二章 いまだ消えない寵姫のうわさ_3



 ヴァルディールの寝室はおどろくほどうす暗く、そして薬草のにおいに満ちていた。

「遅かったな。もっとそばへ来よ」

 まだ体調がととのわないのか、気だるい声だった。

 寝室には、ユーリアとヴァルディールのふたりきり。ふざけたことに、ユーリアが寝室へと足をみいれたとたん、エルンストが護衛も従僕もすべて引きあげて扉を閉めてくれたのだ。

 そのときの「俺って気がきく!」とでもいわんばかりのさわやかな笑顔を思いだし、ユーリアはこぶしをにぎりしめた。あとで見ていろ。

 ユーリアはそばへという命令をしれっと無視して、寝台から四歩はなれた位置で立ちどまり、頭を下げた。

「公の寝室をお訪ねするのにふさわしいようえてから参りましたので、遅くなりました。申しわけございません」

 しよくだいのたよりないあかりでも、彼の顔色がひどく悪いことは見てとれた。アイスブルーのひとみの強さは変わらずだが、絹糸のようだったかみつやはなく、目の下にはくまがあり、ほおはいくらかこけているように見える。

 暗殺未遂という現実をの当たりにして、ユーリアの胸がぎゅっと痛んだ。

「あわせて、今回の件、まるでお役にたてなかったことをおびいたします」

 となりの部屋にいたのに、気がつかなかった。内扉からヴァルディールがあらわれたときも、顔色の悪さに気がつきながら、すぐに医師を手配できなかった。

 ユーリアが謝罪すると、ヴァルディールは弱々しく微笑ほほえんだ。

「おぬしはだ。それは良きことだが、あまりそのような顔をするな。けんにシワができるぞ」

「はい。眉間のシワは、かんろくが出ますのでぜひとも欲しいところです」

おろかなことを言うな。貫禄のある寵姫など、だれが欲しいものか」

 むっ、とユーリアの眉間のシワはさらに深くなった。

「うわさをご存じだったのですね。でしたらなぜ否定してくださらないのです。ヴァルディールさまにとってもめいきわまりないでしょう」

「なるほど。だから男装か」

 ヴァルディールはあらためてユーリアの服をながめた。地味なダークグレーの上下は城の衛兵の制服──ユーリアにとって、これこそが〝ふさわしい着替え〟だった。

「ここに来るところをうっかりだれかにもくげきされたあげく、おかしな誤解が深まってはたまりませんので」

 火のないところにたっているうわさに、せいだいに着火することになりかねない。そんなのはごめんだ。

 ところが、てっきり「そうだな」と同意が返ってくると思っていたのに、ヴァルディールは不満顔で毛布を……ではなく、毛布のようにのしかかっているはくろうの毛並みをなでつけた。ふぁっさふぁっさとしっぽがゆれる。

「気にいらぬな。周囲はうらやんでいるというのに、当のおぬしはなぜそのようにめいわく顔なのだ。たんなるうわさの寵姫から、真実の寵姫になりたいとは思わぬのか」

「思いません」

 なおに答えると、ヴァルディールは完全にげん顔になった。

「……なんとかわいくない」

「はい。かわいくない女がうわさだけでも寵姫ではご迷惑極まりないでしょう。心が痛みます」

 自分がたてたうわさではないが、申しわけない。そう思って言ったのに、ヴァルディールのご機嫌はかんぜんにななめになってしまったようだった。

「このようなあしらいをされたのははじめてだ」

「ええと、では以後気をつけます……。それよりも、公。私にどのようなようがあったのでしょう?」

 エルンストは元気だから寝室に呼んだんだろうなどと言っていたが、どうみても回復していないのはあきらかだった。そのうえで呼びつけたのだから、よほど急で大事な用件があるのだろう。

 少しつかれたのか、ヴァルディールはまくらにもたれるように背を預け、一息ついてからあらためてユーリアを向いた。

「またの機会にせよ、と言ったであろう。それが今だ。存分に時間を取らす。話すがよい」

 は、と返事をしたものの、なんのこっちゃとユーリアはしばし考えた。

 ヴァルディールのさあ、さあ、という視線を受けながらおくりおこし、そういえば彼がたおれる直前にそんなことを言っていたのだと思いだした。

「今、ですか?」

 正直なところ、待ちに待った機会だった。

 そもそもはお成り道で書状をわたすはずだった。それが受け取りをきよされ、その後なぜかかんに任命され、しかもそばに仕えながらのかんげんたれ流しを許可されたと思ったのに、ほぼ顔すら合わせないまま今日にいたるのだ。これをと言わずして何と言う。

 ──だが。

「どうした、なにを悩んでいる?」

「……申しあげたいことがあまりにもたくさんありすぎて、夜をてつしてしまうおそれがあります」

 考えた末にそう口にすると、ヴァルディールはしようした。

「なるほど。朝帰りともなれば、『ちよう』は確定されてしまうな」

「そうではありません!」

 ぴしゃり、と否定すると、ヴァルディールは驚いたようにユーリアを見上げた。

「お体のご心配を申しあげているのです! ないと治らないでしょう!」

 さらにヴァルディールの目が丸くなる。そんなに心配されたのが意外なのか。私はおにかと思いながら、まさに鬼のごときけんまくで話を続けた。

「私とて正直なところ、つらつらと申しあげたいことは山ほどございます。ご存じですか? オーバーラントの領民は税をさくしゆされながら、税によって守られることがないと。ちようしゆうされた税は、歴代の公のぜいたくざんまいに使われ、公のあいしようたちに使われ、愛妾の親兄弟に使われ、公の寵臣たちに使われるのです。領民のための水路の整備や学所の建設にはしよくがはびこり、たびたびおこる冷夏でのしよくりよう不足のさいには、えんが行きわたったためしがない!」

 くやしさがこみ上げてきて、強くくちびるをんだ。

(あのときも、そうだった……!)

 かび上がるのは、燃える集落と、まどどうほうたち。

 恐ろしい記憶にどうねた。

 がり、というかんしよくとともに、口の中に血の味が広がる。こうちよくしたようになっていた口をふたたび開いた。

「いったい、なんのための税でしょう? 〝島流し王子〟とそこに取りいるクソどものための血税ですか? 私はそれを変えたくて、あの日、あなたの行列のまえに立ったのです」

 代々の〝島流し王子〟は、領民を向いていない。それはこの城が証明しているように見える。

 まるで王都クレモリッツの王宮をこいしがるかのように、いや、島流しにした王や王太子にたいこうしんを燃やすかのように、長年にわたって血税をしてつくりあげた、王城にひけをとらぬごうそうれいなオーバーラント城。税収に対してこつけいなほどにつり合いがとれていない。

 城での暮らしもそうだ。王宮でのはなやかな暮らしをこえようとするかのように贅をつくし、〝島流し王子〟たちはぐうな自らの境遇をなぐさめるのだ。

 彼らの心情もわからなくはない。

 華やかな水の都クレモリッツを、みずからの意思にまるで関係なく追われ、おいやられたのが貧しい辺境のオーバーラントだ。

 ほかの貴族たちが領地経営を代官にまかせて王都で社交に明け暮れるのとはちがい、オーバーラント公だけはそれが許されない──事実上の〝島流し〟。やるせない苦しみがあったことだろう。

 だが、だからといって、領民は無視されたままで許されるのだろうか。

「いまでも、その気持ちは変わりません。ですから、しよさいにひきこもっていらっしゃるあなたには、えんえんねちねちと説教をたれ流し申しあげたい。あなたはまだ、贅沢ざんまいをしているわけではないようですが、領政丸投げなど無責任にもほどがあります!」

 ユーリアは一度ゆっくりと息をついた。

 感情に任せてまくしたてたが、驚くべきことに、ヴァルディールはその間ひと言も口をはさまず、ただ静かにユーリアの話に耳をかたむけていた。

 いかりをこらえるでもなく、不快にまゆをひそめるでもなく、ただ、すべてを受け止めようとするまなざしに見えた。

 れていた感情が静まっていく。なんだか毒気をかれたような思いだけれど、悪くはないような気がした。

「とはいえ、ですね。あなたの死を望んでいるわけではありません。まずはおんの回復が先です。ご自愛ください。お早い回復をいのっております。全快されたあかつきには、えんえんと諫言たれ流し申しあげますので、いまはこれにて失礼をいたします」

「──まて」

 礼をとり、部屋を出ようとしたところで、呼び止められた。

 なんでしょう、と問おうとした声は、行きどころをなくして消えた。

 しんだいから大きく身を乗りだしたヴァルディールに、かたうでつかまれていたのだ。

「ヴァ、ヴァルディールさま……?」

 ふり返ろうとするのと同時に、おもいっきり引っぱられる。

(なっ!?)

 しゆんかん、頭をよぎったのはエルンストのニヤニヤ顔だ。まさか!

 頭がパニックになった。反射的に足をふんばる。

「────あ」

 くつきようなるツェルト・ウーリ族の力に、死にかけ王子が勝てるはずがない。

 ヴァルディールは逆に引きずられ、寝台からずり落ちかけていた。はくろうが夜着をくわえて引っぱり、なんとか体勢をたもっているという状態だった。

「…………落ちてケガをしたらどうする。おぬしも支えよ」

「いやです」

 全力拒否した瞬間、白狼がくわえていた夜着をはなすという暴挙に出た。落ちる!

 ヴァルディールをとっさに引っぱりあげて支えると、そのままユーリアのかたにしがみつくように体重を預けてくる。どうして恩をあだで返すのか!

 熱っぽいヴァルディールの体温、そしていきを身近に感じて、ユーリアの背はあわった。

「ひいぃっ!」

「なんだ、その悲鳴は。もっと色めいた反応はできぬのか。きようが傷つくゆえ、もっとうっとりとせよ」

 なんつう命令だ。ユーリアはずりずりとヴァルディールを運び、なんとか寝台に寝かし直す。しようりもなく手をにぎろうとするのをぴしゃりとはらい、カゼをひかないようしっかりと毛布をかけ、その上に白狼を乗っけてやった。

「もうっ、じようだんはやめておとなしく寝ててください。はやくお体を治しませんと」

 そして治ったら説教を受け入れてさっさと仕事をしてほしい。

「もしや、おぬし男ぎらいか?」

「そ、そんなことはありません……と、思いますが」

 歯切れ悪く言うと、はっきりせよとついきゆうされた。すこしなやみながら、ユーリアは答えた。

「男の人には、あまりいい思い出がありません」

 男と聞いてはじめに思い浮かべるのは、集落でユーリアを「やーい女装男!」とはやす男の子たちだ。あとは「デカー」とか「カマー」とか言われた気がする。許すまじ。

「男と言えば、たいがいきようりようでいじわるで、いつも鼻水をたらしていて、それをそでいているようなイメージです」

「…………ずいぶん子どものころの印象で止まっているのだな」

 おぬしいったい何歳なのだと言わんばかりの生温かい目を向けられて、うっとまった。たしかに自分で言っておいてなんだが、子どもっぽいかもしれない。

 ずかしくなって、あわてて付け足した。

「でも、恋をしたことがないわけではないです」

「ほう?」

「すてきな男の子に会ったことがあります。とてもやさしくて、しん的で」

 そしてさみしそうに笑うがらな少年だった。手をつなぐとすごくうれしそうに、けれどもはにかんで目を細める、あの表情が大好きだった。

「ツェルトの子どもか?」

「いえ。子どもの頃、ひと冬だけ集落にいた他族の少年です。『兄さま』と呼んでしたっていました。恥ずかしながら、おそらく初恋です」

 血はつながっていないけれど、兄と呼んでいたのはふたり。

 背がすらりと高いのが『大兄さま』。小柄で、やつれているといえるほどにやせぎすだったのが初恋の相手、『兄さま』だ。

 思いだすと、いまでもほっこりと胸があたたかい。顔も名前も覚えていないのに、ふしぎなくらい。

「だから男嫌いというわけではないのだ、とは思います。たぶん」

「ではその話をものがたりにしよう。さあ、出会いからそこで語るがよい」

 ヴァルディールはにやりと笑ってとんでもないことを言う。いやいや、だれが好き好んでそんな恥ずかしいことをするものか。

 ユーリアは一方的に折り目正しく辞去のあいさつを述べ、あとは聞こえないふりで寝室を後にした。





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