第4話 承 ー弐ー
「ですって」
「あっはっはっ、僕が悪人か!光栄だね」
執務室の机に足を乗せて雑誌を流し読みしていた廣瀬は、嵯峨の呆れ顔に大口を開けて笑った。
「あの大佐、ホントにあなたの恩師なの?なんだかあんまり、好かれていないみたい」
ため息まじりに、嵯峨は素直な感想を言った。彼女が廣瀬の軽薄さに呆れるのは、もはや馴染みの光景になっている。
廣瀬は足を下ろし、嵯峨の方へ椅子を回してふんぞり返った。身体の前で指を組む様は、廣瀬自身が思っている以上に偉そうに映る。
「全部が全部、仲良しこよしな師弟ばかりじゃないよ。ボクたちはむしろ、お互いの主義や能力を相剋しあっている仲だ。しかし相手に対する尊敬の念は、他の誰よりも持っているつもりだよ。大佐は間違いなく、皇国軍で一番の指揮官だ」
「その指揮官が、日常の訓練で部下を死なせたのよ」
「確かに。そしてそのために、軍が窮地に追い込まれている。……勝てそうか?」
と、嵯峨は今までで一番のため息をついた。
「正直、厳しいわ。大佐どころか部下の警備隊員たちまで、まるで箝口令が出てるみたいに重要なことを話さないのよ。あんなに非協力的な依頼人もないわ」
「大佐が口止めしてる?」
「というより、警備隊員としてのプライドが鉄の意志で沈黙を守っているみたい。頭も固いのよ、彼らは」
しかし困ってはいても、そういう軍人としての規律を誇りと思っているのは、彼女自身も廣瀬や沿岸特殊警備隊員たちと同じようだった。
「さすが大佐の部下たち。たいしたものだな」
「おかげでこっちはお手上げ。とっかかりもつかめない状態よ」
嵯峨が掌をひらひらとさせた。
「インタビューはどんな感じだったんだ?見せてみろよ」
コタツの上のミカンを取るように、廣瀬は嵯峨の集めた重要書類へと手を伸ばした。それをサッとかわして、嵯峨はようやく笑った。
「あなた、この件からは外れるようにって、少将から言われたでしょ?」
「別に法廷に立つわけじゃない。行き詰まってる可哀想な同僚に、客観的に見れる立場からアドバイスできるかもしれないだろ?」
頼もしげなふりをする廣瀬を見て、嵯峨もクスリと肩をすぼめた。こういう仕草も、悪くない。
「同情されるほど、困ってはいないから。それに、あまり期待は出来ないでしょうね。まぁ、見るならどうぞ」
言って、嵯峨は廣瀬の前で録画してきた映像ディスクを起動した。隊員へのインタビュー音声が、やや雑音混じりに再生される。
一人目は、隊長補佐の特務曹長だった。
――馬場曹長、当日の様子について、教えていただけますか?
――あまり天気の良い日ではありませんでした。しかし実行できないほどじゃなかった。事故が起きたのは、予測できない不幸な事でした。
――満ち潮に合わさった大浪に襲われたのですね?警報はまったく出ていなかったの?
――出ていました。しかし、警報ではなく雨の予報までです。ちょうど、今日も降り続いてる雨の、最初の日でした。この雨で、急にあれだけのうねりに遭ったのは不運でしかない。中尉もおわかりになると思います。
――確かに、ね。
――天気に牙を剥かれると、我々には避難するしかありませんから。
――ではあくまで、大佐やその指揮系統に責任はないと?
――天気をどうこうできる魔術師なんて、大昔の伝説ですよ。現代の我々にどうにかしろなんて、無茶もいいところです。特に、あんな突発的な嵐には、ね。
二人目のインタビューには、副隊長の千葉少尉が応えていた。
――事故が起きたときの大佐の指示は、どうでしたか?
――見事なものでした。状況を的確に判断し、混乱しそうな部隊を落ち着かせて命令を下した。勇気があり、かといって蛮勇でもなく、そのまま院の教本に採用できる内容でした。
――相当、大佐のことを尊敬しているみたいですね。
――大佐の指揮に入れば、中尉だって惚れますよ。いや、変な意味じゃなくてね。あの人についていれば、無駄死にしなくてすむ。戦場で命をかけられるのは、ああいう人にだけです。
――死亡した少尉は、無駄死にではなかったのかしら?
――違います。…詳しいことは言えませんが、少尉は勇敢で仲間思いでした。決してその死は無駄なんかじゃない。
――仲間思い?少尉は隊員ではなく、今回だけの招待客ではなかったのですか?
――たとえ1日でも、警備隊員になれば警備隊員です。それが沿岸特殊警備隊の伝統なのです。そして芦原少尉は、尊敬を受けるに相応しい隊員でした。
――訓練で死亡した隊員に対して、過大評価だとは思わないのですか?
――思いません。芦原少尉は……いえ、これ以上はやめておきましょう。
「どうしようもないな」
そこで終わったインタビューを止め、廣瀬も思わず苦笑した。嵯峨の苦労がよくわかった。
「そう、どうしようもない。出てくるのは大佐への同情と敬意だけ。そして芦原少尉への、他人行儀な礼讃。ここまで秘密主義でいかれると、弁護士との信頼関係なんて築きようがないわ」
「結局、事故の状況はどんなんだったんだ?」
「海岸での飛空挺からの降下と、上陸作戦の訓練だったみたい。その途中で、索敵任務に当たっていた芦原少尉のボートが高波に襲われた」
「訓練の中止と、救助できなかったことによる職務怠慢か…。隊長職の解任に禁固一年ってとこかな?」
「そして依願除隊。軍事裁判でなら、最悪でもそこまでね。でも今回は議会でも裁かれる恐れがある。そうなると…」
「皇国軍長官からも、来年度の予算を勝ち取るために大佐を厳しく処罰するよう、圧力をかけてきてる。ただでは済まないかもしれないな」
「そうなの?」
初耳だよ、と嵯峨は気の抜けた声を出した。
「予算と真実を追及することは、全く無関係じゃないの?」
「ボクたちにとってはそうだが、政治が絡んでくると甘いことばかりは言ってられないよ。…でもまぁ、法務科は自分のやるべきことを一所懸命やればいいさ」
立ち上がり、嵯峨の肩を軽く叩いて言った。
「それが有罪でも、無罪でもね」
「ええ」
嵯峨はその肩に乗った廣瀬の手にそっと触れ、しかし廣瀬の方は見ずに神妙な顔で頷いた。
「で、これが全員の名簿かい?死亡した芦原少尉以外にも、何人か招待客がいるな」
その嵯峨の前に腕をぬっと出し、廣瀬は「あっ!」と隙を見せた彼女から取り上げたリストに、無断でチェックを入れる。
嵯峨も諦めたように、椅子へもたれかかった。
「彼らからはまだよ。大佐の指揮下にないから、別々で話を訊きにいかないと。でも数日だけの関係だから、役に立つ証言は期待できないのよね」
「大変だな、全員に当たるのは。スナイパーもいれば空挺隊もいる。救護班に兵屯科までだ」
廣瀬はチェックの入れ終わったリストを、嵯峨にも見せて言った。
「人数はひとりかふたりずつだけど、兵科だけ見るとすぐにでも戦争できそうなメンバーね」
言われて、嵯峨も感心した。全ての兵科から選抜されてるわけでは無いが、最低限、軍隊を運営するのに必要な才能が集められている。しかもそれぞれが優績者揃いだ。
廣瀬が端末を開き、公開されている学内成績を検索した。驚くほど、エキスパートたちが選ばれているのだ。
「警備隊員の訓練に呼ばれるくらいだから、無能であるはずは無いんだが…」
と、キーボードを操る廣瀬の手が止まった。
「これ、本当か…?」
画面には、死亡した芦原少尉の履歴も映っていた。成績欄には5から10、大きくても20までの数字が並んでいた。
「あら、凄く優秀」
廣瀬の肩越しに覗き込んだ嵯峨も、素直に感心した。飛び抜けて高い能力が示されているわけではないが、全ての項目で学園内20位までを叩き出していたのだ。
「それだけじゃないぞ」
カーソルを移動させ、廣瀬はいくつかの数字を抜き出した。
「魔法持久力も瞬発力も、どう考えても相反する抗魔法力までもが学内トップクラスだ。身体能力も学力も、警備隊員の訓練に呼ばれても当然、むしろ軍のホープといっていい数値だ」
「良家の坊ちゃんだから、基本能力が高いのかしら?成績順位なんて、改竄も出来るわけないんだし」
「生まれつきでも凄すぎる。おそらく相当努力しないと、こんな好成績は残せない。潜在的にどれだけ力を秘めてようが、その才能だけで全部をまかなおうなんて馬鹿は、ここでは評価されないからな」
「確かに、大学の佐官クラスと比べても見劣りしないわね。それぞれのエキスパートはともかく、総合力は一番か…」
「所属は後方の索敵情報部なのに、だ。努力家だったんだな。それも極度の」
「演習には、そんな各部署の新鋭が集められた」
ひとつの兵科を除いて。
「これで演習するんなら、相当大規模な訓練ができるだろね。そんな話、こちらには連絡が来ていないが」
「それって……」
統一軍事法典に則って、最終的な交戦の許可を判断する法務科が外されているのだ。演習とはいえ、ここまで集めていながら連絡が無かったというのは、
「調べてみる価値は、あるってことさ」
ニヤリと笑った廣瀬に、嵯峨もコクリと頷いた。
「江口軍曹、スナイパー部隊から沿岸警備隊の訓練に参加したのは、あなただけですか?」
翌日の朝に、早くも嵯峨は仕事を始めていた。
「そうです。一番優秀な生徒を少数精鋭で集めたいということでしたので、わたしが呼ばれました」
「確かに、射撃の技能は相当なもののようですね。他から招待された生徒も、同じように首席が集められたのですか?」
「わたしは部外者なので正確なことは…。しかし、絶対ではなかったようです。一緒に演習を受けた通信技師の曹長は、『自分は次席だ』と言ってました。首席の生徒が何かの理由で辞退したそうです。口が軽くて外されたのかも」
軍曹は軽口を叩いて笑った。
「演習の場所は半島側の海峡でしたね。事故のとき、何か気づいたことはありますか?」
「そうですね、海峡…。残念ですが、わたしは事故のとき、少尉の方は見ていなかったので。後から話を聞きましたが、少尉は誰かを助けようとして死亡したそうです」
「それは、正規の警備隊員を、ですか?」
「さぁ?そこまでは…」
「半島側の海峡だと、帝国との無差別攻撃地帯に近かったわけですよね?それについて危険は感じませんでしたか?」
「そりゃ、怖かったですよ。あそこを任地にしてる沿岸警備隊員たちとは違って、慣れていませんから。わたしは魔族どころか、魔獣にすら遭ったことがありません。無差別攻撃地帯の魔獣巣を砲撃してるっていう両国の爆撃音も、今回初めて聞いたくらいですから」
「芦原少尉も初めてだったのかしら?」
「さぁ?少尉とはあまり話をしなかったので。しかし貴族出の彼が、以前にもあそこへ近づいたことがあるとは思えません。初めてだったと思います」
「その海域で、何か見たものはありませんか?帝国海軍の船とか、それこそ魔獣とか?」
「いえ。天気は荒れていましたし、船は出れないでしょう」
「荒れていた?警備隊は訓練を行ったのに?」
「まぁ沿岸特殊警備隊ですから、私たちより過酷な訓練をしていてても、不思議ではありませんよ」
「訓練内容に問題は感じませんでしたか?」
「特には。合理的でしたし、五藤大佐は噂に違わぬ方でしたし、充実したものでした」
「事故の責任は不当かしら?」
「部外者ですから言う権利があるかはわかりませんが、わたしはあの事故に処罰に値する過失があるとは思えません。全員が自分の出来る仕事をした。賞賛すべきチームだったと思います」
「ありがとう、参考になりました」
「いえ。ご協力できて光栄です」
嵯峨と握手をし、江口軍曹は規律良く退席した。
(結局、たいした収穫は無し…か)
嵯峨はそれを見送り、カリッと爪を噛んだ。
(何か口裏を合わせているのだけは確かみたいね。これだけ意見や説明が似通ってるなんて、普通有り得ないし。それでも警備隊員以外から見れば、荒れた天気だったのは確かみたい。馬場軍曹が笑ったほどには楽観できなかった……どちらにしても、一度はあたし自身の目で現場を見ておくべきね)
事故の取っ掛かりを見つけるため、嵯峨は虎穴に入るしかないかな?と思った。
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