納期
夕方、後片付けをする。今日は早く帰れそうだ、俺はペール缶に溜め込んだ金属ゴミをゴミ箱の回収用ドラム缶に放り込む。
ガラガラと大きな音を立て、業務の終わりを告げるかの如く響く音が心地良い。
音色はとても褒められる音ではない、ただのノイズだが……。
一番の下っ端の笹島が駐車場に止めてある車両の鍵を抜きまくる、整備工場の車両置き場に停めてある車は一日中鍵が付きっ放しだ。
すし詰めにされている預かり車両を動かすのは骨が折れる、三台後ろの車を出すには勿論前の車両を動かさなければならないのだが、いちいち鍵を付けたり外したりはしない、鍵を取りに行けば時間が掛かるし、正しく鍵が鍵置き場に置かれていない事も多い、その都度鍵を取りに行ったり来たりを繰り返せば一台車を出すだけで10分は掛かる。だから朝一で全車両の鍵を開け、キーを取り付けておく会社は多い。盗難は心配だが此処は日本だ、昼間に車を盗む奴は居ない。
車を盗みたければ昼間の整備工場に行けば鍵付き車両だらけだろう、恐らく簡単に盗めるはずだ。だが、盗んだ車は故障車だというリスクがある事を忘れてはいけない。逃亡中にエンジンが止まって御用って事になりかねないから皆さんはやらないように。
後片付けも終わり、エアコンプレッサーの電源を落とし、車検検査ラインの設備電源を落とす。
メカニックは次々と手をスクラブ石鹸で洗い事務所に戻る。
事務所のホワイトボードを眺め自分の担当車両のマグネットをポツポツと移動させ、今どういう状態なのかを分かるようにしてロッカールームに各自向かう。
ロッカールームのドアノブに手を掛けた時、フロントの長岡が言った。
「えっ? もう帰るんですか? 車検の加山さんから今電話来てどうしても明日車使いたいから明日朝一で車取りに来るって連絡入ったんですけど……」
俺は言った。
「あ? 無理、もう終わったから」
「いや、マジで朝一で来るんでやって貰えます?」
「はぁ? 工場見ろよ! もう電気消えてるだろっ!」
他のメカニックも苛ついた顔で長岡を睨んだ。
「いや、もう約束しちゃったんで……」
「お前なあ、工場の状況見てから言えよ」
「しょうがないでしょうが! 明日来るっていうんだもん」
長岡がキレる。
苛っとした俺は長岡に文句を言おうと思ったが言ったところで納期は変わらない、やるしかないだろう。
俺はその客の車検の整備記録簿のバインダーを手に取り、一緒に挟まれた指示書を眺めた、タイミングベルトとドライブシャフトブーツ交換、その他もろもろ、簡単に終わる仕事ではない。
一人で作業すれば手練れでも4時間は掛かる仕事だ。
俺は帰ろうとしているメカに言った。
「全員でやって直ぐ終わらせるぞ」
メカ全員からネガティブな反応が返るが俺は工場のドアを開け、照明のスイッチをパチパチと点けた。
半ギレの四人のメカは最大級の本気を出してその車の整備を40分で終わらせ、俺はその車両の車検完成検査を始める。
検査は15分、書類作成をしている間にメカたちは仕上げの洗車を始めた。
車検更新のオンライン申請を行い、店長が帰っていたので承認者のIDを勝手に入力し、俺が承認する。
承認後、俺は適合標章を印刷して洗い終わった車両のフロントガラス内側から貼り付ける。
これで終わり、全員ロッカールームで着替えを済ませタイムカードを押しに玄関に向かう、フロントの長岡はメカに頭を下げるが皆はそれを無視した。
俺は帰り際、長岡の肩をポンポンと叩き、気にするなと無言で言って彼と別れた。
翌日、客は現れなかった、用事が入り取りに来れなかったらしい。
その車両はその後3日間放置され、4日後、いきなり現れた客の為に急いで洗車をもう一度して引き渡した。
残業してまで急いだ修理車が納車されないのは日常だ、俺達は約束を守る、守らないのは客だ。
だが仕方ない、それが客商売だ。俺は思った、早く客が神様から平民になってくれることを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます