸特殊警備隊は過酷な訓練をするが、安全はしっかりと確認して行う。余程のことが無ければ事故など起こさない。
しかし、嵯峨は別のことを考えていた。
「もし仮に、砲弾がたまたま海まで弾かれたとしたら、どうなるかしら?」
「かなりの爆発ですから、海がえぐれて渦が出来ると思います。でも、代わりに破壊力は半減するんじゃないでしょうか?海洋性の魔獣には、それ専用の砲弾を用意するくらいですから」
「着水で威力が減ったとしても、海面での爆発は相当なもの…。そこに偶然、訓練中の警備隊がいたとしたら?」
“余程のこと”が起こった可能性があるんじゃないの?
嵯峨の考えていることにしばらくは怪訝な様子だった川上だが、やがて気づいて大笑いした。
「まさか、そんな偶然、考えられませんよ」
「あら、どうして?有り得なくは無い話だと思わない?」
「いくら何でも、ここまでは飛んできません。あれは不幸な事故なだけです。それに、沿岸警備隊は責任を転嫁するつもりはありませんよ」
確固たる自負で、川上は断言した。沿岸特殊警備隊は逃げも隠れもしないし、非難を受けるというのなら甘んじて受ける。
(これも大佐の教育の成果か)
型にハマった考え方は、基本いい加減な廣瀬と相容れなかったわけだ。なんとなく納得する。
「まぁかまわないわ。こちらで調べさせてもらうだけだから」
優しく応え、嵯峨はこの周辺の長期に渡る流れ砲弾の数を調べ始めた。
「……」
川上は沈黙していた。ポジティブに考える嵯峨を見て、つい本音が喉元をついてくる。
「…勝てますか?」
川上が、ボソッと尋ねた。妙に影のある顔をしていた。
「有利には出来るかも、しれないわね」
ニヤリと、嵯峨は笑った。
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