第2話 起

「古い手を使ったわね」

 法廷から退室するなり、嵯峨がチクリと皮肉を刺してきた。

「陪審員に、自分が同じ立場だったらどうするか、なんて思わすなんて」

「まぁね。だが、あれが一番効く」

 得意気に笑う。勝ちに等しい痛み分けの手応えは、格別に心地良い。

「キミの顔にも“負けた”って書いてあったぜ」

 これで3‐2と、これ見よがしに嵯峨の前で指を立てた。勝ち気が勝ってへの字口で悔しがる嵯峨は、しかし、なかなかと可愛い表情になる。

(この顔を見れるのは、勝ったときの役得だな)

 わざわざ本人に教えたりはしないが、廣瀬にとって、嵯峨と法廷対立するときの楽しみのひとつだった。高いレベルで争える、という表向きの理由も、ありはするが。

「大尉、ありがとうございました」

 気分良く嵯峨を見つめていた廣瀬に、後ろから石田兵曹の声が水を差した。法廷から息せき切って追いかけてきたのか、おべっかして追従するイヤらしいはにかみを見せながら、握手の手を伸ばしてくる。

「おめでとう」

 それを力強く握り返して、廣瀬は言う。

「だが、刑罰は科せられなかったとはいえ、有罪判決は記録に残る。キャリアを考えると苦しくなるが、頑張れよ」

 肩を叩いて、励ましてやる。

「わかってます。自分の信念に従って努力します。それでは」

「ああ」

 頭を下げて立ち去る兵曹。それをにこやかに見送りながら、廣瀬はすぐに清潔なハンカチを取り出して、手を拭った。笑顔を張り付けたままの表情は変えないが、その丹念さに廣瀬の本性が顕れていた。

「本気で、彼が優秀な士官になれると思ってるの?」

 怪訝そうな顔で、嵯峨が眉をひそめていた。

「そんなの知るわけない」

 唇を歪めて苦笑する。

「奴が自分の努力不足を棚に上げた脳内花畑な妄想を本物にできるか、上官の下した評価のとおり、大した働きもせず他人の所為にばかりして潰れるか、ボクには興味無いよ」

「はぁ…、あんたってホント、ヤな奴ね」

 やっぱり、といった表情で、嵯峨があきれた溜め息を漏らした。

「仕事に対してドライだと言ってくれ」

 そう吐き捨てた廣瀬の表情には、周りを小馬鹿にした、揺るぎないまでの自信が満ち溢れていた。

 そんなやりとりをしながら、ふたりが長い回廊を渡り、階下の法務科執務室に戻ると、同僚の土居大尉が頭を抱えて書類の束を睨みつけていた。

「ずいぶんと煮詰まってるみたいだな」

 部屋に入るなり高級ソファーのような椅子をギシリと鳴らし、ふんぞり返って廣瀬が笑った。

「確か今は、院棟爆発事故の調査をやってたか?――どっちだ?」

「弁護側だ」

「相手は?」

「藤原東子中尉だ」

「あっはっ、そいつは大変だ!」

 ペンを投げ捨てて頭の後ろで手を組み交わした土居の困った表情を、廣瀬は無責任に笑い飛ばした。

「どうして?藤原中尉はあなたほど“嫌なやつ”じゃないよ?彼女、優しいし優秀だし」

 コーヒーを煎れながら、嵯峨が不思議そうに言う。

「取り引きの話も、ちゃんと聞いてくれるでしょ?」

「まぁその点は認めるが、大変ってのは……」

「私が“ゲイ”だからって言いたいのか?」

 忌々しげに、土居が吐き捨てた。いつもの廣瀬のからかいに、いつもの土居の反応だ。

「あのお色気むんむんの悩殺ボディーはボクらにはたまんないが、ゲイにとっては地獄だろ?誰かさんと違って、親愛のスキンシップも大切にするひとだしな」

「誰かさんって、誰よ?」

「さぁね?」

 クスリと笑って嵯峨の煎れたコーヒーを口に運び、廣瀬はすぐに変な顔になる。

「なんだ、これ?」

「コーヒーよ?ストロベリーフレーバーの。美味しいでしょ?」

「……ボクはコーヒー味のコーヒーがいい…」

 その横で、土居も平気な顔して飲んでいる。

(これだから“女”の感覚はわからねぇ…)

 仕方ない。自分のコーヒーは煎れ直すか。

「で、本当のところはどうなんだ?」

「どうもよくわからないんだ。記録されてる数値と状況だけだと、研究員の過失は明らかだ」

「じゃあ、量刑の争いが問題なのか?」

 裁判資料を斜め読みしながら、土居に尋ねる。

「いや、彼らの精製していたのは麻痺性の砲弾だったんだ。魔法触媒の使用量は、通常の砲弾の三分の一だ」

「…にしては、爆発規模が大きすぎる?」

「そうだ」

「マナの残留は調べたのか?」

 土居は力無く首を振った。

「研究員のものしか検出されていない。一部を消されたような痕跡も、不審なものも、残っていない。もし他に誰かいて、そのマナを消し去っていたとしたなら、それは歴史上最高の魔術師だ」

「現場には研究員しかいなく、第三者による影響は考えられないってことか」

 廣瀬は眺めていた書類を、興味が失せたように机へ捨てた。

「だが、示されている条件だけだと、大事故に繋がりうる意図的な怠慢というには説明がつかないんだ。だのに検察側は、研究員の過失で終わらそうとしている。下手をすると退学処分だ。参ったよ」

「じゃあその処分をどう軽減させるか、か?頑張れよ」

「あぁ」

「まぁボクなら、一度全部のマナ痕跡を消してから、偽のマナ情報を上書きするがね」

 握った中指で机を叩き、ニヤリと笑う。

「なに?!」

「ここの機材は精度が高すぎるんだ。ピンポイントで検出すると、その高解像度のわりに全体が見えない。それに、院にはマナが他より濃密だ。限定的な範囲なら、ボクでも偽情報を被せる自信あるよ」

「まさか…いや、でもそれなら…」

「ま、別の誰かが関わっていたら、の話だがね」

 土居はすっかり考えこんでしまった。

(裁判の事よりも、説明いかないことに拘ってしまうのがこいつの欠点だな)

 廣瀬には馬鹿馬鹿しいとしか思えないが。

(さっさと過失を認めて、量刑を減らす取り引きをすれば済む話だ)

「みんな揃っているか」

 法務科教授の勅使河原少将が、書類の束を抱えた藤原中尉を連れて入ってきた。壮年の威風堂々とした体躯が他を威圧する。とはいえ廣瀬としては、どうしても件の藤原中尉に目がいってしまう。相変わらず煌びやかな美貌の下から、妖艶な色気が匂い立ってくるようだ。

「坂本准尉がまだです」

 嵯峨が、少将用の高級緑茶を煎れながら言う。

「そうか」

 少し考えるが、少将はあっさりと続ける。

「では問題ないな。始めるぞ」

 少将室に全員を招き入れ、席につかす。

「五藤大佐は知っているかね?」

「ええ、私の恩師です。素晴らしい軍人ですよ」

 意外な名前が出たな、と廣瀬は少し懐かしく思い出した。

「その大佐が、先日の教練で事故を起こし、生徒ひとりを死亡させた」

「なんですって!?」

 驚きの声は、廣瀬からだけではなく、全員の口からもれた。

「いったいどんな教練を?」

「ごく普通の教練だ。まぁここは軍事学校である以上、あってはならないことではあるが、ある程度の事故は覚悟されている。本来なら大佐は、事故調査に協力して証言をするだけでいい。処分は受けるが、余程の過失が無い限り処罰対象にはならないんだが…」

「重大な過失があった、と?」

 嵯峨が眉をひそめた。

「いや」

 少将は藤原中尉に命じ、全員に書類を回した。

「死亡した兵士の母親が、皇国議会の芦原秀子議長だそうだ」

「……ッ!」

 衝撃が走った。

「まさか、議会が苦情を入れてきているのですか?」

「だけではない。大佐を議会に証人喚問し、この学園自体にも政府の調査団を入れると言ってきている。少なくとも、大佐を民間の裁判にかける気だ」

「なんてことだ…」

 冗談じゃない、と廣瀬は顔を歪めた。

 軍は議会の決定のもとで動くものだが、その内部運営は独立しておくべきだし、第一、民間の調査などが入ると機密もへったくれも無くなる。軍のルールもないがしろにされるだろう。

「しかし、五藤大佐は特殊沿岸戦闘部隊の指導長官をしてたはずです。あんな最前線の危険な部隊に、議長の御子息が、なぜ参加していたのです?」

 思わず廣瀬は声を出した。

 普通なら特権階級出身の人間は、体験入隊程度のお客様的待遇を受けるはずだ。戦闘部隊の指揮下に入るなど、ちょっと考えられることではない。

「わたしも、裕福で土地持ちの特権階級の出なつもりだが?」

 少将が茶をすすりながら言った。

「少将は、というか帝国戦争の生き残りの方々は、もちろん別ですよ。むしろ貴族だからこそ、すすんで前線に立った英雄世代ですから」

「褒めても無駄だ。何も出んぞ。……まぁ芦原少尉も、本来は後方支援部に所属していた。今回特別に、研修のため沿岸戦闘部隊の訓練に参加したんだが、不幸な事故がおきたのだ」

「では、我々とすればどうすれば?」

 土居が、躊躇いがちに口にした。

「まず、五藤大佐の今回の事故を調査してもらう。そして、通常通りの軍事裁判を行い、どこからの影響も受けない形で真実を導き出す。あとは、それで納得いただくしか無いだろう」

 それでは済まないだろうことは、皆に理解できていた。

「わかりました。では弁護はわた…」

「嵯峨中尉に頼みたい」

「……っ!」

 少将は書類にサインをしながら、廣瀬を無視した。

「補佐には民間の裁判にも詳しい院生の柳沢少佐を考えている。検察には、藤原中尉。補佐は坂本准尉だ。以上」

「ちょ、…待ってください!弁護人はわたしに!」

 納得いかず、廣瀬は少将に詰め寄った。しかし、少将はあくまで冷静に対応する。

「君は以前、五藤大佐の指導を受けたことがあるな。むしろ、法務科にすすむきっかけになった恩師といえる存在だ。今回の裁判に、相応しい人物とは思えんな」

「しかし…」

「以上だ。政治的な背景は無視し、あくまで公平な立場で裁判に臨んでくれ」

 席を立つ同僚たちの中、廣瀬はひとり拳を握り締めて、ジッと床の一点を見つめた。

 屈辱が、全身で渦巻いているようだった。

 そのあまりに思い詰めたような表情に、部屋を出ようとしていた嵯峨が心配そうな声をかけてきた。

「わたしたちが精一杯やるから、今回はわたしたちを信頼して」

「いや、その心配はしてないよ」

 廣瀬はふと気づいて、すまなさそうに言った。

「大佐も、この程度のことを気にするような人じゃない。ただ、ボクがまだ、個人的な感情で仕事結果を左右されると評価されてるのが、ショックでね」

 普段見せない気弱な表情をする。と、嵯峨は廣瀬の両手を取って胸に抱いた。

「大丈夫よ。あなたはとても優秀、誰からも信頼される士官よ。ただ…今回は、法務官として適任とされなかっただけ。あなた以外の誰でも、同じような立場なら外されるんだから、ね?」

 ギュッと胸元に押し付けられた両手から、嵯峨の柔らかな温かみが伝わってくる。

 そんな健気に励ましてくれるところが、いじらしい。

「あ、あぁ…」

(自然と、こういうことができる人だから、困る)

 少し照れ気味に、廣瀬は視線を外した。

(こんな目で見つめられて、勘違いしない男も、そうはいないだろうな)

 が、廣瀬は彼女と親しいからこそ分かっている。

「まぁ頼むよ。キミも、柳沢少佐と共同弁護人なんて、嬉しいんじゃないのか?」

「ん?まぁ、ね」

 頬を染めてはにかんだ嵯峨は、たまらなく可愛いかった。「でも、婚約者といっしょに仕事の話するってのも、不思議なものよ?」

「そういうもんかな?恋人と逢えるのは嬉しいもんだが」

「それは否定しない」

 美しく並んだ白い歯をニカッと見せて、嵯峨は屈託の無い笑顔を見せた。

「さ、遅くなっちゃったけど、とりあえずお昼に行きましょ?みんな先に行ってるわ」

 そう言って、絡んでいた指先がほどけていくのを、廣瀬は少し、残念に思った。




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