第5話 承 ー参ー

 昼になっても、空はどんより分厚い雲がどす黒く居座っていた。雨は降ったり止んだりだが、晴れてくれる気配は無い。

 早めの昼食を食堂で済ました廣瀬は、法律書をペラペラとめくりながら、レモンを搾った紅茶で気分を落ち着かせていた。

「大尉、ご一緒してもよろしいですか?」

 同じように昼前で休憩に入ったのか、定食を持った坂本准尉が廣瀬の向かいに座った。

「実は大尉に相談事が……」

 申し訳なさそうに切り出してくる。

 廣瀬は法律書を閉じ、肩を揺らしていつもの如くふんぞり返った。

「どうした?藤原中尉の手伝いは大変か?」

「えぇ…それは、まぁ」

 坂本は疲れたような、かすかな笑いを浮かべた。

「いいか坂本、あの手の女性と仲良くなりたいだけなら、ご機嫌を損ねないよう尽くせばいい。しかし対等に渡り合いたいなら」

 廣瀬はズッと身を乗り出し、坂本の前に指を立てた。

「自分の信念を明確に出し、絶対に折れないことだ」

「はぁ…」

 坂本の返事は、実に頼りなかった。絶対に折れない、なんてことは、まだ法務科に来たばかりの坂本准尉には、とてものこと出来そうに無い。

「要は自分に自信を持て、ってことだ。お前も法務科の人間だからな、多少は自信を持つのも悪くない」

 そう言う廣瀬を見て、(あなたは過剰すぎますよね)という顔を、坂本はした。しかし、

「参考にさせてもらいます。でも聞きたいのは、別のことでして」

 胸ポケットからメモを出して言う。

「大尉は五藤大佐と親しいらしいですね?大佐の人となりを、教えていただけないでしょうか?」

「なんだ、ボクに検察側に協力しろというのかい?」

 わざわざ助言してやったものの、坂本は既に、藤原中尉の子分としてあれこれ働かされてしまっているらしい。忠実な使いっ走りらしく、与えられた指示を着実に履行しようとしているようだった。

 廣瀬は苦笑した。

「ボクに聞くより、大佐の今の部下から聞いた方が良くないか?生な声が聞けるだろ?」

「もちろん訊きに行きます。しかし大佐の本当の人となりを訊くには、上下関係のある現在の生徒たちよりも、過去に教わったことのある大尉に訊く方が参考になりますから」

(なるほどね)

 さすが藤原中尉の指示だ。悪くない。

「そうか、じゃあちゃんとメモを取れよ。大佐はな……そうだな、一言で言えば『お山の大将』だ。すぐに部下を怒鳴る。気に食わないことがあれば容赦なく殴る。しかしネチネチとはしない。的確に叱って、そして世話を焼く。

同じ調子で上官も怒鳴りつけてたが、大概は大佐の言ってる方が正しかったから、人によっては『兄貴分』として慕われたりもするタイプだな。ただ、多少独断が過ぎる傾向がある。自分の意向が第一で、気弱な部下だと、何も言えずに指示に従うだけになってしまうな」

「その当時、大尉も指示を待つだけだったんですか?」

「ボクが?はっ!朝から晩まで、お互いに譲らず言い争いしていたよ。意見が合ったことなんて、数えるほどしか無かったな」

 やや懐かしく思い出しながら、廣瀬は乾いたせせら笑いに唇をゆがめた。

「だが、そういう反抗的な部下にも偏見無く評価をしてくれた。彼自身も、上司に物を言う士官だったからね」

「部下から人気があるというのも、分かる気がします」

「あぁ。だけどしょーもない冗談ばっか言って、部下を困らせることも多かったけどな。普段の言動の半分は、差し引いて見ないといけないひとだ」

 そう言った廣瀬を、坂本は意外そうな顔でながめていた。聞き知っていた大佐のイメージとは、少し違っていたらしい。

「いや、たいへん参考になりました。ありがとうございます。感謝ついでにもう一つ頼み事が……中尉!」

 と、話途中で、坂本は廣瀬越しに声をかけた。廣瀬が振り返ると、美しく化粧をした藤原中尉が食堂に入ってきたところだった。

「大尉、わたくしも同席させていただいてよろしいですか?」

 坂本の声に気づいてにっこり笑った藤原中尉は、廣瀬に親愛のハグを、少し意味ありげな強さでギュッとして、その隣りの席に座った。椅子をわざわざ廣瀬に近づけるようにする仕草に、柑橘系の爽やかな香水が香る。

(軍人としては、あまり感心できる趣味ではないが…)

 美しく爪の先まで手入れを行き届かせた藤原を見るのは、廣瀬にとっても悪い気はしない。

「大尉、坂本准尉から話は聞いていただけました?」

「それを今からお願いするところでして」

 藤原の涼やかな声に、坂本が鈍感に答えた。藤原中尉はニコニコと柔らかい笑みを崩さないままだ。が、会話の流れのとっかかりを潰された不快感に、廣瀬から見てもわかるくらいあからさまに坂本を黙殺して、藤原は廣瀬に笑顔をすり寄せてきた。

「廣瀬大尉、少しわたくしたちにご協力してくださいません?」

 廣瀬に好意を持っている、というよりも、何か目的があって接近してきているのは明らかだった。大きな瞳に長い睫をパチパチさせ、妖艶な肉体をしなだれかからせた藤原は完璧な微笑みを作る。

「どうかな?ボクは少将から、この件からは外れるようにと言われているからね」

 そんな藤原に、わざと意地悪を言ってみる。美しすぎる藤原を見ていると、ついいじめたくなるのだ。藤原の美しさには、それを容認する媚びと艶があった。その廣瀬と藤原のリズムを、坂本が再び乱した。

「ですから法務官としてではなく、証人として証言台に立っていただきたいんです」

「ボクにか?!」

 廣瀬は驚いた。この要求は、正直めんどくさい。

「そんな必要無いだろ。事故に関係する人間だけで十分だ」

「大佐の人となりを証明したいのです」

 坂本からメモを毟り取り、藤原はニコニコと微笑む。同僚でなければ、思わず声をかけてしまいたくなる美しさだ。

「証人になるのは困る。あれは気分の良いもんじゃないからな」

 かといって、断れるだけの合理的な理由もない。検察側が事故の真相究明のために召喚してくれば、法的な拘束力も出てきてしまう。

「それが君たちの狙いか…」

 検察側の証人として廣瀬を囲っておくことで、弁護側に有利な証言も抑えることができる。

「大尉の協力が得られれば、鬼に金棒です」

 坂本がまた、空気の読めない言葉を使った。藤原と廣瀬の双方を評価してのことだろうが、まるで相手を殴りつける剛腕に見立てられてるみたいだ。第一、任務とはいえ軍学校の人間が軍学校を責める裁判で、ここまで嬉々としているのはいかがなものか?

 しかもこれでは、“鬼”の位置にいるのは藤原中尉になるではないか。女性が例えられて気分のいいものではない。

(まぁ坂本准尉にとっては、知らぬ間に“鬼”になっていたんだろうけど……)

「弁護側にも、大尉を証人として召喚することを伝えておきます。第一回目の公判は4日後ですから、お迎えにうかがいますね」

 藤原中尉は、廣瀬の予定などを考慮せずに決めてしまう。自分の決めたことはその通りに進むべきだ、と相変わらず疑っていないらしい。

「そうだ、少将が大尉をお呼びでした。お昼を召し上がったあとに、オフィスへ来るように、って」

 藤原がコロコロと笑った。

「わたくしたちもご一緒させていただきます」

 相変わらず、光の粒子がキラキラと舞う神々しい女神の微笑みだった。



「で、すぐにでも現場に行きたいというのかね?」

 勅使河原少将が、かけていた眼鏡を机に置き、腕を組んだ。

「わたしは警備隊員に話を聞くだけで事が足りると思っているが、それでは十分でないのか?」

「はい。普通なら重要な証言を取れるでしょうが、今回は検察どころか、我々弁護側すら拒絶されてる状況ですので」

 休めの姿勢で起立する嵯峨が、生真面目な報告をする。

「君も同じ意見かね、柳沢くん」

「現場を見ておくのは必要かと」

 意見を求められて、柳沢少佐は答えた。婚約者である嵯峨を信頼しているのか、彼女の考えに反対する気は無いらしい。

「あそこがどういう場所か、知っているのかね?」

 少将の懸念はもっともだった。警備隊が事故を起こしたのは一応は皇国の領海内とはいえ、すぐそばに無差別攻撃地帯、つまり古代からの魔獣たちの巣があるのだ。雨のような砲撃で抑えているとはいえ、危険度が高いことには違いない。

 さらにその沼地を挟んだすぐ隣りには、いまだ帝皇戦争の遺恨が残る巨大帝国が広がっている。むやみやたらと、近づくべき場所ではなかった。

「しかし、今回は必要だと考えています」

 単なる思いつきでないのは、嵯峨の表情から見てとれる。嵯峨が軽々しく行動する女性でないことも、少将は理解してはいた。

「失礼します」

 タイミング悪く、というべきか、少将に呼ばれていると聞いた廣瀬がドアをノックした。

「嵯峨?少佐も。おふたりも呼ばれたのですか?」

「いや、別だが。まぁ良い。君の意見も聞かせてくれないか?」

 少将が手首だけで廣瀬を招き入れ、

「わたしが警備隊の事故調査から外れるように言ったんだが、少し手伝いを頼みたい」

「何でしょう?」

 小さく敬礼した後、休めの姿勢で嵯峨の隣りに立った。それを嵯峨がちらりと見て、眉を顰めた。

「嵯峨中尉が、今回の事故の状況を詳しく知るために現場に行きたいと言っているんだが」

「現場に?必要ないでしょう。第一、あそこは危険すぎます」

 廣瀬はアッハと笑って頭から否定した。むしろ、冗談だと思った。

「だから行くのよ!彼らは絶対に、何かを、隠してる」

 そんな廣瀬の感想を嘲りととったのか、嵯峨はいつになく噛みついた。これは、廣瀬にも意外だった。嵯峨が感情剥き出しで文句を言ってくるとは思っていなかったのだ。

 しかもいつもみたいに廣瀬の目を真っ向から見るのではなく、その後ろに付いて来ていた藤原中尉をチラチラと気にしている様子だった。藤原が検察側だといっても、少し意識しすぎているだろう。

「隠してるって、キミは弁護側だぞ?真相究明は仕事じゃない」

「真相がわからない今のままじゃ、弁護なんてしようがないわ」

 嵯峨はますます、語気を荒くした。その剣幕に、藤原が怯えて廣瀬の背に隠れる。それを見て、また嵯峨が睨むように眼つきを鋭くした。

 廣瀬は苦笑いするしかない。藤原への対抗意識の身代わりに、廣瀬が当てつけられているようだった。仕方なしに、廣瀬は諄々と嵯峨を諭した。

「警備隊員たちが信用できないっていうのか?」

 非協力的なのは確かだが、

「今回の件に関しては、ね」

 嵯峨はそれ以上の焦りを感じているらしい。

「で、何か現場に行って目算はあるのか?」

「それは……、これからよ」

 気弱に、声のトーンが落ちた。嵯峨の素直なところだった。逆に、ここで追い討ちをかけてしまうのが、廣瀬の悪いところだった。

「馬鹿な。そんな程度の根拠で行くには、あそこは危険すぎるだろ。もっと確固たる理由を考えてからにするんだな」

 ヘラッと笑う。

「皇国の領海内です。そんなに危険は無いんじゃないですか?」

 見かねたのか、さっきまでおどおどしていた坂本が口を挟んだ。

「お前はどっちの味方だよ」

 あいかわらずの坂本に、廣瀬は苦笑した。余計なタイミングで、言いくるめれそうな所をかき混ぜやがる。まぁそれはともかく、

「百歩譲って行く価値があるとしよう。それにキミが行くってのには、とても賛成できない」

「なぜよ?」

「キミが女だからだ。危険すぎる」

「冗談じゃないわ!知ってはいたけど、あなたってホント嫌な奴ね!!女だから家にこもって守られてろって?侮辱するのもいい加減にして!」

 断言した廣瀬に、嵯峨がまた噛みついた。思わぬ反撃を受け、廣瀬もつい意固地になる。

「侮辱なんてしてない!事実を言ってるだけだ!」

「事実?あなたの単なる思い込みでしょ!女だって、立派な軍人よ!少将、許可をお願いします!」

「認められるわけないだろ!」

「あんたには聞いてない!」

「やめたまえ!ふたりとも!」

 怒鳴りあった廣瀬と嵯峨に、少将の怒声が落ちた。

「少しは冷静になったらどうだね?今回の件は慎重に調べなければならん。弁護側が必要だというのなら仕方ない、特別に認めよう。沿岸に詳しい警備隊員にも、中尉の護衛を依頼しよう」

「そんな無茶な…。それなら代わりにボクが行きます」

 廣瀬が胸を叩いて主張した。

「あなたが行っても信用ならないわ」

「どういう意味だ!?」

「やめろ!この話は以上だ。中尉と柳沢少佐には特別に渡航を認める。ただし、一晩だけだ。延長は認めない。危険を感じたら、……少佐、無理やりにでも戻ってこさせてくれ」

「少将!」

 廣瀬はなおも反対した。無差別攻撃地帯のそばなんていう危険な場所に、嵯峨を送り込むなんてことに賛成できるわけがない。これはあくまで同僚として心配しているのだ。対抗意識などといった、それ以外の感情はない、と廣瀬は思っている。

「大尉、キミには別の用事を頼みたい」

「危険地帯に向かう同僚を、ただ見送るだけより大事な用件ですか?」

 口を歪めて、廣瀬が言った。

「皮肉を言うな。まぁそれと同じくらい、……軍にとっては必要な仕事だ」

「?聞きましょう」

 フーッと息をつき、少将は眼鏡をかけ直してメモを見た。

「午後に、議会の芦原議長が来られる。我々に色々と訊きたいことがあるそうだ」

「つまり、議長のホスト役をしろ、と?」

 それが重要な任務とは…、と廣瀬は呆れて文句も出ない。

「本来ならわたしがお迎えするべきなのだが、この後に軍長官から呼ばれていて外せない。芦原議長からも“現役の法務官”と話をしたいと申し出があったため、キミに頼むことにした。まぁキミなら心配は無いが、失礼の無いようにしてくれ。それと、余計な勘ぐりはされるなよ」

 危険地域に調査に行く同僚を見送って、議長のご機嫌とりをする。

(ホント、たいした任務だ)

 廣瀬はため息しか出なかった。

「了解しました」

 敬礼したが、なおも隣りの嵯峨と柳沢をちらりと見ると、口の中に何か苦い物が広がっていく気分だった。


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