第3話 承 ー壱ー

 外は、じめじめとした雨が降り続いていた。

「何日目だよ、ったく…」

 気圧が低いと、頭痛がして気分が乗らない。

 だけではなく、食堂の机の向こう側で仲睦まじくしている嵯峨と柳沢少佐を見ていると、なんとなくだが腹が立つのだ。

「柳沢少佐は相変わらず好い男だな。賢くて洗練されていて、ウイットがある」

 感心したように土居が言った。

「嵯峨中尉にはお似合いの男性だ」

「自慢の“ゲイダー”が反応したのか?」

「……」

 不機嫌な廣瀬は、土居を皮肉って憂さ晴らしする。それにしても、

「柳沢少佐は、どうも好きになれない」

「どこが?」

「賢くて洗練されてて、ウイットがある」

「あっはっはっ、天下の廣瀬文武大尉が、珍しく嫉妬しているのか?」

 今度は土居が、廣瀬をからかう。友人だからこその呼吸だ。

「嫉妬?何に?ただちょっと、仲良さげにしてるのを見てると癪に障るだけだ」

「ま、そういうことにしとこう」

 何が楽しいのか、ニヤニヤと笑っていやがる。

「で、例の彼女とはどうなったんだ?」

 土居が、手を摺り合わせながら訊いてきた。土居をはじめとするゲイの連中は、ゲイ術関係の仕事をしてるのが多いだけに流行に敏感で、掛け値なく噂好きだ。

「例の?あぁ、振られちまったよ」

 既に興味の失せたような廣瀬と、ゲイ特有の好奇心を隠そうとしない土居が、あうんの呼吸で掛け合いをする。

「今度はどう言ったんだ?」

「マフィアの殺人事件で証言したから、証人保護プログラムで…」

 めんどくさそうに、廣瀬は付き合わせの萎びたサラダを口に運んだ。

「身を隠すから、もう会えなくなるって言ったのか?こないだは宇宙軍の飛行士として木星に、その前は10年間の遠洋漁業に行くって言ってたな。そのうちに刺されるぞ」

 冗談まじりに、土居が笑う。

「だから、振られたのはボクの方だっての」

「そして悲しいふりをして、新たな女性の母性本能を騙すつもりか?」

「哀愁のある男に、女は弱い」

 斜に構えて言ってはみるが、

「それはゲイの男のやり口だ」

 やかましいほどに、土居が笑顔を明るくした。

「うるさいな。で、これからどうするんだ?」

「もう一度、現場を見ることにするよ」

 切り替えは早い。廣瀬の指摘を素直に受け止め、検証し直すつもりだ。土居はすでに書類を整え、ファイルカバーに綴じていた。

「僕たちは、五藤大佐の部隊から話を聴いてくることにしよう」

 その廣瀬と土居に、嵯峨の肩を抱きつついつの間にか近づいてきていた柳沢少佐が、落ち着きのある低音の声で言ってきた。

「相手が藤原中尉だと、手は抜けないからね」

 爽やかに笑ったその顔が、なぜか廣瀬の鼻につくのだ。

(だが、優秀なのはボクの方だ)

 階級も年齢も上の男だが、廣瀬自身不思議なことながら、柳沢少佐を嫌悪の対象として見てしまっている。むしろ、近親憎悪にも似た感情かもしれない。

 あの薄っぺらい笑顔の仮面の下が、胡散臭いのだ。

 ふんっ、とそっぽを向いた廣瀬と違い、土居は持ち前の社交性の豊かさで笑いかけ、

「坂本は?」

 と、辺りを見回していた。

 そういえば見かけないな?と土居の問いに合わせて、廣瀬も食堂の入り口から厨房に目をやる。一緒に食事をしていたはずの藤原中尉も、すでに食事を終えていなくなっていた。彼女の場合は、おそらく、掛け持ちしているサークルのどれかに顔を出しに行ったのだろうが。

「中尉に言われて、資料集めに走ってったわ」

 可哀想に、という顔を、嵯峨はして見せた。藤原中尉の、あの光が零れるような笑顔でニコニコと微笑まれたのだ。女性に対してあまり免疫の無い坂本准尉では、それだけで、この先ずっと馬車馬の如くこき使われてしまうことだろう。

 美人で独特な雰囲気を持つ藤原中尉には、挫折知らずのそういう酷薄さがあるんだ、と皆で思っていた。併せて、坂本への同情も、同じように共有していた。

 おそらく彼女は、過去に何度も周りを困惑させることをやってきたことだろう。そのたびに、“神が造形した”ような天使の微笑みひとつで、すべて許されてきたに違いない。

 本人の振る舞いを見るに、他人の悪意に曝されることのなかった無垢な生い立ゆえの悪気の無さや、結果「優遇されている」自覚が無いための木で鼻をくくったようなところが、わりと厄介な存在ではあった。

「となると、いまのところ法務科で用無しなのは、ボクだけか」

 思わず廣瀬は自嘲した。本来あるはずの、抱えてる案件をすべて片付けた時の清々しさというものが、今回ばかりはどうにも感じられないでいる。

 学園どころか皇国軍全体を巻き込みそうな厄介事を目の前にして、その事件の関係者と近しいために指をくわえて見ていないといけない。廣瀬の性格では、どうにも落ち着かないのだ。ひとが細々と働いているときに、それをのんびりと眺めていられるほど、廣瀬は鷹揚な性格ではない。

 しかし少将から、この件の捜査には手を出すなと言われてる以上、廣瀬に現場へ乗り込んでいく権限は無かった。

(仕方ない、午後の講義でも聴きに行ってみるか…)

 必須科目の取り損ねはもう残っていないが、応用科目で多少は役に立つものもあるだろう。それに、まぁそのうち新しい案件が入った連絡が来るだろう、とも思う。法務科は、そうそう暇の続くところではないのだ。

 その時は、別に派手な裁判でなくてもいいが、やり応えのある案件であって欲しいものだ。廣瀬は無責任にそんな事を考えながら、同僚たちとわかれて食器を片付け、雨降る中庭の掲示板までをのたりくたりと歩いていった。

 自らのマナで頭上に展開した魔法力の傘は、廣瀬の身体をすっぽりと包むほどに力強く、大きかった。






「失礼します」

 ノックのあと一礼して、嵯峨と柳沢はオフィスへと招き入れられた。

「あぁ、君達か。座ってくれたまえ」

 廣瀬の恩師だという、沿岸特殊警備隊長の五藤大佐が待っていてくれていた。なかなかの精悍さと醸し出すオーラに、嵯峨と柳沢でも少し戸惑う。

 しかし、やはり廣瀬の恩師というだけはある。

「大佐、先日のことについて話し合いにきました」

「あぁ、あの一晩の甘い思い出を語り合いたいんだね?大歓迎だ。それには上質のワインが要るな。取って来よう」

 手を大袈裟に広げて歓迎するふりをする五藤大佐に、書類を出そうとしていた嵯峨の手が止まった。

「……夜の話などしていません。4日の演習での事故のことについてです」

 コホンッと咳払いして、五藤大佐の冗談を辛抱強く受け流す。しかし、やはり呆れてしまう。

(あの弟子にして、この師ありね…)

 廣瀬同様、馴れるまでは付き合うのしんどそうだな、と嵯峨は思った。

「当日行っていた訓練内容についてお教えいただきたいのですが」

「何だ、君たちは弁護士か?」

 キョトンとした顔で、五藤は言う。クイッと上がった眉毛といっしょに、プロペラのような髭も跳ねておかしみが増した。

「そのつもりで、いますが?」

 冗談には付き合っていられない嵯峨は、怪訝そうに伺う。

 それを見た五藤大佐は、実に愉快そうに体を揺すって、

「てっきり世界トレンディー髭選考会が、極秘にこの私へ特別会員の認定書を送ってきた使者なのかと思っていたよ」

 わっはっはっと笑い飛ばした。

 もっとも大佐自身さほど面白くないと自覚しているのか、無言で生真面目に座るふたりを前に、肩をすくめて素直に腰を下ろした。

「訓練内容は普段通りのものだ」

「しかし、かなり過酷な内容のようですね」

 真面目な顔つきの柳沢が、非難の色を込めて言う。手元の資料には、警備隊の通常スケジュールと場所が記載されている。半島湾の内陸といえば、皇国と帝国による無差別砲撃地帯のすぐそばだ。

「我々は沿岸特殊警備隊(SCT)だ。自然と訓練のレベルはあがる。だが、万全は期している。あれは不幸な事故だった」

 そんな若い将校の真っ直ぐな正義感を、大佐は好ましく受け取っているようだった。

「予測は出来なかった、と?」

「そうだ。いや、むしろそういう事も想定内だった、と言った方がいいかな?なにせ我々は、沿岸特殊警備隊、だからね。ただ不幸にも、万が一、億が一の事態が、今回、芦原少尉だっただけだ」

「それはずいぶんと無責任な言い草に聴こえますね。事故のあった日、どのような状況だったのかを詳しくお話しいただけますか?」

 柳沢の当然の質問は、

「それは出来ない。軍の機密にも関わってくることだからな」

 大佐は首を振って拒否してしまった。

「しかしそれでは、大佐の立場が不利になりますよ?ご協力いただかないことには、弁護のしようがありませんし」

 嵯峨は心配になった。過去にも、こういった対応をする士官はいた。嵯峨の経験上、その多くが全ての責任を独りで背負いこんで、軍を去っていったのだ。

「例えそうでも、軍の機密に関することを、自分一個の保身のためにペラペラと喋るわけにはいかんだろう」

 こういう軍人を見るのはツラいな、と嵯峨は思った。大佐の笑顔を絶やさない物腰も、そう思うと悲しくなる。

「機密機密とおっしゃいますが、つまり余程のことが事故当日に起きたということですか?」

 たまらずに柳沢が大佐を問い詰めた。まるで検察官の尋問のようだった。

「悪いがノーコメントだ。……ただ、御子息を亡くされた芦原議長には同情する。

 ――いや、議長だからというわけではなく、同じ子を持つ親としてね。私個人は何ら恥じるところは無いが、非難は甘んじて受けよう」

「つまり、裁判で戦わないおつもりですか?」

 思わず、嵯峨も言ってしまった。が、五藤大佐は目元に優しいシワを作り、

「私が戦わなくとも、これは軍の問題になる。それは君たちの仕事じゃないのかい?」

「ですから、大佐の協力を必要としているのです」

「協力はする。だが、それは私に証言できる範囲までだ」

 キッパリと、五藤は線を引いた。

(被告人はアンタだろ…)

 と呆れたが、これ以上はあまり収穫は無さそうだな、とも嵯峨は思うのだ。こういう人には、時間をかけて粘る方法は正解じゃない。粘れば粘るほど、意固地になる。

 廣瀬と打ち解けた時のように、何かすっきりするきっかけがあればいいのだけれど…。

 嵯峨は柳沢の腕をひき、部屋を辞す挨拶を交わした。最後に、

「……当日、大佐の指揮下に入っていた生徒からも証言を聞きたいのですが?」

「それなら講堂に集まるよう、連絡しておこう。まだ勤務があるから…ヒトキュウマルマル(19:00)で良いかね?」

「お願いします」

 頭を下げる。

「必要ないかも知れんが、当日の名簿だ。……あ、それと」

 秘書に嵯峨と柳沢の帰りを見送るよう伝えながら、五藤大佐は思い出したように呼び止めた。

「君たちは法務科だったな?ヒロセ、という男を、知っているかな?」

「ええ、まぁ」

「彼は優秀な隊員だった。潜在能力は人並みだが、力を発揮する術を心得ていた。ずば抜けて頭も切れたしね。私が指導した中でも、屈指の生徒だったよ」

 語るというより、独白するように目を細めている。

「そして、悪人だ」

 ニヤリと笑った。

「奴だけは、敵にまわさんようにな」


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